女王を狩る者は
「いいかテメェら、よく聞け!」
混戦する船上に、団長の野太い声が響き渡る。
帆を操る者だけではなく、剣を振るう者、銃を手にする者も一斉に船尾甲板に注目した。
「航路が決まった。このまままっすぐ、あの大渦の狭間を行く!」
よく通る声に、騒がしい甲板が一瞬固まったように見える。
皆、顔を強張らせて言葉を失っていた。
「正気かよ……」
誰かが呟くように言葉を放つ。
団員たちの剣筋はどこか鈍り出し、帆を操る者の手もおぼつかなくなったように見えた。
こうなってしまうのも無理はない。
誰がどう見てもあの渦が最も大きく危険で、側を通るなど正気の沙汰とは思えないからだ。
「アイ・サー!」
静寂を破るかのごとく、男四人の声が次々に甲板へと響き渡る。
「レヴィがそう言うんなら、間違いないっしょ!」
「誰よりも海を知るのは、アイツだ」
「従わない理由がありません」
踊るように戦い続けながら、バド、ケヴィン、カルロはさも当然のように言い放つ。
恐れを見せない三人衆とキャプテンの表情に驚きを隠せないようで、団員たちは目を丸くしている。
さらには四人があまりに堂々としていたからだろうか。
つられるように団員たちの瞳からも、怯えの感情が消えつつあるように見えた。
「おい、返事はどうした!」
ファルシードが荒々しく声をあげて発破をかけていくと、彼らは途端に背筋を伸ばし、大声で返事をした。
今度は天井からドンドンと強い振動音が聞こえてくる。
リディアたちがいるところの天井、つまりは船尾甲板に立つライリーが大きく足音を響かせ、舵棒を操る団員に合図を送ってきているのだ。
「舵を左に十度!」
「アイ・サー! ポート・テン」
団員は、わずかに舵棒を動かして舵をとる。
「引きずられてる」と、船首を見つめながらリディアは呟いた。
激しい潮の流れと追い風によって船は加速し、大渦はもう目前に迫ってきていた。
船上は相も変わらず大荒れで、団員たちは止むことのないブラッドギルの攻撃を避けながら、団長の指示に従い、必死に帆を操っている。
「くそッ、女王はどこだ……!」
メインマストのほど近くで、慌ただしく首を動かし、焦りを見せる若い団員がいる。
魚の死体で溢れている甲板で、死んでいると思われた一匹のブラッドギルが、焦る団員に向かって微かに尾びれを動かしはじめ、嗤うように鋭い牙を覗かせていた。
「テオさん、危ない!」
リディアは矢のように突き進むブラッドギルを見て、大声で叫ぶ。
不意を突かれた団員は足を滑らせて転倒し、どすんと鈍い音が響いた。
ブラッドギルとの距離は、あとわずか。
ひとたびあの鋭い牙で噛みつかれてしまえば、人間の腕など簡単にもっていかれてしまうだろう。
思わず顔を背けようとした瞬間、漆黒のナイフが宙を駆けていくのがリディアの目にとまった。
「死にたくねェなら、気を抜くな!」
ファルシードの怒声が聞こえ、転んだ団員はぶるりと大きく震えた。
青い顔をする彼の目の前には、不規則なリズムで痙攣するブラッドギルが横たわっていた。
小型のナイフが刺さった体からは、とくとくと深紅の血が流れ出ている。
「キャプテン、ありが……」
「とっとと立て。俺もフォローはする。全員無事に、ここを切り抜けるぞ!」
「アイ・サー!」
助かったことに安堵したのか団員は顔を上げて、礼を言おうとしていたようだが、ファルシードは最後まで言わせてなどくれない。
キャプテンの指示に“全員無事で”と願いを込めて、リディアも大声で返事をする。
足手まといであることはわかっていたが、せめて邪魔にはならないようにしよう、と、それだけを考えていた。
左右には全貌すら見えない巨大な渦潮、甲板にはブラッドギルの大群で、あたりに緊迫した空気が漂う。
「まだ、見つからないの……?」
せめて女王を見つけたい──と、リディアも目を凝らすが、銀の瞳を持つというブラッドギルの女王は見つからない。
「あーもう! どこなんだよ、女王のヤツはーっ!」
バドがイラついたように大声をあげた途端、これまでの嵐がまるで夢だったかのように、ぴたりと襲撃がおさまった。
あれほど攻撃的だったブラッドギルたちは、立ち尽くす船員たちには目もくれず、次から次へと逃げるように海へと飛び込んでいく。
「女王が……死んだ?」
団員の一人が呆けたように呟く。
「狩ったのは、誰だ」
ケヴィンがあたりを見渡して問う。
「僕では、ないです」
カルロは首を横に振り、視線を向けられているバドも否定をあらわすように、手をひらひらと振った。
「俺も違うっす。ってことは……キャプテン!?」
バドの言葉に、団員たちは一斉にこちらを向いてくる。
「いや、俺は女王の姿を見てすらいない」
「じゃあ、誰が……?」
リディアが呟くと、宙を割るかのように雨粒が一つ落ちてきて、ぽたりと音を立てていく。
否、甲板の床で弾けたのは雨ではなく、深紅の雫だ。
全員が顔を上げると、空から巨大な何かが降ってきて、鈍い音を立てて甲板へと着地する。
それは一際大きなブラッドギルであり、瞳は銀細工のように美しい輝きを放っていた。
絶えず耳につく渦潮の轟音に混じり、鷹の鳴き声が響き渡る。
優雅に羽ばたいて甲板に着地したのは、グリフォンのノクスだ。
リディアは爪痕のような傷が残るブラッドギルを見、次いでノクスの血塗れた爪を見やる。
「まさか、女王を狩ったのって……」
「ノクス!?」
団員の声が重なる。
「キューン!」
顔を上げて鳴くノクスは誇らしげで、自分が狩ったのだとでも言っているようだ。
一方の三人衆は、女王を囲むように集まり、何やら深刻な表情を浮かべていた。
「俺、二十七匹」
バドが険しい表情で言う。
「僕は、十六匹です」
バドに負けたのは悔しいとばかりに、カルロはつまらなそうな顔をしている。
「俺は、十九匹だ」
ケヴィンは相変わらず淡々とした様子で答えていた。
「ノクスは……!?」
優勝候補であるバドは勢い良く振り返り、ノクスを見やる。
もちろんノクスからの返答はないが、飼い主ともいえるファルシードが口を開いた。
「十四匹狩っていたところまでは見ている」
主人に褒めてもらおうとでも思っているのか、ノクスはファルシードに駆け寄り、頬を彼の手に擦り付けてきていた。
「ってことは、まさか!」
バドは愕然とした様子で声をあげる。
「勝者はコイツってことだ」
ファルシードは、ノクスの頬を掻くように撫でながら言う。
「残念でしたね、バド。今回の勝者はノクスです」
「ノクスか。なかなかやるな」
くすくす笑うカルロと、感心したようなケヴィンの前で、バドは納得いかないとばかりに地団駄を踏んだ。
「そんなぁぁ、誰か嘘だと言って欲しいっス! 俺また良いトコ全部取られちゃってんじゃんよぉ!」
「まぁ、バドですから」
「そうだな」
「ひどいっス!」
三人のやり取りを見てリディアはくすくすと笑い、進行方向に視線を送る。
ああ、もうすぐ──
「渦潮の終わりだ!」
その時を前に、団員たちが沸き立つ。
大渦を越えて、穏やかな海が眼前に広がった瞬間、あちこちから歓声が上がり、やがて船尾甲板から物が落ちたような鈍い音がした。
「おいレヴィ、どうした!」
ライリーの焦ったような声がする。
「あ、安心したら、腰が抜けてしまって……」
凛と指示を続けていた航海士の、情けなく震えた声と腰を抜かした姿に、船上は明るい笑い声で満たされたのだった。