荒れる船と心
――皆、すごい。
傷を負わない団員たちと、積み上がっていくブラッドギルの死骸とを見比べ、感嘆の吐息をつく。
だがその一方で、胸の奥が淀むような不安も感じていた。
未だ襲撃が衰える気配はなく、団員たちの体力も削られているようで、剣筋が鈍くなっているように見えたのだ。
突如「女王はどこだ!」と、叫ぶ声が響き渡った。
恐らく、終わりの見えない戦いに、焦りと苛立ちを感じたのだろう。
嵐さながらの甲板の上で、戦闘に不慣れな新人が女王を見つけようと躍起になっているようだった。
さらには、甲板から海へ視線を移すと、至るところに白波がたっている。
渦に近づくにつれ、潮の流れもずいぶんと荒くなってきたようだ。
轟々と唸るような波音が聞こえると同時に、船は大きく揺れだし、重心も不安定になりはじめていた。
「うわっ!」
立つことさえままならなくなったリディアは、右に左によろめきだす。
何かにぶつかったり転倒したりするのも、もはや時間の問題だ。
潮の流れに翻弄される船は一際大きく傾き、リディアの身体は左舷方向へ引っ張られる。
「わわわっ……!」
千鳥足のように数歩進んだリディアだったが、すぐにぴたりと立ち止まった。
ふらつく様子を見かねたのか、ファルシードが肩を抱き寄せてきたのだ。
支えができたことで安定し、ほっと息をついたリディアだったが、すぐに現状を把握して頬を赤く染め上げた。
身体を密着させる二人はまるで、仲睦まじい恋人同士。
だが、穏やかな見た目とは裏腹に、リディアの心は荒れに荒れていた。
自分や母とは大きく違う力強い腕と、硬く平らな胸に動揺してしまい、呼吸さえうまくできていない。
触れ合った部分から身体の熱が混じり合い、それがまた羞恥の感情を助長させてきていた。
もしや彼は今回も、小馬鹿にしたような顔をしているのだろうか。
そう思ったリディアは恐る恐る顔を上げていく。
そして、そこにあった横顔に思わず目を奪われた。
視線はリディアに向けられておらず、紫に輝く双眸は、混戦する甲板をまっすぐに見据えていた。
彼は甲板と海とを広く見つめ、警戒している様子だったのだ。
真剣な男の眼差しと横顔が力強く、美しく見えて、思わず息をのむ。
やがて、ファルシードは見つめられていることに気づいたのだろうか。
突如首を動かしてきて、二人の視線は重なった。
感情の読めない瞳と至近距離にある顔に、どくんと大きく鼓動が跳ねて、胸が締め付けられる。
「もう大丈夫、一人で立てるから! ごめんね、ありがとう!」
恥ずかしさのあまり、突き放すようにして距離をとっていくと、彼はいかにも不機嫌そうに眉を寄せ、再び甲板へと視線を戻していった。
いつもとはどこか違う空気が二人の間に漂い、リディアはどぎまぎとして落ち着かない。
そんな時、頭上にある船尾甲板から、団長とレヴィの名を呼ぶ切羽詰まった声が聞こえた。
「早く航路の指示を! 潮に引きずられはじめてる」
リディアは前方の海を見て、声を失った。
ある程度の距離を保っていたはずの渦潮が、すぐそこにまで迫ってきていたのだ。
「レヴィ、航路は見えたか?」
頭上から団長の声が聞こえてくる。
ここは船尾甲板の真下で視界に入らないため表情は判断できないが、焦燥感は感じられず、穏やかな声色をしていた。
だが、いつまでたってもレヴィの返事は聞こえてこない。
島へと続く一本の海流を探すのに、手こずっているのだろうか。
不安げな表情で頭上を見ると、突然、ガタリと大きなものが落ちたような音が降ってきた。
「ひ……引き返すことにしましょう」
少年の震える声がする。
フライハイト最年少の船員で、航海士であるレヴィの声だ。
「何か、あったのかな……」
リディアは不安げに天井を見上げ、レヴィを心配する。
だが、隣に立つファルシードは口の端を歪めており、小さく息をついて言葉を放つ。
「違う。あれは……アイツの悪い癖だ」と。