遭遇
フライハイトの船は大海原を悠々と走り続けている。
“リヒトの島”と聞いて以来、団員たちはどこかそわそわとしながら、リディアに幾度も視線を送ってきていた。
リヒトなどリディアには全く聞き覚えがない上に、誰もそれを教えようとはしてくれない。
自分だけがわからないことを悔しく思いながら、リディアは気を紛らわせようと、ノクスのブラッシングをはじめた。
やがて、船尾側から軽快に駆ける音が聞こえてくる。
その音に団員たちは皆、一斉に顔を向けた。
「おまたせーっ!」
ライリーと航海士のレヴィを引き連れたバドが甲板へと現れ、団員たちはわずかに湧き立っていく。
――ん、あれ? レヴィ君?
リディアはブラシをとめ、船尾甲板に立つ三人を見て首を傾げた。
団長とバドの表情は明るいが、レヴィの顔色だけは不思議と青ざめているように見えたのだ。
だが、団員たちは異変を感じている様子などなく、ライリーも笑うように口を開いた。
「よォし、野郎共。目標を変更、行き先はリヒトの島! 順調な航海にはならねーぞ。絶対に指示は聞き逃すなよ!」
「アイサー!」
ライリーの指示に団員たちは声高に返事をし、リディアもわけがわからぬままたどたどしく返事をしていった。
「あの、ケヴィンさん。順調な航海にはならない、ってどういうことです?」
「ああ、そうか。お前は初めてだったな」
一番近くにいたケヴィンに駆け寄って尋ねていき、彼は考え込む仕草を見せた後、呟くように言葉を放った。
「それに私、リヒトが何かもわかんないんです」
口をとがらせて言うと、ケヴィンはわずかに微笑んでくる。
その表情から、リヒトについて教えてくれるつもりはないのだとわかり、リディアの口はますますとがっていった。
「リヒトの島近くは海流が複雑で、暗礁も多々ある。熟練の航海士でさえ、航海が困難なんだ」
うっすらと見える島の影に視線を送り、ケヴィンは言う。
「そんなところに行くなんて、大丈夫なんですか?」
思いつきや、その時の気分で行く島ではないのでは……とリディアはうろたえる。
一方のケヴィンは表情を変えないまま、レヴィのほうへと視線を向けていった。
「確かにあれは、並の航海士や船乗りじゃ絶対に手を出さない島……だからアイツは今、あんな顔をしている」
ケヴィンの視線の先を追いかけると、レヴィの顔はこれまでに見たこともないほどひきつっていた。
――ますます大丈夫じゃないじゃないか。
思わず苦笑いをして、青ざめたレヴィと、どこか浮かれている団員たちとを交互に見つめる。
重い責任がのしかかっているレヴィを哀れに思いつつ、今後の航海を思うとわずかばかり不安になった。
「だが、アイツの航海のセンスは確かだし、団員の連携にも問題はない。昼頃には無事に着くだろう」
頭上からケヴィンの声が降ってきて、リディアは顔を上げていく。
「皆のこと、信頼してるんですね」
どっしりと構えているケヴィンに微笑みかけると、彼も目元を柔らかく細めてきた。
「動転しないお前もそうなんじゃないのか。だから俺らは、こんな逆風の中でもあえて盗賊団にいる」
その言葉にリディアはわずかばかり目を丸くする。
こんな風に他人を信じ、命運を預けてもいいと思えたことが、ここに来るまで一度も無かった、と思い返したからだ。
――皆を信頼している、か。
フライハイトのメンバー一人ひとりの顔を見つめていき、リディアははにかむように笑った。
「はい、私もずっとここに居たいです」
――・――・――・――・――・――・――
ケヴィンの予想通り、昼前には島がはっきりと見えるようになってきた。
何の変哲もない島に見えるが、問題はその周りだ。
巨大な渦潮がいくつも発生し、あちらこちらで唸るような音を立てているのだ。
団員たちが言うには、リヒトの島に入る条件は厳しく、たった一本しかない海流を選ばなければならないらしい。
しかもそれは、気象条件や潮の満ち引きによって、位置が変わってしまうのだそうだ。
さらには厄介なことに、周辺にはモンスターが群れをなしていることが多いようで。
甲板には緊張感が漂い、いつにも増して団員たちは警戒を強めていた。
「ねぇ、ファル。モンスターに出会わないことはないの?」
リディアは舵棒の近くに立ち、隣にいるファルシードに尋ねる。
「ない。十中八九どころか十、遭遇する。雑魚か強敵かの違いがあるだけだ」
淡々と答えてくるファルシードに、リディアは苦笑いをしていく。
「それなら、せめて弱いのがいいなぁ」
リディアは自分を抱きしめるように縮こまり、わずかに身体を強張らせた。
――巨大海蛇も怖かったし、もう二度とモンスターになんか会いたくないよ
そんな願いもむなしく、見張り台の警鐘がけたたましく鳴り、団員の張った声が響きわたる。
「進行方向より吸血魚、ブラッドギルの群れだ! しかもデケェ!」
船を操る団員たちはロープを握り締め、戦闘要員たちは腰を落としてそれぞれの武器を構えていく。
ファルシードはリディアを守るように一歩前へと出て、胸元から漆黒のナイフを取り出した。
「ったく、めんどくせェのが来やがったな」
「私、足手まとい……? 中で隠れていたほうがいい?」
恐る恐る尋ねると、ファルシードは海面に視線を向けたまま言う。
「いや、ここにいろ。こんなのはこの先いくらでもある。慣れたほうがいい」
「だけど……」
――戦えないし、確実に邪魔だと思う。それに何より、人を襲うモンスターなんて、怖い……
身体を震わせていると、ファルシードはちらと横目で視線を送ってきて、わずかに口の端を上げた。
「安心しろ。俺の後ろには、何も通さねェから」
“俺が守ってやる”とでも言うようなファルシードの表情に、思わずどきりとする。
――なんなの最近の私、本当におかしいよ!
彼は目線を戻して海を警戒していたが、リディアはうつむき、胸の高鳴りを抑えることに必死になっていた。
「なぁなぁ、ケヴィン、カルロー」
船首甲板に立つバドは海面を見つめながら、右舷側にいるカルロと左舷側にいるケヴィンに大声で話しかけていく。
「なんです?」
「なんだ」
カルロはサーベルを右腰から抜いていき、ケヴィンは打撃強化のためのナックルダスターを指に通しながらバドに返事をした。
それを眺めているファルシードも、ふ、と鼻で笑う。
「また始まった」とうんざりしたような声を出していたが、その横顔は楽しそうに笑っていた。
何が始まるんだろう、とバドの背中を見つめると、彼はくるりと振り返ってきて、にやりと口角を上げた。
「誰が一番、モンスターを狩れるか勝負っ! もちろん、のるっスよね?」