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私に世界は救えません!  作者: 星影さき
第三章 裁きと呪い
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隠されていた弱さ

 ぽろぽろと涙を零しながら、リディアは顔を上げていく。

 そこに広がる異様な光景に言葉を失い、身体を強張らせた。


 ライリーとファルシードが、一切の動きを停止していたのだ。


「ファル、団長?」

 二人を交互に見つめていくが、悲しげな表情で固まったまま、瞬き一つしようとしない。

 まるで、リディア以外の時が止まってしまったかのようだ。



「何、これ……?」

 思わず後ずさりをして、身をすくめる。

 やがて、ファルシードの左胸から青黒い光が漏れだし、それに共鳴するかのごとく、リディアの左胸も緑色の光を放ちはじめた。


「これって、もしかして……」

 この光景に、覚えがあった。

 過去に来る直前、起こった現象と全く同じだ。


 元の世界に戻る時が来たんだ。

 そう確信するのと同時に、再び耳鳴りに似た音が響き渡り、今度は世界が白く包まれていった。

 

――・――・――・――・――・――・――


 うるさいほどの金属音が消えると同時に、眩しさも一気に終息する。

 リディアはゆっくりと目を開き、あたりを見渡した。


 視界に入ったのは、ぎっしりと本が詰まった棚に、柔らかそうなラグ、そして、ソファの上で眠る黒髪の男……


 活発さが残っていた少年とは違い、目の前で眠るファルシードは、どこからどう見ても、大人の男だった。


「帰って、きたんだ……」

 呟きながら、自身の目元に触れていく。

 先ほどまで涙で濡れていたにも関わらず、(ほお)は乾いており、まぶたの腫れぼったさも消失していた。

 長い間過去を彷徨(さまよ)っていたが、こちらの世界からすると、一瞬の出来事だったのかもしれない。



 リディアは不安げな表情でかがみこみ、彼の顔を覗き込んで、安堵の吐息をついた。

 見る限りでは、ファルシードにも変化はなさそうだ。


 顔を上げようとした次の瞬間、彼の腕が伸びてきて、リディアは気の抜けるような声をあげながら倒れこむ。

 強い力で引き寄せられてしまったのだ。


「ひゃっ!」

 衝突寸前に、慌てて目をつぶる。

 床にぶつけてしまったひざはじんじんと痛むが、上半身は痛みが無い代わりに、ほのかに温もりを感じる。


 そんな状況にリディアは呼吸も忘れ、固まっていた。


    

 自分の身に何が起きているのかなど、考えれば容易に理解できた。

 だが、未だかつてない距離に、状況を受け入れることなどできないまま。


 右耳からは、トクトクと規則的な音が聞こえ、亜麻色の髪には、わずかに吐息がかかってくる。

 何もかもが否応なしに、現実を知らせてくれるが、それでもリディアの混乱が落ち着く気配はない。



 縮こまって思考を巡らせるが、彼の腕の中にいる理由は全くといっていいほどわからなかった。



 もしや、またからかわれているのだろうか。

 そんなことを考えていると、香水に似た柔らかな香りが鼻をくすぐってきて、どくんと鼓動が跳ねていく。


「――ッ! って、……あれ?」

 慌てて彼の腕から逃れようとするが、すんでのところで、思いとどまった。


 小刻みな振動が伝わってきたことに気がついたのだ。

 不思議に思ったリディアは、上目で彼の顔を覗いていった。


 そこにあったのは、普段なら決して見ることのない、苦しみや不安に耐えるような表情で。

 リディアが困惑していると、逃がさないとばかりに強く抱きしめられ、動揺はさらに増していく。



「行くな、レオン……」

 かすれた声で紡がれた願いに、リディアは、はっと息をのんで身体を震わせた。

 裁きの証は持ち主の夢にも干渉し、たびたび悪夢を見せてくるのだ、と、ライリーが話していたことを思い出したのだ。


 大人になった彼がここまで弱っているところを、リディアは一度たりとも見たことがない。



 いつも気丈に振る舞うファルシード。

 強く気高く生きる彼には、弱さなどないとリディアは思っていた。

 どんな困難にも立ち向かえる人だと、悲しみなど物ともせずに乗り越えていけるのだろうと、そう思っていた。


 ――でも、それは大きな間違いだったんだ。


 レオンの死という悪夢に震えるファルシードに、リディアの胸はきつく締め付けられていく。


 止む気配のない震えから、レオンの存在が彼にとってどれほど大きいものだったのかを、ひしひしと感じとれた。

 


 ――どうして私は、ファルなら大丈夫だと思ってしまったんだろう。

 リディアは亡き母の姿を思い返し、ぎゅっと目をつむる。


 幾年も時が過ぎたところで、深い悲しみや喪失感が消えることは、ない。

 ただ大切な人が“どこにもいない”という事実を、心が受け入れられるようになっただけだ。

 上手く悲しみを隠すすべを覚えただけで、傷が癒えたように他人から見えるだけなのだ。



 それまで所在無げにしていたリディアの両手。

 たどたどしく動き始めた手は、真っ直ぐファルシードの背中へと向かっていった。


「大丈夫。大丈夫だよ」

 きゅっと力を込めて、抱きしめ返す。

 泣きだした子どもを落ち着かせるかのように語りかけ、優しく肩をさすっていく。



 レオンはもう、この世のどこを探したっていない。

 リディアもそれはわかっていたし、こんなことをしたところで気休めでしかないこともわかっていた。


 気の利いた言葉など浮かばないが、悪夢から救い出すことができれば、と口を開いていく。


「団長もいる、バド君も、カルロさんも、ケヴィンさんだって」

 悪夢にもがくファルシードへ声が届いたのだろうか。

 震えは少しずつ落ち着いてきたように見える。


「大丈夫。私もずっと、貴方のそばにいるよ」

 そう言って抱きしめる力を強めていくと、ようやく彼の震えは止まって力が抜けていき、静かに寝息を立てはじめた。



 リディアは彼を起こさないように注意しながら、身体を抜け出させていき、ぺたんと座りこむ。

 冷たい汗をかく彼の横顔を見て、視線を落とした。


 ファルシードの“これまで”と“これから”を考えれば考えるほどに、鋭い痛みが胸を襲ってきて、苦しみは増していく。



 ――ファル。貴方はこうやって、一人で悪夢に耐えてたの? どうしてずっと、何も教えてくれなかったの?


 両膝をついたリディアは、彼の右手を自身の両手で包み込んでいき、自身の(ひたい)へとあてていく。


「どうか、苦しむ彼に温かく、幸せな夢を……」

 残酷な現実に、そう願わずにはいられなかった。



――・――・――・――・――・――


 穏やかな陽だまりの差し込む部屋で、どこからか軽快な足音が聞こえてくる。


 ――ねぇねぇ、お母さん。聞いて、あのね

 ぼんやりと白く霞んだ世界。

 そこに見えるのはエプロンをつけた母の後ろ姿だった。


 立ち止まって見上げると、振り返って来た母は、濡れた手をエプロンでぬぐい、しゃがみこんで微笑みかけてくれる。


 優しい母は、微笑むだけで何も話さない。

 だが、リディアにはそれで十分だった。


 温かい手が、愛しむように髪を撫でてくれている。

 (ひたい)にそっと、キスを落としてくれている。


 霞んだ世界では、ほとんどの感覚がぼやけているのに、触覚だけは、不思議とリアルに感じた。

 髪の感触を楽しむような指と優しいキスから、愛情が伝わってきた気がして、リディアはふにゃりと笑う。

 途端に、指はぴくりと震えて離れてしまったけれど、母は優しく目を細めていた。


 こうやって、穏やかに微笑む母の顔が、リディアは好きだった。

 思わずエプロンを掴んだリディアは、微笑むように口を開いて、言葉を紡いでいく。


 ――お母さん、あのね。


「私、皆に会えて幸せだよ」

 そっと呟くように言うと、景色は温かさを残したまま、次第に白さを増していく。

 ぼやけた意識の中、「そうか」と、柔らかく笑う低い声が聞こえる。

 やがて、かちゃりと錠がかかる音が聞こえてきて、リディアは我に返り、まぶたを開けた。



「あれ……?」

 起き上がって布団をどかし、辺りを見渡した。

 暗闇に浮かびあがるそこは、物のないすっきりとした部屋で、リディアはいつの間にか自室のベッドで眠っていたようだ。


 ――ああ。私、うっかり寝ちゃったんだ。


 ここに戻って来た記憶がないが、恐らく寝ぼけたまま部屋に戻って、そのまま眠ってしまったのだろう、とリディアは推測した。

 彼女には、そうとしか考えられなかったのだ。


 外は暗く、夜明けにはまだ時間がある。

 眠ろうと掛け布団に手をかけた途端、彼の残り香を感じた気がして、きゅっと体を縮こまらせて、視線を泳がせた。


 ――男の人の腕や背中って、がっしりしてるんだなぁ……


 冷静になって思い返すと、抱きしめられ、さらには抱きしめ返した恥ずかしさが襲ってくる。

 温かい胸板は硬く、腕も力強かった。


 彼の体温と鼓動を思い返すたび、どきどきと胸が高鳴って苦しくなる。

 見張り台で以前、柱に追いやられた時と同じ感覚だ。


 ――私、本当にどうかしてる。ファルを落ち着かせようとしたことなのに、それを恥ずかしがったり、動悸まで出てくるなんて。


 リディアはぶんぶんと左右に首を振って雑念を振り払い、大きく息を吸い込んだ。


 ――裁きの証に苦しんでいるファルを支えていくことが第一。変なこと考えてちゃだめだ。


 リディアは勢いよく寝転び、布団を頭までかぶっていく。

 考えないようにしようとすればするほどに、証のことやレオンのこと、ファルシードのことや先ほどの体温について、ぐるぐると忙しく思い返してしまい、再び眠りにつくことは難しくなってしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 3章を拝読しました。 ファルの過去編となっていましたが、彼の来し方が想像以上に残酷で、リディア同様に唖然としています。 ファルはいくつもの苦しい夜をひとりで耐えてきたのですね…… 証がレオ…
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