自由に焦がれる男
ファルシードを追いかけ、船首甲板についたリディアは、彼の隣に位置どる。
肩の高さほどの身長しかなかった彼も、いつの間にやらリディアの背を追い越してしまっていた。
「レオン、あのさ」
ファルシードは空を仰ぐレオンに、何気ない様子で話しかける。
「ん、どうした?」
「なんで毎度空ばかり見てんだよ。いつも変わらねェし、見たってつまんねーだろ」
呆れ顔で言うファルシードに、レオンは噴きだすように笑った。
「同じでつまらねェと思うのは、まだまだお子様だからだなァ」
「んだと!」
レオンは食ってかかるような態度をされても、たじろぐ様子を見せることはなく、得意気に笑いながらファルシードの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
「オレからすりゃ十五なんざ、まだまだガキさ」
「やめろよ、バカ!」
レオンの手を跳ね除けて、ファルシードは不愉快そうに目を吊り上げる。
それを見るレオンの瞳は優しく、嫌がっていたはずのファルシードもまた、彼から離れようとはしない。
二人は仲の良い親子や、兄弟のようにも見えた。
「……なぜ空を見るのか、か」
レオンはどこか懐かしそうに、青空を見つめる。
首をかしげるファルシードを横目に、彼はそっと呟いた。
「……自由な気がするんだ」
「自由?」
「こうして船の上で空を見ると、世界で一番の自由を手にしているような、そんな気がしてな」
柔らかく穏やかな表情で、レオンは独り言のように言った。
――あれ? “世界で一番の自由”って……
リディアは、泡のように沸き上がる記憶を一つ一つ思い起こしていく。
――そうだ。あの日、あの時の言葉だ。
リディアがファルシードと初めて出会った日、彼がバドに話していた会話の一節。
この言葉がきっかけとなって、リディアは町を飛び出したのだ。
「あれは、レオンさんの言葉だったんだね……」
いまも頭に残っているほど、ファルシードはレオンのことを慕っているのだろう。
視線をファルシードへと移すと、それまで威勢が良かったのに、いまは気まずそうに視線を落とし、苦々しげな表情をしていた。
「“気がする”ってことは……レオンは証のせいで自由になれてねー、ってことか」
リディアは、ぴくりと身体を震わせた。
レオンと同様、自分にも証があり、これがある限り自由の身にはなれないと思っていたのだ。
レオンはファルシードを見おろし、ふんと鼻で笑う。
「いいや。こんな証の制約なんかじゃ、オレは縛れねェよ」
予想外の言葉にリディアは目を丸くして、レオンを見やる。
彼の笑顔は堂々としていて、得意気なようにも見えた。
「じゃあ、自由でいられているってことか?」
ファルシードの問いにレオンは答えようとせず、手すりをつかんで遠くに見える大陸に視線を送った。
「陸の上はどこもかしこも鳥かごの中。教会は人の心をも支配しようとしている。ったく、息が詰まるな」
レオンの言葉にファルシードは無言のままうつむき、苦しげに顔をゆがめていく。
リジム島の襲撃で受けた心の傷は、いまも癒えないままなのだろう。
「おい、ファルシード。お前もこの世に生まれたからには、自由に生きろよ。誰よりも、だ」
まっすぐに瞳を向けられたファルシードは、うんざりだとでも言うように、肩をすくめた。
「レオンはいっつもそればっかり言ってるよな。好き勝手、やりたい放題に生きろってか」
「いや、違う」
「違う?」
あまりにも堂々とした返答に、リディアもファルシードと同時に言葉を発した。
リディアにとって、自由とは“自分のやりたいようにできる環境がある”ことのように思っていたのだ。
それならどういう意味なのだろうと、ファルシードと共に首をかしげていると、レオンは小さく笑う。
「逆にお前に問うが」
レオンの声にファルシードは顔を上げていき、姿勢を正していく。
真剣な表情で言葉を待つファルシードに、レオンは柔らかく微笑みかけて、口を開いた。
「この世界に自由はあるか?」
「……わからない。だが、あるとは思えない」
しばし考えたのちに、ファルシードはそう答えていく。
リディアも同感だと思った。
他人はともかく、少なくとも自分には、そんなものはないと思っていたのだ。
「まぁそうだな。こんな世界じゃ、何が正義で、何が悪かさえもわからない。一見平和に見える日々が、人々の目を曇らせ、心を惑わせている」
リディアは、こくりとうなずいた。
かつては教会の言うことが絶対だと思い込んでいたが、リジム島の襲撃を目の当たりにしてしまった今では、とてもそう思えない。
管理されたこの世界が本当に平和で幸せなのかさえ、わからなくなってしまっていた。
ファルシードも同じように思っているのか、無言のままうつむいている。
レオンは困ったように息を吐いて、再び口を開いた。
「ならば、問いを変えようか。ファルシード、お前が信じるもの、愛するものは、何だ」
問いの意味がわからなかったのだろう。
ファルシードは、無言のまま首をかたむけていく。
そんなことなどお構いなしとばかりに、レオンは畳みかけるように言葉を放つ。
「お前は何を望んで、ここからどう生きていくんだ?」
――レオンさん、何が言いたいの……? 全然“自由”についての答えになってないよ。
回りくどい問いに、リディアは頭を抱えていく。
――もしかして、ファルにはちゃんと伝わっている?
ちらとファルシードに視線を送ると、彼も苦々しい顔をしており、深く息を吐きだした。
「……レオンの話は毎度遠回り過ぎで、わかりづれぇんだよ。手っ取り早く言えっての」
どうやら彼にもレオンの真意は、伝わらなかったらしい。
そんな彼を見て、レオンは声を上げて笑った。
「おいおい、人に聞いてばっかりじゃ、何にもなんねーぞ。要するに答えなんてもんは、自分で見つけるもんだってこった」
レオンはファルシードの頭に手を置いて、髪がぐしゃぐしゃになるまで撫でまわしていく。
「おい、また! やめろよ」
ファルシードが突き放していくと、レオンは高らかに笑い声を上げて踵を返し、ひらひらと手を振った。
「貴婦人を口説くセリフ、笑わずに言えるよう復習しておけよ~」
去りゆくレオンをファルシードは、むすっとした顔で睨むように見つめ、声を荒げていく。
「本当にそんなのが仕事の役に立つのかよ! ったく、もう!」
口元を曲げるファルシードの横に立って、リディアはくすくすと笑う。
「レオンさんって、なんだが不思議だけど、いい人だね」
リディアの存在を認識できていないファルシードからは、当然反応などない。
だが、大きく息を吐く音が聞こえ、リディアはファルシードに視線を送る。
すると、彼は瞳に悲しげな色をうつしており、唇を噛みしめていた。
「レオン。あと……何年?」
そっと呟く彼のこぶしは強く握られており、馬のように大きくなったノクスが、心配そうに彼へと寄り添っていったのだった。