星の舟
泣き疲れてしまったのだろう。
ファルシードは眠りに落ち、舟の上でノクスと共に丸くなっていた。
少年の頭をそっと撫でた金髪の男は、静かにオールを漕ぎ始める。
向かった先は、リジム島からそう遠くない場所にある無人島だった。
浜辺にたどり着き、そこで過ごすうちに、夜を迎えていた。
頭上には零れ落ちそうなほど星が煌めいており、穏やかな夜に、日中の出来事がただの悪夢のように思えてくる。
やがて、水平線から一隻の帆船が近づいてきて、上陸のためのボートを漕ぐ男が見えた瞬間、驚きのあまりリディアは声をあげた。
「団長!?」
いまよりも少しばかりスリムな体型をしてはいるが、もっさりとしたひげと、どこか優しげな瞳を持つ彼は、まぎれもなくライリーだった。
よく見ると、向こうに停泊している船も、見慣れたフライハイトの船だ。
「レオン、そいつは?」
上陸したライリーは金髪の男に歩み寄って尋ねる。
ファルシードは警戒したのか、レオンと呼ばれた男の陰に隠れてライリーの出方をうかがっている。
そんなファルシードを見て、レオンは寂しげに笑った。
「リジムの民。救えたのはコイツ一人だ」
「そうか……。おい小僧」
ライリーに呼びかけられたファルシードは、後ずさりをしていく。
「コイツ、言葉がわかんねーんだ。古代言語を使ってるらしくてな。ライリーは話せるのか?」
「古代言語ぉ? んなもん知るか。熱意さえこめりゃ、何でも伝わる」
「はぁ……相変わらずバカな野郎だ」
ライリーは自信満々といった表情で、レオンは呆れたようにため息をついた。
「おれはライリー、お前の味方だ。仲間に来い」
精一杯の笑顔を作って話しかけているが、かえってうさんくさく見えたのだろう。
ファルシードの眉はますます寄っていき、訝しげな顔をしている。
無言のまま睨むように見つめていたファルシードだが、目の前に差し出されたそれに表情を緩ませた。
「友好の証は一緒、だろ?」
ライリーは、いつものように豪快に笑う。
差し出された岩のような右手を、ファルシードは恐る恐るとっていった。
「レオン。ライリー」
ファルシードは男たちの名を呼び、今度は自分の胸に手を当てて口を開く。
「ファルシード。ノクス」
名を呼ばれたノクスは、嬉しそうにキュルキュルと鳴いた。
「そうか、二人とも良い名だ。行こう、ファルシード、ノクス。あの船が今日からお前らの家だ」
レオンは柔らかく微笑み、足を踏み出す。
彼らを乗せたボートは船を目指し、星屑の海を渡るように進んでいく。
未だ煙を上げ続ける故郷を遠くに見たファルシードは、祈るように手を合わせ、自分の瞳と同じ色の宝石がついた首飾りを引きちぎった。
そして、それを亡き仲間たちに捧げるかのように海へと投げ入れたのだった。
――・――・――・――・――・――・――
海鳥の鳴く声と、釣りをする団員たちの声がする。
天を仰げば、眩いほどの太陽があり、雲ひとつない青空が広がっている。
気持ちの良い天気ではあるのだが、それとは反対にリディアの表情はひどく曇っていた。
「ネラ教会って、いったい何なの……」
口元を曲げて甲板の柵にもたれるように立ち、呟く。
誰にも見られないのをいいことに、リディアは先日、ライリーとレオンの話を盗み聞きしてしまい、ネラ教会の裏側を垣間見てしまったのだ。
「さすがにこれは、おかしい、よ」
目を閉じるとまぶたの裏側に、炎に包まれた島と、ファルシードの泣き顔がよみがえってくる。
リディアはうつむいて、手すりを強く握った。
レオンによると、リジム島はネラ教会の管轄下にない島ということだった。
あの島にネラ教の教えはなく、“リジム”という考え方を基に、彼らは生活をしていた。
――リジムとは、すなわち魂のこと。全てが神様……か。
空を見上げて、大きく息を吸い込む。
“存在する全てのものに魂が宿り、草も土も空も全てが神に繋がっている、という考え方が、あの島では当たり前のことだったんだ”とレオンはライリーに語っていた。
――唯一神のネラ教と真逆なのは、そうなんだろうけど。でも、だからって……
何度考えてみたところでカーティス大神皇の行動に納得がいくことはなく、心のもやは晴れないままだ。
すでに八大陸全てで他の宗教は廃絶、ネラが唯一の神とされ、古代言語もネラ教会の手により消滅させられていた。
否、正確には“消滅したことになっていた”ようだ。
実際のところ、大陸から離れた小島は、例外的に信仰や言語について目をつぶられており、航路の制限と海図の改ざんのみ、という状況にあったようだ。
だがそれを、新たに助神皇の地位に就いたカーティスは、よしとしていなかったのだ。
“平和を保つためには、犠牲もやむなし”と、リジム島を滅することに決めたらしい、ということがレオンの情報で明らかになった。
元々海図に載らない島だということもあり、消滅してしまったことなど、誰も知る由もなく、襲撃についても隠ぺいされてしまったようだ。
「他にもやり方はあるはずなのに。どうしてなんだろう、ね」
すぐそばを通り過ぎていくファルシードに声をかけるが一切反応はなく、リディアはうんざりとする。
――ずうっと無視されてるみたいで、悲しくなるよ。
聞こえないことはわかっていたが、当てつけのように深く息を吐いた。
リディアは、ファルシードの背中に視線を送る。
あれから場面は目まぐるしく移り変わっていった。
映像が切り替わるたびに、彼の身長は伸びていき、声も低く、体つきもたくましいものへと変化していた。
壮絶な過去を持ち、盗賊団という環境にいるせいだろう。
いまのファルシードからは、明るく穏やかだった少年時代の影を、全くと言っていいほどに感じられなくなっていた。
目つきは鋭く、言葉遣いや態度まで荒くなり、まとう雰囲気までも、どこか張り詰めたものを感じさせてきた。
十五歳前後と思われるファルシードはまた、レオンの方へと向かっているようだ。
レオンは船首甲板に立ち、何をするでもなく、ぼんやりと空を眺めている。
彼はフライハイトの副団長をしているようで、どうやら神官の姿は、教会に潜入するためのものだったらしい。
――ああ。レオンさん、また空を見てる。
彼の横顔は、時には優しげに、時には寂しげにも見えて、リディアにはレオンという男が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
何度場面が移り変わっても、レオンは甲板で空を眺めており、隣にはいつもファルシードとノクスがいた。
「レオンさん、やっぱりファルのお父さんなのかな」
レオンの左胸に証があり、未来のファルシードにそれが移っている以上、二人が血縁関係であることは間違いない。
「でも、そんなに似てないしなぁ……」
二人を交互に眺めてみても、髪の色から瞳の色、顔つきも違っており、二人が親子であるようには思えなかった。
「私が知らない何かがあるのかも。情報を集めなきゃ!」
前を見据えて、きゅっと口元を結ぶ。
跳ねるように強く足を踏み出したリディアは、ファルシードの背中を追いかけて、船首甲板へと向かったのだった。