知りたい理由
落ち着きを取り戻したリディアは立ち上がり、甲板へと降りて廊下を進む。
すると、団長室から人が下りてくるのが目にとまった。
「団長、こんな時間にどうされました?」
何の気なしに問いかけると、ライリーは酒瓶を掲げて笑う。
「晩酌用の酒が切れちまってよォ。分けてもらおうと思ってな」
「うーん……船員室に行っても、分けてもらえないと思いますよ」
「そりゃまたどうして」
「レヴィさんが“必要以上に飲ませないで下さい”って皆に言ってまわってたので」
リディアは、眉間にしわを寄せたレヴィの顔を思い出して、乾いた笑いを漏らした。
航海士であるレヴィは“酔っ払って役に立たない時がある”と、ライリーの酒癖について嘆き、先手を打つようになったのだ。
「ったく、アイツは小姑かよ」
ライリーは深く息を吐きながら頭を掻いていき、リディアはくすくすと笑う。
「皆、団長のお身体の心配をしてるんですよ」
「ありがてェんだが、酒がねぇ夜ってのは、なんとも退屈なもんでよォ」
ライリーは空の酒瓶を振りながら肩を落とし、リディアは“退屈”という言葉に耳を動かした。
ファルシードの過去について、カルロが“団長から口止めされている”と言っていたことを思い出したのだ。
「あの、もしお暇でしたら、私と少しお話ししてくださいませんか?」
前のめりになって尋ねると、ライリーは目を丸くしながら豪快に笑った。
そうやって笑われる理由がわからないリディアは、おろおろとうろたえていく。
ライリーはひとしきり笑った後に、にやつきながらリディアを見つめてきた。
「お前さんはおれと話がしたいんじゃなくて、小僧と証について知りたいんだろう。違うか?」
心を読まれたことに動揺し、リディアの顔は瞬時に赤く染まり上がる。
「どうしてそれを……」
「カルロがおれに情報を寄こしてきたからさ。それにお前さんは、ちぃっとわかりやす過ぎるなァ」
「ううう……」
したり顔を浮かべるライリーに、リディアは、いたたまれなくなってうつむいた。
「まぁ、立ち話もなんだ。おれの部屋に来い」
「すみません」
リディアはぺこりと頭を下げていき、緊張しながら団長の後を追いかけていった。
――・――・――・――・――・――・――・――
「そこ座んな。茶や菓子は出せねぇが」
「そんな、お構い無く」
二人は団長室へと入り、机をはさんで向かい合わせに座った。
ライリーの部屋は相変わらず酒臭く、床には空き瓶が転がっている。
あまりの数に、航海士でなくとも彼の身が心配になるのは仕方ないように思えた。
「証の件は知っているんだろう? 小僧が仕方なしに見せたと言っていた」
ライリーは視線を落とし、小さく息を吐いて呟く。
「はい……」
「お前さんは何が知りたい。証についてか、小僧について、か」
ライリーの表情は険しく、あまり口にしたくない話題だということが、うかがい知れる。
それでもリディアは負けじとこぶしを握り、口を開いた。
「両方です。ファルに聞いても、何も教えてくれないんです」
「ま、そりゃそうだろうなァ。アイツは頑固だからよ」
「カルロさんに聞いても、団長から口止めされてるって言われて……」
「だからおれのところに来た、と」
リディアはまっすぐにライリーを見つめ、無言のままうなずいた。
もしライリーも口を噤むのならば、ファルシードの過去や証について、知ることはできないだろう。
それがわかっていたリディアは、何としてでも教えてもらおうと必死だった。
「ま、理屈はわかったが、お前さんは証と小僧について知って、どうするつもりなんだい?」
「どうするって、どういうことです?」
意味がわからず、眉を寄せていく。
「他人の過去や苦しみなんざ知ったところで、互いに辛くなるだけだろう。ただの興味なら……」
「興味だけじゃないんです!」
リディアは立ち上がって大声を上げていき、ライリーはあまりの勢いに目を見開いてきた。
「すみません……」
ぼそりと謝って再び椅子に腰かけると、ライリーは微笑むように目元を細めてきた。
「リディア、お前さんは小僧のことをどう見ている?」
しばし考えた後、リディアはたどたどしく語る。
「ファルは自分の考えをしっかり持っていて、揺らがない。強い人だと思います」
「まぁ、そうさなぁ」
「でも、時々悲しい顔をすることがある。なぜか他人と距離を置いて、一人になろうとすることがある……」
リディアは視線を落とし、スカートを握りしめた手をぼんやりと見つめた。
「ほう……」
「私はファルに助けてもらってばっかりで、何も返してあげられてなくて。もしもファルが困っていることがあるのなら、支えになりたいんです」
わずかに震える声でリディアは言う。
どんなに近づきたくても、ファルシードはそれを許してはくれず、常に一定の距離を保たれていることに、リディアは寂しさを感じていたのだ。
「私も……ファルに必要とされたいんです」
「そうか。そんなにも想ってもらえて、アイツは幸せモンだねェ」
「ひどいこともいろいろ言われたけど、ファルがいなかったら、きっと希望も見つけられなかった。だから、ちゃんと恩返しがしたくって」
「ふーん。恩返し、ねぇ。おれには、それだけじゃないようにも見えるが」
ライリーは穏やかに微笑み、呟くように言ってくる。
「え……?」
意味がわからず、リディアは小首を傾げた。
リディアにとっては“恩返し”以外の目的は、何もないように思っていたからだ。
「まぁ、いいさ。そのへんはおいおいで」
「ええと、どういうことです?」
きょとんとするリディアをライリーはくつくつと笑ってきて、リディアの疑問は深まる一方だった。
「いいぜ、リディア。教えてやるよ、昔アイツに何があったか。だが……」
「団長……?」
ライリーの口が途端に重くなり、リディアの表情もわずかに緊張の色が増す。
「知らないほうが幸せかもしれねぇ。知っちまって後悔したって、もう遅いんだ。それでもいいのか」
ライリーは不安げな表情でリディアを見つめてくる。
リディアは口を真横に結び、大きくうなずいた。
「カルロさんが言ってました。知らないことと、なかったことは同じじゃない、って。どんなに苦しい話だとしても、私は知らないほうが辛いです」
「そうか……」
ライリーは視線を落として微かに笑い、ゆっくりとファルシードの過去について語りはじめたのだった。