彼らの出会い
血なまぐさい描写があります。
苦手な方はお気をつけ下さい。
「ごめんなさい、嫌なことを思い出させてしまって」
申し訳ないとばかりにリディアが縮こまると、カルロは誤魔化すように笑う。
「いいんです。忘れてはならない大切な記憶なので。それに……」
「……どうしました?」
もったいつけるようなカルロに、リディアは首をかしげる。
わずかに顔を強張らせたカルロは、シャツの上から自身の左腕をさすりはじめた。
「この話にはまだ、続きがあるんです。キャプテンについての、ね」
――・――・――・――・――・――・――
それからカルロは、過去の出来事について淡々と語ってきた。
あまりにも凄惨で壮絶な過去に、リディアの顔は凍りつき、青白くなっていた。
「そ、んなことって……」
カルロの話が一段落し、リディアが絞り出した声は、ひどく震えている。
衝撃から、まともに彼の顔を見ることさえできずにいた。
「僕は、こんな物騒な作り話を女性にするような男じゃありません」
カルロはシャツの袖を、ゆっくりとめくっていき、さすっていた左腕を露にしてくる。
リディアは、うっと顔を歪ませた。
前腕に、肉が盛り上がって痕になっている傷があったのだ。
「刺された時の、ですか……?」
リディアの問いに、カルロは無言のままうなずく。
そこにいつもの笑みはなく、かつて心に受けた傷の深さを感じさせた。
憎らしげに傷を睨みつけたカルロは、それを一撫でし、ぎり、と歯噛みする。
「僕はね、傷を見るたびに思うんです。この世界は何かがおかしい、と」
カルロが語ってきた“続き”の話……それは“撃たれた父を背にして、逃げてしまった”という言葉から始まった。
戦う術もないカルロは震える足で町へと逃げたのだが、ネラ教会が絶対であるこの世界で、逃げる場所などあるはずもない。
ネラ教の信者たちも、教義に背くシュバリー一家を許してはくれず、カルロは捕らえられてしまったのだそうだ。
抵抗したカルロは、広場で磔にされ、蔑みの視線を送られた。
村人たちから罵倒され続けるカルロを前にし、エドガー司祭は民を先導するように、こう言ったのだそうだ。
「悪魔に魅入られたシュバリー家を、決して許してはならぬ。悪魔を滅せよ」と。
エドガー司祭は、取り出したナイフでカルロの腕を刺して民を煽り、その場を去ったようで、指示通りに同郷の民は石をぶつけたり殴ったりしてきたらしい。
“あの日はずいぶんと惨い仕打ちを受けました”とカルロは小さく息を吐き、二人の話は一区切りを迎えていた。
「ひどい……村の人もなんで、そんなことしたの……?」
泣き出しそうな顔でリディアがうつむくと、カルロは袖を元に戻し、自嘲気味に笑う。
「村人たちが信じてしまうのも、仕方がなかったのかもしれません。古代文字の研究は、暗黒竜復活のためだ、と、こじづけられてしまいましたし、ネラ教の教えは、民にとって“絶対”ですから」
「でも、だからって……」
「リディアさんは、優しいですね。大丈夫。僕はシルヴァ村の皆を憎んではいませんから。ただ、悲しかったですけどね」
「カルロさん……」
寂しげな微笑みに何も言うことができず、ただ胸を痛めることしかできない。
リディアは自分の無力さを呪った。
「古代文字に関することのほか、謂われのない罪までもかぶされた僕ですが、いよいよ足元に油がまかれ、火あぶりで処刑されそうになりました」
火あぶり、という物騒な単語に、さぁっと血の気が引いた。
無事だったというのはわかっているが、恐ろしさのあまり、ぶるりと身体を震わせる。
一瞬にして表情が変わったリディアの様子がおかしかったのか、カルロはくすくすと笑い、再び口を開いた。
「そんな時、聞き覚えのない声がしたんです。“司祭の言葉は真実か?”と」
「もしかして……それがファルだったのですか?」
「ええ」
カルロは、にこりと微笑みかけてくる。
穏やかないつもの笑顔にリディアは、ほっと胸を撫で下ろしていった。
仲間が苦しむ顔など、これ以上見たくはなかったのだ。
「僕は“父は純粋に歴史を知りたくて、古代文字を学んでいただけなのだ”と、力の限り答えました」
「それで、どうなったんですか?」
興味津津なリディアに、カルロは兄のように微笑みかけてきて、続きを語ってくる。
「人垣の向こうで、キャプテンは“生の代償に賊と呼ばれ、憎まれる覚悟はあるか”と問うてきました。僕は、それに必死にうなずきました。あんなところで、死にたくはなかったんです」
カルロが言うには、その後ファルシードはどこからともなく漆黒の棍を取り出して、広場を駆けたのだそうだ。
立ちはだかった者たちの合間を縫うたび、一つ、また一つと呻き声が響き、地面には、痛みに悶える信者たちが転がったのだ、とカルロは話した。
「それで、ファルがカルロさんを助けてくれたんですね」
ほっとして微笑むリディアだったが、カルロはなぜか苦笑いを浮かべてくる。
「それがですね、生と死の狭間に置かれた僕は、おかしくなっていまして。黙っていればよかったのに、つい余計なことを口走ってしまったんです」
「余計なこと?」
「“古代文字を知られたくないのは、何か隠したい真実があるからではないか”と。そして、僕はこうも言いました」
きょとんとしているリディアなどお構いなしとばかりに、カルロは冷笑を浮かべて、再び口を開いた。
「こんなカルト教など、クソくらえ、とね」
ぎょっとして、目を大きく見開く。
かつて、ミディ町のハンス司祭が口癖のようにこんなことを言っていた。
ネラ教だけが真実であり、他は全て“カルトである”と。
民にとってもそれは共通認識で、決して反論は許されない。
それなのに真っ向から教会を否定する人がいたことに、衝撃を受けたのだ。
「ええ。そんな顔されるのもわかります。今思えば大馬鹿でした。侮辱に激昂したネラ教徒が、僕を鍬で殺そうとしてきたんです」
「だ、大丈夫だったんですか……?」
恐る恐る尋ねると、カルロは頷いた。
「鍬を振り上げてきた瞬間、突然夜を迎えたかのように、闇が僕の周りを包んできたんです」
「闇……?」
「ええ。辺りは混乱に陥り、騒然としていました。ですが、やがて短いうめき声と共に、しんと静かになったんです」
「どういうことですか?」
「僕にもわかりません。キャプテンはああいう人なので教えてくれませんしね」
カルロは困ったような顔で笑い、リディアも彼と似た表情を浮かべた。
「そして」と彼はまた、続きを話し出す。
「夜闇の幕を取り去ったかのように視界が開けまして、僕は恐ろしいことに気付いたのです」
「一体、何があったんです?」
「……広場の者たち全員が意識を失い、地面に倒れていました。立っていたのは黒髪の男だけ。しかも、息は荒く、顔も青ざめ、今にも倒れそうにふらついていました」
「ファルが何かした、ってことですか?」
「恐らくは」
リディアは口元に手をあてて、考え込む。
証について思い出し、“呪い”と“裁き”その言葉が頭をめぐる。
――もしかして、ファルが魔力を使って気絶させた、ってこと……?
魔力を持つという祈りの巫女や神の使いだが、使い方など誰からも教わらない。
使用を禁じられていることもあり、魔法は使えるものだという認識もなかった。
思考はめぐり、視線を落として唸り続けていく。
そんなリディアを見つめてきたカルロは、自身の過去の物語について、こう締めくくった。
「闇の真相はわかりませんが、キャプテンは僕を解放し、崩れ落ちるように倒れました。“港にいるライリーの元へ向かえ”そう言い残して」――と。