自由を奪う蛇
それからリディアは、ますますファルシードの部屋に入り浸るようになった。
これまで抑圧されていた反動からか、片っぱしから本を読み続けていたのだ。
読書の合間にも証についてしつこく聞いたが、ファルシードが堅い口を割ることはなかった。
散々付きまとってようやく聞き出せたことは、左胸にある証が『裁きを司る証』で『呪いじみたものだ』ということだけだ。
「裁きと呪い、か……」
甲板に出て呟く。
塩辛い風がそっと吹き付けてきて、リディアの髪を撫でてくる。
遠い視線の先には、ファルシードがいた。
船首甲板で居眠りをするノクスの隣に立ち、一人で空を見上げている。
――そういえば初めて会った日、バド君が“よく空を見ているのはどうして?”と、ファルに問いかけていたっけ。
ファルシードを見つめながら、思い返す。
――それでファルは、なんて答えた? ……ああ、思い出した。“海上で空を見ると、一番の自由を手にした気がする”って恩人が言ってて。だから同じように空を見てるんだ、って返してたんだ。
「ねぇ。“自由”って何だろうね……」
遥か遠くにいるファルシードの背中にそっと問いかける。
あの日、ファルシードは“未だにその意味がわからない”と言っていた。
もしかすると、胸に輝く証のせいで見つけられないのだろうかと考える。
ネラ教会に追われているリディアも自由の身とは到底言えず、世界で一番の自由がどんなものなのか、よくわからないままなのだ。
――・――・――・――・――・――・――・――
突如として、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
慌てて見張り台を見上げると、ケヴィンが鐘を叩き、大声を上げている。
「進行方向にモンスターの影あり! 定位置につき、団長の指示を待て!」
鐘の音とケヴィンの声に、団長と航海士であるレヴィがどこからか飛び出してきて、船尾甲板へと駆け上った。
「野郎共、とっとと位置につけ! ひとまず出方をうかがう。落水には注意しろよ!」
団員たちは「アイ・サー」と声高に返事をして甲板を駆け、舵棒と、帆を操るロープの前に位置どったり、大砲の弾を運んだりしていた。
一方、ノクス以外のモンスターを見たことがないリディアは、おろおろとうろたえていた。
「どうしよう、私、何をしたら……」
「リディアさん。大丈夫ですから、貴女は僕とここで待機しましょう」
柔らかい声に顔を向けると、そこにはカルロがいた。
「あの、モンスターって……」
恐る恐るリディアが問いかけると、カルロはにこやかに微笑みかけてくる。
「大型の生物で、人を襲う種のことですよ」
「それは知ってるんですけど、どこに……?」
進行方向に影と言われて船首を見たのだが、どこにもそんなものは見えなかったのだ。
「うーん。あれでしょうね、きっと。気取られたのを察知したのか、移動したみたいです」
カルロは右舷方向を指差し、あっけらかんと言う。
じっと目を凝らして見つめたリディアは顔面を蒼白にさせ、わなわなと震えて慌て出した。
「あ、あああああれって、大きすぎですから!」
海面が何者かに押され、徐々に盛り上がってきている。
それに伴い、波が押し寄せて船が揺れはじめ、リディアはおぼつかない足元で必死にバランスをとっていった。
「よし、弾を込めろ!」
「アイサー!!」
ライリーの大声と団員たちの声が聞こえる。
こんなにも緊迫感に溢れる団員たちを見たことがなく、リディアの額からは冷たい汗が垂れていく。
巨大な怪物の影を目の当たりにしてしまった以上、大丈夫だなんて、とても思えない。
そう思いながら隣に立つカルロを見上げると、彼は楽しげな顔で笑っていた。
「いま必死に弾込めてますけど、使わないまま終わるでしょうね。あれは海蛇だと思うんで、キャプテンが全部済ませちゃいますよ」
「それってどういう……」
意味ですか、と尋ねようとした途端、意気込んだ様子のバドが甲板に躍り出てきた。
「うっし、久々のモンスター! 俺がいっちょカッコいいとこ見せてやるっス。さぁ、出てこい!」
バドは腰をわずかに落として、海面を見やる。
すると、ほぼ同時に海面が山のようにせり上がり、人を丸飲みできそうなほど巨大な海蛇が現れた。
水飛沫と揺れとが、船を襲いくる。
団員たちは皆、重心を落としたり、手近にあるものに捕まりそれに耐えた。
巨大な海蛇のオリーブ色の瞳は、獲物を見定めるように鋭く光っている。
甲板にいる団員たちを見やり、美味しそうだとでも言わんばかりに口を開いた。
シュルシュルという音と共に、鋭利な牙と二又に分かれた舌が現れ、リディアはぞわりと体を震わせる。
死を予感させてくるモンスターの恐ろしさとおぞましさに、全身の血が引く感覚がしたのだ。
一方で、バドは恐怖を感じていないのか、前歯を見せて得意気に笑っていた。
「今回は巨大海蛇だな! ようし、先制攻撃は俺が……」
バドは腿に固定している銃に手を伸ばすが、それと同時にファルシードがバドのそばにやってきて、口を開いた。
「借りるぞ」
「え、ちょっとキャプ」
バドが言い終えるよりも早く、ファルシードはバドの銃を奪い取り、数発、弾を放つ。
恐らく特殊な弾だったのだろう。
ヘビの喉で爆発が起こり風穴が開く。
「おい、ノクス」
ファルシードの声に、昼寝をしていたはずのノクスは起き上がり、羽を広げた。
手首をくい、と動かして合図をされた途端、ノクスの瞳は金色へと変わり、顔つきまでも狂暴なものへと変化する。
歓喜するように嘴を開いたノクスは、モンスターとしか思えぬ金切り声をあげて羽ばたき、海蛇に突撃する。
海蛇は鋭い爪と嘴で容赦なく肉を引きちぎられて暴れていたが、やがて大量の血を海面に滲ませながら、沈んでいった。
「リディアさん? あの、リディアさんってば。ぼおっとしちゃって、大丈夫ですか」
「あ、ええと、ちょっとびっくりしちゃって」
カルロの声に、我に返ったリディアは顔をひきつらせて笑う。
ノクスもファルシードも自分の知っている姿とは大きく違って見えたのだ。
大砲の弾を運んでいる最中だった団員は、リディアの隣で足を止め、苦笑いを浮かべた。
「キャプテンとノクスのヘビ嫌いは、度を超えているからなぁ。仕方ないさ」
「まぁ、カーティスのせいでしょう。あの人いつもヘビ連れてるらしいですから」
カルロは呆れたようにため息をついた。
「え! カーティスって、ネラ教のトップの……」
ぴくりと身体を動かしてカルロを見やる。
――そういえば、エドガー司祭に“カーティスに伝えておけ”とファルは言っていたような気がする。
難しい顔をするリディアを見つめてきたカルロは、にこりと微笑んで口を開いた。
「ええ。カーティスは若くして大神皇の地位につき、ネラ教会のトップに君臨している者の名です」