いつもとは違う朝
「結局、聞けなかったなぁ……」
家へと戻ったリディアは灯りをつけることもなく、同じように机に突っ伏していた。
「言いつけ、いくつ破っちゃったんだろう。日没後、家を出てはならない。夜間、人に会ってはならない。お酒を飲んではならない……お酒は飲んでないからセーフ、かな。いや、アウト、だろうなぁ」
月明かりに浮かぶ手を見つめながら犯した禁忌を指折り数え、自嘲気味に笑った。
言いつけを破った者はどうなるのだろうか。
禁忌と言われるほどの代物、与えられる罰は並大抵のものではないのは確かだ。
リディアは左胸に輝く巫女の“証”に、そっと触れ、玄関に視線を送る。
酒場を飛び出してから時間がたっているにも関わらず、誰かが咎めに来る気配は、ない。
恐らく黒髪の男はリディアの素性に気づきながらも、夜間の外出を黙認したのだ。
なぜ教会に密告しないのか知る由もないが、不幸中の幸いといえよう。
だが、リディアにはもう、それを喜べるほどの気力はなかった。
「祈りの巫女って、私って、いったい何者なの……」
自身の運命を嘆きながら呟き、きつくまぶたを閉じていく。
重苦しい身体を机に貼り付けたまま、夜は刻々と更けていった。
――・――・――・――・――・――
小鳥のさえずりが聞こえ、寝息を立てるリディアにまばゆい光が降り注ぐ。
あのままリディアは、机の上で眠ってしまったのだ。
陽の光を浴びてもなお眠り続けるリディアを起こしたのは、コンコンと扉を叩く硬い音だった。
「なんの音……?」
しょぼつく目をこすり、寝ぼけたまま辺りを見回した。
起きる場所は違えど、いつもと同じ朝。
代わり映えのしない一日がまた始まる。
そう信じて疑わなかったが、すぐにそれは間違いだと知ることとなる。
「リディア、約束の時間です。お迎えにあがりましたよ」
玄関からハンス司祭の声が飛び込んできたのだ。
残酷な知らせにリディアの顔からは血の気が引いていき、一瞬にして思考も止まった。
玄関から視線をそらしたところで、握りつぶされた手紙と金色の封筒の存在が現実を突きつけてくる。
十八歳になった今日は、愛してもいない男の妻になる日だ。
祈りの巫女の使命からは決して逃れられないのだ、と。
「し、司祭様、すみません。今起きたばかりなので、着替えと支度をさせてください」
「承知いたしました。ですが、急ぎでお願いしますよ」
扉の向こうから聞こえる声や、複数の人の気配に、ボタンをとめようとするリディアの指先が小刻みに震える。
すぐに着替えを済ませなければならないのに、指先でボタンが暴れた。
「持ち物は必要ありません。あちらで用意してくださっていますし、着替えるだけで良いのです。夫となられるピート殿は信仰心に厚く地位もあり、金銭的にも豊かで、素晴らしい方です。巫女が来るのを心待ちにしていましたよ」
権威を振りかざして暴力を振るう姿を見ているリディアは司祭に反論しようとするが、すぐに言葉を飲み込んだ。
口答えなど許されるはずがないのをわかっているからだ。
――私は、あんな人に身体を許さなければいけないの……?
すぐに訪れるであろうその時を思うと、恐ろしさと汚らわしさで吐き気がこみ上げてくる。
心を落ち着けようとリディアは強く身体を抱きしめたが、震えは止むどころかさらにひどくなっていた。