変わりゆく心
それから数日の時がたち、フライハイトの船は変わらず大海原を突き進んでいる。
幸いなことにネラ教会の船に遭遇することもなく、船は以前と同じように落ち着きを取り戻していた。
リディアは毎日のように、証についてファルシードに尋ねているが、何度聞いたところで返事は得られないまま。
彼にとっては、よほど言いたくない話なのだろう。
今日もリディアは、ファルシードの部屋に入り浸っていた。
証について話してくれるのを待つというのもあるが、主に本を読むためだ。
ファルシードはいつものようにソファで本を読んでおり、リディアはラグの上に座り込んで、子ども向けの本を食い入るように見つめていた。
「えぇと……おじょうさまは、ゴードンと、しあわせにくらしましたとさ。やった、読めた! 読めたよファル!」
リディアは読みあげた絵本を見せびらかすように掲げた。
「ジィサンじゃあるまいし、デケェ声出さなくとも聞こえる」
ファルシードが大きなため息をついてくるが、そんなことなどお構いなしなリディアは、達成感に満ちた顔で笑った。
「だって、長い文章の絵本が読めるようになったんだよ。次はバルバリの航海日誌に……」
以前渡された本の名前をあげていくと、ファルシードはあきれ顔で立ち上がり、箱の中の本を一冊、頭の上に乗せてきた。
「航海日誌に挑戦できるわけねェだろうが。次はコイツでも読んでろ」
頭の上から受け取ったリディアは、タイトルを読みあげる。
「これは……まめをまく鳥のものがたり? これも、面白そうだね!」
リディアは、にっと口角を引き上げて、待ちきれないとばかりに本を開いていく。
「いつまで居座る気なんだか」
ファルシードはため息をついてくるが、その顔はどこか微笑んでいるようにも見えた。
時間をかけて課題の本を読みあげたリディアは、背伸びをした後、木箱の中にそれを戻していく。
ふと顔を上げると、ファルシードは相変わらず小難しそうな本を読んでいた。
「ねぇ、ファル。ネラの標って本当にあるのかな。私、いつか読んでみたいんだ」
ネラの標……それは、ネラ神が生まれて以降千年の歴史が書かれている本だと言われている。
幻の書と言われるほど、手に入れるのは困難であり、交易商をしていたライリーですら見たことはないと言っていた。
ネラの標はあるのか、という問いに、ファルシードは興味なさげに返してくる。
「ある……というより、あった。数百年前にネラ教会が回収し、代わりにネラ新書という本を配布したらしい。どうせ、ネラの標のほうには、都合の悪いことでも書かれてるんだろう」
「そっか。それならなおさら読まなきゃだね!」
「いやにやる気だな」
ファルシードの言葉に、リディアは自信に満ちた顔で笑う。
「だって私、あの日に決めたの。運命に立ち向かうんだ、って。どんなに大変な道でも、絶対真実を知るんだ、って」
ファルシードはわずかに目を見開いて起き上がり、ソファに腰掛ける。
「そうか」
「うん。もう二度と、心を縛らせたりなんかしない。私の命も、人生も、全部私のものなんだから!」
強い瞳で言い放つリディアに、ファルシードはどこか満足気に両口角を引き上げていた。
「へぇ……」
「へぇ、ってなに……あ、もしかして私、また変なこと言ってる?」
「いや。間違ったことは言っていない。何一つ、な」
不安がるリディアを見てきて、ファルシードは笑う。
いつもの不敵な笑顔が柔らかく見えて、胸の奥がとくんと静かに動いたのだった。