ようやく叶った願いごと
いいようにあしらわれたリディアは本を抱きしめたまま、その場で座り込んでいた。
借りた本をどうしたものかと悩んでいたのだ。
「なんだ、いつまでも男の部屋に居座って。襲われてェのかよ」
「違うよ!」
呆れたようなファルシードに、リディアはまた顔を赤くさせて、たどたどしく反論をはじめた。
「あの、私ね、ええと……文字がね、その、読めないの」
「は!? あんなデカイ町に住んでて、文字を知らねェのか」
ファルシードは信じられない、とでも言いたげな目で見おろしてくる。
辺境の村の住人や孤児ならまだしも、それなりの生活水準にあった者が文字を読めないなど、聞いたことがなかったのだろう。
「仕方ないでしょ、教えてもらえなかったんだもん」
しょんぼりと視線を落とし、本を強く抱きしめた。
識字率が高いこの世界で、文字が読めないのは異常だということは、リディア自身もわかっていたのだ。
「教えてもらえない、だと」
「うん。何度頼んでも“巫女に文字は不要だ”って断られたの。十も年下の子ですら本を読めるのに、私は読めないんだよ。恥ずかしくて、寂しくて、すごく……つらかった」
過去の日々を思い返したリディアは、悲しみが混ざった笑みを浮かべた。
「……なるほど」
リディアの話を聞いたファルシードは、忌々しいとでも言いたげな表情で小さく息を吐く。
「どうしたの?」
「恐らく、反逆を防ごうとしたんだろう。巫女に伝達手段や知識を与えず、囲うことで、な」
ファルシードの推測に、リディアは自嘲するように笑い、うなずいた。
「言われてみれば、確かにそうかもしれないね。……この本、残念だけど返すよ。私には、読めないから」
部屋へ戻るために立ちあがろうとすると、ファルシードは「待て」と制してきた。
「そこにいろ」
彼は本棚へと向かい、一番下にあった木箱を取り出していく。
リディアには、ファルシードが何をしようとしているのか皆目見当もつかず、無言のまま彼の背中を見つめ続けた。
「確か、ここに……ああ、やっぱりそうだ」
古ぼけて色もさめた木箱を抱え上げたファルシードは、それをリディアの前にどすんと音を立てて置いてきた。
辺りにホコリが舞い、リディアは思わず咳込んでしまう。
どうやら、ずいぶんと長い間置きっぱなしになっていたようだ。
ファルシードがホコリを払い、フタを持ち上げると同時にリディアは中を覗きこむ。
「これって、絵本?」
そこには大量の絵本や子ども向けの本が詰め込まれていた。
「文字を知らない団員は、これで字を学んでいる。これなら見ているうちに覚えられるだろう?」
ファルシードの言葉にリディアは絵本を手に取り、心を躍らせながらページを開いていく。
そこには、笛や、ネコ、りんごといった様々な絵が描かれており、その下に文字が書かれていた。
リディアは絵本を食い入るように見つめ、文字を指でなぞりながら、一つ一つ言葉を呟く。
「これは、ふ、え。こっちは、ね、こ……」
そして、全部を読み上げた後に夢中で次のページをめくった。
そこに絵は描かれておらず、文字だけが書かれている。
「この字、さっき見た気がする。確か笛のふ、とネコのね。船、だ! すごい、私でも文字が読めたよ。ファル、ありがとう!」
勢いよく顔を上げたリディアは、きらきらと目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
ファルシードは、幸せそうに笑うリディアを、じっと見つめてくる。
彼はどこかぼんやりとした瞳をしていたが、視線が交わった途端、ぴくりと身体を動かしていた。
「どうしたの?」
ファルシードが、はっと一瞬息を飲んだように見え、尋ねる。
普段とはどこか違うファルシードの瞳に、リディアは首をかしげていく。
すると、彼は何かに耐えるような顔をしたかと思うと、どこか寂しげな顔をして微かに笑い、立ちあがった。
「いや、何でもない」