詰問する娘
「話は終わりだ。とっとと帰れ」
「……知られたくないのなら、どうして見せてきたの?」
追い払うような動作をしてくるファルシードに リディアは呟くように言う。
「ああでもしなきゃ、お前は言いなりになっていただろうが。とにかく、このことはもう忘れろ」
「無理だよ! だって、証を持つ人なんて、おかあさん以外に会ったことないもん。それに、ファルが“神の使い”ってことは……」
――奥さんがいるってことなの?
そう言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
証を持つ者は皆、ネラ教会が決めた許嫁がいるはずで、ファルシードの年齢からすると、子どもがいてもおかしくはない。
三つほど年上のファルシードは、すでに“神の使い”の義務で、結婚している可能性が高いのだ。
妻や子どもの存在について考えた途端、リディアの胸は締め付けられるように痛み、頭の中も白く染まった。
そうなるのは、芽生え始めた恋心ゆえなのだが、恋愛初心者のリディアは、それさえよくわからないまま。
真実を聞くことを恐れ、ただただ立ち尽くしていた。
「神の使いなら、ネラ教会に管理されているはずだとでも言いたいのか? ジィサンとカルロしかコレを知らねェのに、自分から教会に素性を明かすバカがどこにいる」
「え!? じゃあ、お嫁さんと子どもは……」
「あーもういちいちうるせェな。嫁やガキなんざいるわけねぇだろうが。これ貸してやるからとっとと寝ろ。一晩寝て明日になりゃ、気にするのもバカらしくなる」
立ち上がったファルシードは本棚から適当に本を取り出し、押し付けるようにリディアに渡してきた。
「これ、何?」
穴があきそうなほどに本を見つめていくと、ファルシードはまた、どっかとソファに腰かけた。
「バルバリの航海日誌。じろじろと本棚見て、読みたそうにしていただろうが」
確かに本は気になっていたが、いまは証のほうがよっぽど気になる。
そう言いたくて仕方がないリディアだったが、聞き出したい思いを必死に押さえつけた。
本を使ってはぐらかされているのは、リディアもわかっている。
だが、ここでしつこく聞いたところで、関係が悪化するだけで意味がないというのもまた、わかっていたのだ。
「ふーん、面白そうだね」
気ののらない返事をするリディアに、ファルシードはまた面倒そうな顔をして、ため息をついてきた。
「ほんとに仕方のねェヤツだな……もし、他のも読みたきゃ貸してやったっていい」
そう言って、ファルシードはちょいちょいと手を動かし、リディアを呼んでくる。
本を小わきに抱えたリディアは、ソファへと足を進めた。
リディアがファルシードの前に立つと、彼は顔を上げて口を開く。
「だが、本はタダじゃない」
「いくら私でも知ってるよ。お金を払えばいいんでしょう?」
「いや。金はいらない」
その言葉とともにファルシードはリディアに向かって手を伸ばしてくる。
「うわっ」
突然左腕に触れられて、ぐんと引き寄せられる。
温かい手に動揺したリディアは、目を見開いたまま固まってしまっていた。
現状の理解がなかなか追いつかないが、二つのことだけは、はっきりとわかった。
無理やり前かがみにされていることと、目の前にファルシードの顔があるということ、だ。
そして、混乱するリディアのことなど知ったことじゃない、とばかりに、至近距離にある端正な顔が、不敵に笑った。
「本一冊につき、キス一回でどうだ。悪い話じゃないだろう?」
異様に近い距離と聞き馴染みのない単語に、リディアの顔は瞬時に赤く染まり上がる。
動揺のあまり、慌てて手を振りほどき、跳ねるように距離をとった。
「――ッ! わわわっ」
後ろに下がった途端、机に足を取られて転び、ぺたんとラグの上に尻もちをついてしまう。
混乱が収まることのないリディアは、ぱくぱくと口を動かした。
「き、きききききキス!? え、何で! どうしてそうなるの!」
「……相変わらず、色気がねェ」
「これまではずっと、わざと色気が出ないようにしてたんだから、いいの!」
頭を抱えて呆れたような顔をするファルシードに、リディアはむっとして反論する。
「ふぅん、そう言われると無理にでも出させてやりたくなるな。おい、こっち来いよ」
にやりと妖しげな笑みを浮かべるファルシードに、リディアはぷいとそっぽを向き、口元を曲げた。
「そうやって、からかってくる人の所には行きません!」
結局こうやってファルシードにはぐらかされてしまったことを少し寂しく思ったリディアは、うつむいて小さく息を吐いたのだった。