船の掟
ドタドタと駆ける音に振り返ると、巨大なかたまりが飛びついてきて、リディアは全身を強張らせた。
「うわわっ!」
「キュウウン!」
高らかに鳴き声をあげたそれは、グリフォンのノクスだ。
リディアは押し倒されて何度も頬ずりをされ、ノクスの尻尾は自己主張激しく、天を突くように立っている。
「心配してくれてたんだってね、ありがとう」
下から這い出て柔らかい羽毛を抱きしめると、ノクスは嬉しそうに目を細めた。
「さぁて、次はお前さんの後悔話でも聞こうかね」
今度は背後からライリーの声が聞こえ、リディアは慌てて立ちあがり、姿勢を正す。
ライリーには怒りや悲しみの色は見られず、“あきれる”という言葉が最も当てはまるような表情をしていた。
「ごめんなさい! 勝手に船を出たりなんかして……」
深く頭を下げたリディアに、小さなため息が降り注いでくる。
「騙されたんだ、気にするな……と言いたいところだが、これに関してはおれもお前さんも悪い。世の中いいやつばっかりじゃねぇし、同じ船の仲間とはいえ、信じる相手を見極めなきゃなァ」
「身をもって感じました……私がここにいるってバレて、皆が危険な目に遭うかもしれない。どうしよう……」
泣き出しそうなリディアを見つめてきたライリーは、参ったな、と言わんばかりの表情を浮かべ、ガシガシと頭をかいた。
「責任は、アイツを信じたいと思って泳がせていたおれにある。小僧やカルロからは“危険だ”と言われていたんだがな」
悲しげな瞳をするライリーに、過ぎし日の会話を思い返す。
“俺は、信じてやりてェんだよ”という団長の声と“人は弱いぞ”というファルシードの会話は、このことを指していたのだろう。
団長の願いは届かず、ビルは甘い誘惑に負け仲間を裏切る道を選び取ってしまったのだ。
「リディア、頼むから“次の町で船を降りる”なんて、おれにも小僧にも言うなよ」
ライリーの言葉に、リディアは首をかしげる。
“降りろ”と言われるならまだしも、“降りるな”と言われるとは思っていなかったのだ。
ライリーは岩のようにごつごつした手をリディアの頭の上に乗せてきて、優しく笑う。
「お前さんは仲間だ。誰かのミスは仲間がカバーする。これもフライハイトの掟。あいつらの言うように、美味いメシ作ってやりゃ、それでいいさ」
温かい言葉とぬくもりに、リディアの胸はいっぱいになっていった。
「団長、ありがとうございます。ですけど……そんな掟、ありましたっけ」
乗船した日のことを思い返しながら、尋ねる。
決して仲間を裏切るな。非常時も諦めることなく、最善を尽くすよう努力しろ。働かざるもの食うべからず。
掟はこの三つだけだとファルシードから言われていたが、他にも自分の知らない決まりがあるのかもしれないと思ったのだ。
尋ねられたライリーは、ふっと柔らかく笑う。
「これだけ長く共同生活してりゃあ、自然と身体に染み付くもんさ」
「それなら、私もそうやって恩返ししていかなきゃですね」
「ああ、そうさな。それにしても……あの小僧がお前さんにあんなにも入れ込むとはなァ」
ライリーは船尾方向を見つめて、ぽつりと呟く。
「え?」
「重なるのかねェ。過去の自分に」
「どういうことですか? もしかして……」
証と関係あるのか聞こうとした途端、ライリーは誤魔化すように笑った。
「いや、何でもねぇさ。小僧にも礼言っておけよ。お前さんが思う以上に、アイツはお前さんのことをよく見ているし、気にかけているからよォ」
リディアの肩を叩いてきたライリーはいつものように豪快に笑い、団長室の方へと戻っていく。
ライリーの心づかいに、リディアは感謝の思いが止まらず、また頭を下げた。
「団長、本当にありがとうございます」