狙撃手の憂鬱
「バド君、いったい何する気……?」
リディアは銃を構えるバドを見て、慌てて尋ねる。
「黙って見てろ。狙撃の集中を削ぐな」
「狙撃!?」
ファルシードがこぼした物騒なセリフに、思わず声を荒げた。
「リディアさん、安心してください。通常あの型の銃は、五十メートル程度しか弾が届きませんし、もろもろ準備も必要なんですけど、あれはバドがすでに改造済み。何も心配いりません」
カルロは動揺するリディアを見かねてこう言ってきたのだろうが、そんな気づかいはリディアにとって何の意味も持ちはしなかった。
銃に詳しくないリディアが弾の飛距離や撃ち方など知っているはずもなく、そもそも言いたかったのは『なぜ仲間を殺そうとするのか』ということで……
『この距離で正確に狙撃など出来るわけがない』ということなのだ。
リディアの混乱と不安は増していくが、誰も気にとめてはくれない。
男たちは小舟を見据えており、バドとケヴィンの声だけが、静かな丘に響き渡る。
「ケヴィン、距離は?」
「一点九」
「次は、角度」
「三、五F……いや三、八Fか」
二人だけがわかる会話を数回続け、バドは銃口の位置を修正し、徐々に狙いを定めていく。
次から次へと興味が移るせわしないこげ茶色の瞳も、いまは銃口だけに向かい、口角も真横に結ばれている。
月明かりに照らされ無言のまま銃を構えるバドは、知らない男のように見えた。
ケヴィンはというと、両腕を前で組みながら鉛色の海を見つめている。
まっすぐすぎる視線と表情のない顔のせいで、いま何を考えているのか全くと言っていいほどに読めない。
リディアは、はじめて二人に少しばかりの恐怖を感じた。
「三、八Fねぇ。確実にいくならそっちのほうがいいってだけだろ。風もないし」
「ああ。狭い舟だ。大きく動くことは無いだろう」
ふ、とケヴィンは微かに笑う。
リディアには何の話なのかさっぱりわからなかったが、二人には少ない言葉で十分だったらしく、通じ合ったようだ。
「オーケー。そいじゃ」
バドは大きく息を吸う。
途端、辺りの緊張が高まり、風が通る音しか聞こえなくなった。
張り詰めた空気に喉が詰まったような感覚がして、リディアは唾液をごくりと飲み込んでいく。
「……さよなら、ビル」
強い海風が止んだ途端、感情がないようなバドの声が聞こえ、静寂は破られた。
耳が痛むほどの銃声音が轟き、リディアは腰を抜かしてその場にへたり込む。
それとほぼ同時に、小舟の上の人影が崩れ落ちるように倒れて、暗い海の中へと飲み込まれていった。
「さすが、バドとケヴィンですね」
カルロは称賛の言葉を送りながらパチパチと両手を叩いて、にっこりと微笑む。
人が撃たれた後だというのに、その表情には違和感しか感じられず、リディアは動揺からひきつった。
「はい、終わり~」
バドはガチャガチャと銃にロックをかけていき、何事もなかったかのようにそれを背負う。
ケヴィンは一仕事を終えた後のように、大きく伸びをしていた。
男たちとは違い、人が死ぬ瞬間を初めて間近で感じたリディアは、顔面を蒼白にさせており、微かに震えていた。
「殺し、ちゃった……の?」
リディアは地面から起き上がれないまま、隣にいるファルシードのことを見上げた。
「ああ。フライハイトの掟、決して仲間を裏切るな。あいつはそれを犯した」
ファルシードは表情一つ変えないまま、リディアを見下ろしてきて、淡々と語る。
他人事のようなセリフに、リディアはぞっと身をすくませた。
「もし、もしも私が騙されてついていかなかったら、ビルさんが殺されることはなかったの? 私の……せい、だ」
後悔からリディアの声はかすれて揺れ出し、それに伴うように全身がガタガタと震えだした。
リディアは、ビルが死んだ原因は自分にあるのだ、と自身を責めていたのだ。
そんなリディアにカルロは柔らかく、冷静さのこもった声で話しかけてくる。
「いいえ。誘惑に逃げて、大局を見ようとしない上に、仲間を優先できない。そんな男は、今後必ずどこかで我々を裏切ります」
「誘惑に、逃げる……?」
問いかけるリディアは、カルロの飴玉に似たオレンジ色の瞳を見つめていく。
視線に耐えかねたのか、彼は逃げるようにうつむき、口をつぐんだ。
「ビルの妹は孤児院で暮らしているようでな。アイツはいつも、貴族から盗んだ金を送っていた」
カルロにかわり、問いに答えたのはケヴィンだった。
「孤児院?」
「だからだろうな。病気がちな妹を貴族の養子にさせようとしていた。鷹文で教会に交渉文を飛ばしていたようだ」
「鷹文、って鷹を使って送る手紙のことですよね? どうして、そんなことを……」
リディアが問うと、今度はカルロが口を開いた。
「貴族にさえなれれば、死ぬまで安泰だからですよ。身の安全と手厚い治療は保障されたようなものですから」
「そんな境遇だったら……」
うつむくリディアの言葉にかぶせるように、ファルシードは深いため息をついてくる。
「ビルを許してやればよかったのに、とでも言いたいのか」
低く突き放すような声にリディアは、びくりと震えた。
跳ねるように顔を上げていくと、鋭い瞳で見つめられていた。
「フライハイトは、互いの信頼だけを頼りに生き延びてきた小さく異質な組織。だが、この世はネラの信者で溢れすぎている。俺が何を言いたいか、わかるか」
問いかけられたリディアは身をすくませながら視線を落とし、顔を横に振る。
そんな態度に、彼は呆れたのだろうか。
息を吐きながら腰を落として、へたり込むリディアに視線の高さを合わせてきた。
「どんなに残酷でも、現実から目を背けるんじゃねェよ」
厳しい言葉に、ぴくりと震えて顔を上げる。
視線の先には、真剣な表情を浮かべているファルシードがいた。
「俺らは盗賊ごっこをしてるんじゃない。周り全てがネラ教徒という以上、たった一人の裏切りが組織を致命的な危険に晒すんだ。私欲のために仲間を裏切るような奴は粛清しなきゃならねぇんだよ。そいつを理解しろとは言わないが、口は挟むな。それに……」
珍しくファルシードはよく話をし、途端に口をつぐむ。
やがて、表情も次第と苦々しげなものへ変わっていった。
「裏切られたとはいえ、仲間だったヤツを殺すなんざ、こっちだって気分のいいもんじゃない。やむなしとも思える裏がありゃ、なおさらだ。自分だけが辛いと思うなよ」
その言葉にリディアはハッとし、他の三人の方へ視線を送る。
すると、三人とも例にもれず複雑な表情を浮かべており、誤魔化すように苦笑いをしていた。
リディアの胸はつきりと痛み、自分の言葉を悔いた。
本当に辛いのは、自分じゃない。長く時を過ごした四人の盗賊たちだったのだ、と。
ファルシードが立ちあがると、今度はバドがリディアの元へとやってきて、手を差し伸べてきた。
リディアがその手を取ると、引き上げて立たせてくれる。
バドはどこかぼんやりとした瞳をしていて、覇気がないように見えた。
「バド君……?」
普段とあまりにも違う姿に心配になったリディアが声をかけると、彼は寂しげな顔で微かに笑った。
「なぁ、リディア。これ知ってる?」
「なに、を?」
「人生って一回きりなんだってさ。終わっちまったらそれまで。あっけないよな」
バドは暗い海を見て、小さく息を吐く。
そんな彼に、誰も何も言うことができず、風で草葉が擦れる音だけが響いた。
逃げるように海から視線をはずしたバドは、苦しげに顔を歪ませる。
こぶしは小さく震えており、口元には力が入っているように見える。
その様子から、涙はなくとも、辛いという言葉は無くとも、どれほど苦しい想いを抱えているのか、手に取るように伝わって来た。
「だから俺は、フライハイトに入ったのに。下らねーモンに縛られねぇで、仲間と自由気ままに旅しながら、俺だけの夢を探していこうって、あの時そう決めたのに……」
「バド君……」
そっとリディアが声をかけると、バドは顔を上げて今にも泣き出しそうな顔で笑った。
「こんな簡単な願いが、どうして叶わないんだろう。俺の手はまた、こうやって汚れていく」
ファルシードは無言のままバドの隣へ向かって、労うように肩を叩き、バドは「スンマセン……」と呟いて、静かにうつむいた。
ずきり、とリディアの心は締め付けられたかのように痛んだ。
泣きわめく顔を見るよりも、無理に笑われた方がよっぽど辛く、自分の考えの甘さと情けなさを痛感し、リディアは下唇を噛みしめた。
この世界では、ネラ教の教えが絶対になっている。
朝になれば太陽が昇り、夜になれば沈む。
その事実と同じように、ネラ教の教えもまた、真実のように信仰され、強大な力を持っているのだ。
そんな世界で、他人とは違う生き方を選ぶことがどれほど難しいことなのかを、リディアは肌で感じとっていった。
「……何も知らずに余計なことを言って、皆の傷をえぐって、ごめんなさい」
頭を下げて謝っていくと、ケヴィンはふ、と息を吐きながら笑った。
「長い人生、たまにはこんな嵐の日もある。バド、今日は飲み明かすか」
「ケヴィン……へへ、言われなくてもそーするつもり! さ、とっとと我が家へ帰ろうぜ。皆が待ってる」
バドは、いつものように歯を見せて笑い、くるりと身体を反転させて駆けだした。
残された四人は安心したように微笑み、バドを追いかけて走り出す。
月明かりの下、盗賊たちの足音は止まることなく高らかに響いていく。
この世がどんなに残酷で理不尽でも、前を向く強さを持つ四人に、リディアはちらと視線を送る。
そして、彼らにも負けないような強さが欲しい、とはじめて強く願ったのだった。