夜の町
その後二人は名物である平べったいパスタを食べ、町をうろついた。
本屋では本を選ぶファルシードの隣で、文字を読めもしないのに、リディアは楽しげにページをめくっていた。
やがて日が傾きはじめ、リディアと数名の団員は船へと戻ることになった。
リディアにとって夜の闇は危険が多く、戦闘力に長けた団員たちといえど、護衛するのは困難だからだ。
ファルシードとライリーは交易品を売るため船を離れ、“決して船から出ないように”と、きつく釘をさされたリディアはおとなしく自室にこもり、ベッドの上に寝転んだ。
「悪魔か、死神……か」
怒り狂っていた男女の言葉を思い出し、呟く。
窓の外に広がる闇を見つめたリディアは、自分自身を抱き締めるように丸まった。
――私はいま何のために生きている? これから、どう生きていきたいの……?
揺らぐ感情に押し潰されそうになったリディアは、ファルシードからもらった香り袋を手に取り、目をつぶった。
こうすると、気持ちが少し楽になるような気がしたのだ。
落ち着かない心を持て余していると、遠慮がちなノック音が遠くから聞こえてくる。
恐らく誰かが、ファルシードを訪ねてきたのだろう。
リディアは不在のファルシードに代わって、応答することにした。
「ファルはいま外にいます。伝言で良ければ、あとで伝えておきますよ」
「違う……俺が話したいのは、リディ姐なんだ」
「私に?」
扉の向こうから聞こえる、思い詰めたような声に首をかしげた。
リディアに用事がある者など、そうそういないからだ。
恐る恐るドアを開けると、そこには数えるほどしか話したことのない、ガタイのいい団員がいた。
赤髪に黄色のバンダナをつけた彼は確か、ビルと呼ばれていただろうか。
彼は何故か、青い顔をして小刻みに震えていた。
「リディ姐。ネラ教のやつらに、レヴィが拐われた……」
「レヴィさんが!? どうして」
愕然としたリディアは、目を見開いてビルに詰め寄る。
レヴィはリディアより二つ年下で、力はないが航海術と海図書きに長けている小柄な少年のことだ。
食事当番のときに“まだ誰も知らない島に行ってみたいんです”と、明るい表情で話していたことを、リディアははっきりと覚えていた。
「俺だって信じたくねぇよ……。この手紙を見てくれ。司祭から渡されたんだ」
悲痛な声を出すビルから手紙を受け取って開くが、字が読めないリディアには何が書かれているのかわからない。
ビルに内容を読み上げてもらい、ようやくネラ教会の狙いを理解した。
「私と話したいからって、レヴィさんを人質にするなんて……ひどい」
手紙に書かれていたのは、ハフラムの丘の上に一人で来いというもので、来なければレヴィを殺すというものだった。
「リディ姐、レヴィは俺の弟みたいなもんなんだ。俺と一緒に来てくれないか? もちろんリディ姐も助けると誓う! だから……」
ビルは震える両手でリディアの右手を握ってくる。
切羽詰まったような表情は、とても演技には見えず、リディアはビルの手を包むように握った。
「わかりました。仲間だもん、私もレヴィさんを助けたいです!」
「そうしたら、このローブを上から着てくれ。味方にも町民にも、誰にも知られるわけにはいかねぇ。レヴィだけじゃなく、リディ姐の身も危ないから……」
「はい。誰にも気づかれないようにします」
言われるがままにリディアは黒いローブをまとい、フードをかぶった。
二人は団員たちの監視の目をくぐりぬけて、船をあとにする。
黒いローブは闇に溶け、あっという間にリディアの姿を隠していった。
――・――・――・――・――・――・――
夜が深まりつつあるとはいえ、町は明るくまだまだ眠りそうにない。
酔っ払った船乗りがそこかしこで騒いだり、肩を組んで歌を歌ったりしていた。
「なぁなぁ、いっつも思うんだけどケヴィンはさぁ、筋トレにしか興味ねぇのー?」
「お前こそ、毎度女や銃のことばかりだろう」
大通りで、聞き覚えのある声が耳に届く。
恐らく、明るいほうの声の主はバドで、ゆったりとした低音のほうはケヴィンなのだろう。
「リディ姐、顔を隠して。あっちの道を行こう」
ビルはひそひそと小声で語りかけてきて、リディアは言われたとおりに顔を隠してうなずく。
団員たちに見つからないように、速足で路地裏の方へ足を進めた。
「キャプテンはこの後どうします?」
ファルシードを呼ぶ声が気になってしまったリディアは、ちらと後ろを振り返る。
「俺は……」
話し始めるファルシードと視線が合ったような気がして、リディアは慌ててフードを手繰り寄せ、人込みの中へと紛れていった。
「キャプテン。どうしました?」
「いや、何でもない」