見張りの男
甲板をまっすぐ歩き、ファルシードが足を止めたところはメインマストの目の前だった。
帆を支える巨大な柱には急勾配の柵つき階段が螺旋状に張り付いている。
構造を考えると、見張り台まで行けそうだ。
「本来なら、こんなところに階段なんざつけねェんだが、バドが転落したこともあって、レジェルの木で足場を取り付けている。ここからならお前も上れるだろう?」
「え! バドくんが、転落!?」
さらっと放たれた言葉にリディアはビクリと身体を震わせるが、ファルシードは顔色一つ変えずに口を開いた。
「問題ない。ノクスが救助してアイツは無傷だった。行くぞ、ついてこい」
その言葉を合図に、二人はどこまでも続く階段を上り続ける。
ファルシードは見張りの交代をするつもりなのだろうか。
もうすぐ食事の時間だと話していたのに。
リディアにはファルシードが何を考えているのか全くわからなかったが、言われるがままに彼の背中を追っていく。
果てがないように思えた階段だったが、ひたすらに上り続けて二人はようやく見張り台へとたどり着いた。
そこには男が一人、日の暮れゆく海をじっと見つめていた。
緑がかった黒の髪は短くそろえられ、鍛え抜かれているのであろう背筋の形は、服の上からでもはっきりとわかった。
長髪の優男であるカルロとは、まるで正反対の印象だ。
そんなガタイの良い男は、小さなダンベルをひょいひょいと持ち上げながら首を動かし、振り向いてきた。
「む、次はキャプテンでしたか?」
「交代は何時だ」
ファルシードは、男の質問には答えず、さらにまた問いで返す。
会話が成り立っていないようにも感じるが、恐らくこんなやり取りは日常茶飯事なのだろう。
男はムッとする様子も、困ったそぶりも見せずに、当たり前のように聞かれたことに答えた。
「夕日が沈んだ後すぐに、です」
「そうか。交代まで俺が変わる。お前は先に上がれ」
淡々と話すファルシードの言葉に、男はきらきらと瞳を輝かせ、麻袋にダンベルを入れたあと、それを肩に担ぎ上げて笑った。
「おお、ありがたい! ちょうどひとっ走りしたいと思ってたんです。それでは、これで」
よっぽど走りたいという思いが強いのか、男はそわそわとした様子で階段へと向かってくる。
そして、一瞬だけリディアへと視線を送ってきた。
「あ、えと、新人のリディアです。よろしくお願いします」
「バドから聞いている。すまないが急いでいるんだ」
リディアは慌てて自己紹介をするが、男が足を止めることはない。
階段にいるリディアを避けて、男は小走りで駆け降りていく。
どうやら彼は、バドやカルロとは違い、珍しい女の新入りよりも日々のトレーニングのほうに興味があるらしい。
「もしかして、いまの人がケヴィンさん?」
消えていく男の背中に視線を送り、独り言のようにファルシードに尋ねる。
「ああ。あいつが、バドやカルロと同じ序列になる」
その返答に、乾いた笑いをこぼした。
団長のライリーが、話していたことを思い出したのだ。
ケヴィンさんは、偽りの彼氏には向かない、か――
脳みそまで筋肉、と言われる噂の張本人と出会ったリディアは、ようやくライリーの言葉の意味がわかったような気がしたのだった。