突飛な考え
「何が言いたい」
泣く女への言葉とは思えないほどにファルシードの声は淡々としており、苛立っているようにさえ感じられた。
「貴方も知っているでしょう? 巫女の使命がどんなものなのか。それに、どうしよう……私が言いつけを破りすぎたせいで、暗黒竜の封印が解けたりなんかしたら……」
「おい。お前、酒場で俺に何と言ったか覚えているか」
嗚咽がこみ上げているリディアに唐突にファルシードは問いかけてくるが、彼女は無言を貫き首を横に振る。
思えば昨晩のことだが、あまりにもいろいろありすぎたせいでそれももうずいぶん昔のことのようだ。
船が海を行く音だけが響き、心なしか空気も重い。
思い出そうとする気のないリディアに呆れたのか、やがてファルシードは小さく息をついた。
「お前は、自分と世界を知りたいと、そう言っていた」
リディアはぴくりと震えて顔を上げる。
無言のままファルシードを見ると、いつになく彼は真剣な面持ちをしていた。
「それなのに今はどうだ。思考を捨て、全てを諦め、受容しようとしている。怠惰としか思えないな」
やれやれといった様子のファルシードに、リディアは目を見開く。
予想外な言葉に腹のあたりからぐつぐつと怒りが沸き上がってくるのが、はっきりとわかった。
私だって好きでこの状況にいるわけじゃないし、諦めたくて諦めてきたわけじゃない。普通に生きてきた人に、一体何がわかるというの――
「何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」
ついに堪え切れなくなったリディアは怒りに任せて声を荒げた。
「その言葉、そのまま返してやるよ」
「なっ……!」
嘲るようなファルシードの態度にリディアは言葉を無くした。
この人とは分かりあえない――
そう確信したリディアは溢れる涙をぬぐいながら、ずかずかと足を進める。
いつものように部屋へ戻り、一人になろうと思ったのだ。
「フン、悲劇のヒロイン気取りか」
後ろから聞こえてくる声に悔しさが募る。
言い返したところで無駄だと思ったリディアは無言のまま歩き続ける。
すると、後ろから呆れたような声が聞こえてきた。
「死にてェんなら引き止めやしねェよ。次の町で船から出てけ」
「――ッ! 死にたいわけないでしょう! でも、そうするしか道はないんだよ。祈りの巫女には、受け入れることしか許されてないんだから……」
睨みつけてくるリディアに呆れたのだろうか。
ファルシードは深く息を吐きだした。
「ったく、頭固ェな。そうするしかないと、なぜわかる。道は一つと限らねェだろうが」
リディアは身体を震わせ、はっと息を止めた。
ネラ教の教えは絶対であり真理だとそう思い込んでいた。根拠など何もないのに。
生け贄にされる以外の方法があるかもしれないなんて、欠片も思わなかったのだ。
世の流れに逆らうファルシードの意見はずいぶんと突飛なもののように感じたが、一方で胸の奥底をじんと熱くさせてきた。
「そもそも、誰かのために犠牲になったところで……」
ファルシードは口をつぐみ、静かに視線を落としていく。
ぎり、と歯を食いしばる姿を見て、リディアはわずかばかり驚いた。
いつも淡々としているファルシードが感情をあらわにするのを、はじめて見たように思ったのだ。
「ファル?」
心配して顔を覗き込むと、ファルシードは不愉快そうな様子で顔を上げた。
「……禁忌なんざ詭弁としか思えない。奴らに何を言われた」
彼の顔からはいつの間にか激しい感情の色は消え去っていたが、さっきのは何だったのだろうとリディアは困惑する。
先ほどの表情は、怒りにも悲しみにも後悔にも見える不思議なものに思えたのだ。
無言で考え込んでいると鋭い瞳で見つめられているのに気付き、リディアは慌ててネラ教の禁忌事項を話しだした。
「あ、えと、夜には人に会うな、色香をまとうな、酒を飲むな、あとは……恋をするな、とか」
「やはり、な。巫女の力……つまり魔力の証は第一子にしか引き継がれない。そう聞いたことがある。つまり、永代にわたり徹底して巫女らの管理をするために、禁忌事項を考えだしたんだろう」
「それってどういう……」
「酒は危機管理の意識を緩くし、女の色香は男の理性を崩壊させる。それでいて、夜に人……つまり男には会うな。ここまで言われてわからねぇほどお前は子どもじゃない、そうだろう」
一つ一つの言葉を組み合わせて考えたリディアは、結論へとたどり着き、顔を赤く染めていく。
色恋沙汰に疎く、どぎまぎとしているリディア。
そんな彼女を見てきたファルシードは、ふんと鼻で笑った。
「要するに、禁忌を破ったところで何も起きることはない。リディア、ついて来い」
ファルシードは、くいと人差し指を動かして踵を返す。
「食堂に行くの?」
首をかしげるリディアに、ファルシードはうなずくことはなく、歩みを進めていった。
「ついてくればわかる」