彼女の部屋は
「文句あんのか」
「いえ……あ、いや、ないよ」
ホコリこそ多いが、カビが生えている様子もなく、ネズミや虫がいるような気配もない。
掃除さえすればなんとかなるだろうとうなずく。
だが、部屋のレイアウトを考えていく過程で、リディアの顔は次第に赤みを増しはじめた。
「ファル……ごめん。さっきは“ない”って言ったけど、やっぱりあるよ!」
「あるって、何が」
「文句! 毎回こうやってファルの部屋を通らないと、私の部屋に行けないの!?」
「仕方ねェだろう。俺だって、毎度通られるのを我慢してやると言ってるんだが」
どうか別の行き方があると言ってくれという願いは、虚しく砕け散った。
船内での部屋とは、恐らく家のようなものだ。
自分の家に帰るのに、人の家の中を経由するのはどう考えても変だと、頭を抱えた。
ファルシードからすれば、リディアはただの部下で、近かろうが遠かろうが、男だろうが女だろうが、全部どうでも良いことなのかもしれない。
だが、女のリディアにとって、この部屋の位置は大問題だった。
「……ここが嫌なら、男部屋に叩きこむしかねェな」
不満が伝わったのだろう。
ポケットから鍵を取り出したファルシードはドアノブに手を伸ばしていき、リディアはその言葉に耳を疑った。
男部屋が自室になるということは、男たちのいる部屋で共に寝たり、着替えをしたりするということだ。
そんなことをすれば、好奇の目にさらされると考えなくてもわかる。
慌てたリディアは、閉まりゆく扉に身体を滑り込ませ、力の限り押さえた。
「嫌じゃない! だから、この部屋を私にちょうだい」
“男部屋に入れられてなるものか”と必死の形相で頼み込むと、見下ろしてきたファルシードは、にやりと笑った。
「素直で結構なこった」
全てお見通しだとでも言わんばかりの表情に、リディアはむっとして口をとがらせ、がっくりと肩を落とした。
ああ、私はとんでもなく厄介な人の彼女役になってしまったのかもしれない――
――・――・――・――・――・――・――
ファルシードの隣室が自室となったリディアは、時間も忘れて部屋の掃除をすすめていた。
天井から垂れ下がる蜘蛛のカーテンはなくなり、宙を舞うホコリも消えている。
白く曇った窓も磨かれて、夕空と海が見えていた。
「よし、完璧!」
汚れで黒く染まった雑巾を絞って、リディアは達成感に満ちた顔で笑う。
棚や布団を増やし、机や椅子、ランプを置いたことで、ここもずいぶんと部屋らしくなった。
殺風景ではあるが、リディアにとっては見慣れた一人の家よりもずっと愛着が沸きそうに思えた。
掃除を終えたリディアは片づけのため、バケツとモップを持って扉へと向かう。
両手はふさがり、扉は開けられない。
念じるだけで扉が開けばいいのにと考えるが、そんな魔法のようなことが起こるはずもない。
そう。どう考えたって起こり得ないはずなのだ。
それなのに扉はなぜか、勢い良く自動で開かれていく。
リディアは目を丸く見開き、突然現れたその人を見つめた。
「もうすぐメシだ。行くぞ」
ファルシードはノックもなし、声かけもなしの状態で部屋に入ってきているのに、悪びれる様子一つ見せようとしない。
デリカシーがないにもほどがある、とリディアは口元を曲げて、怒りをあらわにした。
「あのね、勝手に開けないでほしいんだけど!」
「だったら鍵をかけておけ」
「鍵をかけないほうが悪い、って、そういうもんなのかな。でも、ノックくらいしてくれたって……」
「それ、置いてから行くぞ」
必死に反論を続けているのに、ファルシードは聞こうともせず、リディアの持つバケツとモップを奪い取っていく。
急に軽くなった両手を見てリディアは、ぽかんと立ち尽くす。
持ってくれるなんて案外優しいんだなぁ――
そう思いかけてふと我に返り、慌てて首を振った。
本当に優しかったら、掃除も手伝ってくれるはずだ、ということを思い返したのだ。
リディアが部屋の掃除をしている間、ファルシードは自室で本を読み続け、何一つとして手伝おうとしなかった。
彼がしてくれたことといえば、いらなくなった古いランプを一つくれただけ。
部屋に灯りが出来たことは助かることではあるが、彼が優しいかどうかを問われると、首を縦には振れないような気がしたのだった。