船とノクスと
――なんだか個性的な人たちだなぁ
嵐のように去っていった二人の背中を見つめて、小さく息をつく。
隣を見るとファルシードと視線が重なり、リディアは身体を強張らせた。
冗談でされたこととはいえ、迫られた時の恐怖が抜けていなかったのだ。
「バドとカルロ、ケヴィンの三人は覚えておけ。俺の下にあたる奴らになる」
一方のファルシードの様子は変わらず、淡々と説明を続けてきていた。
彼からは、全くと言っていいほどに下心を感じられないどころか、リディアを女として扱うつもりさえ無さそうに見える。
次第に緊張も解けていき、リディアは強く握ったこぶしをほどいた。
「おい、聞いてんのか」
「あ、ええと、ちゃんと覚えるようにしま……」
出かかった丁寧語にファルシードの眉が寄せられ、リディアは慌てて誤魔化し笑いを浮かべた。
「じゃなくて! 覚えておくね、だよね……あはは」
「さっさと慣れろ」
「うぅ、ごめん」
呆れられてばかりの自分を情けなく思って空を仰ぐと、リディアは広がるスカイブルーに一つの影をとらえた。
「ノクスだ!」
声をあげて手すりに駆け寄り、その姿を見つめる。
グリフォンのノクスは悠然と羽ばたき、雲一つない空を飛び回っていた。
上昇気流に乗ったのだろうか。
高度を上げ、次第に小さくなっていく。
空を駆ける姿はどこまでも自由で、リディアにとってノクスは、人を襲う獰猛なモンスターには、とても思えなかった。
「わー、いいな。楽しそう」
眩い太陽に目を細めながら微笑む。
遠くの空にいるグリフォンに向かい、大きく手を伸ばした。
「……アイツが怖くねェのか?」
「怖いって、どうして? ノクスは優しい子だと思うよ。あの子は人間……というか、ファルのことが好きみたいだし」
ファルシードを見上げて微笑みかけると、彼は「そうか」と、わずかに驚いたような顔をして、ノクスが飛ぶ空を共に見つめていた。
――・――・――・――・――・――・――
それから二人は船内へと入り、食堂や洗面所といった、リディアが使いそうな場所を中心に回った。
船の内部は廊下こそ狭いが、団員室の他に、帆やロープを置く部屋、火薬庫など、様々な部屋があった。
これだけの部屋があるのだ。
新人のリディアにも、一部屋くらい割り当てられていても不思議ではなかったし、事実彼女もそう思っていた。
ファルシードを追いかけ、階段を上って広い廊下へと出ると、リディアは舵棒と呼ばれていたレバーを見つけた。
「ここって、団長の部屋の前……?」
「ああ。だが、お前の部屋の入り口はこっちだ」
階段を下っていくと扉があり、リディアの胸は期待と不安で高鳴っていく。
ファルシードがドアノブに触れ、かちゃりと音が鳴る。
扉の向こうには、想像だにしなかった世界が広がっていた。
天井からは洒落たランプが吊るされ、その下には質の良さそうな木の机が置かれている。
ソファも横になって休めるほどの大きさだ。
絨毯は模様のないシンプルなものが敷かれていた。
どの家具も決して派手ではなかったが、リディアの趣味にぴたりとはまるものばかりだった。
さらに、この部屋にはリディアの心を鷲掴みにしたものがあった。
天井まである大きな棚に、ぎっしりと詰められた本だ。
「わぁ、すごい……本がいっぱい! 本当にこんな素敵な部屋をもらっていいの」
文字を禁止されていた反動からか、読めないにも関わらず、リディアは人一倍本に興味を持っていたのだ。
だが、目を輝かせるリディアに、ファルシードは眉を寄せてきた。
「おい、何を勘違いしている」
「勘違い?」
リディアは、きょとんとした顔のまま、何も言葉を見つけられずにいる。
ここが部屋の入口だと言ってなかっただろうかと混乱を極め、何も言えないままだ。
「お前の部屋はここじゃない。ここは俺の部屋だ」
告げられた言葉は、さらにリディアの思考をひどく撹乱させてきた。
「え、あの、ええと、どういうこと……」
「来い。お前の部屋はこっちになる」
奥にある扉へ誘導され、中を見渡した。
「こ、ここが、私の部屋……?」
信じがたい光景に、目を見開いて呟く。
灰色の粉が舞い上がり、宙を漂う。
至るところに蜘蛛の巣が張り巡らされ、もはや廃墟にしかみえない。
あまりのホコリっぽさに思わず咳こんだリディアは、呆然と立ち尽くしたのだった。