自由の海へ
二人は無言のまま廊下を進み、床から巨大な取手の棒が一本つき出ている場所を横目で見ながら、甲板へと向かった。
「さっきのが団長の部屋。この舵棒がある廊下をまっすぐ行くと、甲板に出る」
説明を続けるファルシードを追いかけて甲板へ出ると、ぎらぎらとした太陽の光が刺さってきて、思わず目をつむる。
恐る恐るまぶたを開けたリディアは、目の前に現れた景色にはっと息を飲んだ。
上には澄んだスカイブルーの空が、下にはどこまでも深いコバルトブルーの海が一面に広がっていたのだ。
「う、わぁー! すごい、全部海だぁ……」
海面に光が反射し、きらきらと宝石のように輝いている。
海鳥の声に波の音、団員たちの笑い声や風の音が、四重奏のように響き、リディアの心を躍らせた。
見たことのない広大な景色にわき上がる興奮を抑えられずにいるリディアだったが、隣にいるファルシードの瞳は、ずいぶんと冷めたようなものだった。
「当たり前だ。島を出てどんだけたったと思ってる。次、行くぞ」
再び歩みはじめたファルシードをリディアは慌てて追いかけながら、あたりを見渡す。
「すごい、大きい船だなぁ」
甲板には脱出用の小舟があったり、対怪物用にか、いくつもの大砲が備えられている。
目に映る団員たちは武器の手入れをしたり、賭け事をしたり、釣りをしたりとそれぞれ自由に過ごしているように見えた。
ふと空を仰ぐと白く巨大なマストが風を受けてふくらみ、数羽の海鳥が鳴きながら舞い踊るかのように飛んでいる。
噂されていたような金のガレオン船ではないものの、船内を把握するのは大変そうだ、とリディアは苦笑いを浮かべた。
甲板を一通り周り、ファルシードは下へと降りる階段に足をかけていく。
その瞬間、後ろから騒がしい声が飛びこんできた。
「あーっ! ここにいたんスね!」
その声に二人が同時に振り返ると、肩で息をするバドがいた。
至急の用事でもあったのだろうか。
見るからに慌てた様子だ。
「どうした」
ファルシードが険しい顔で尋ねると、バドは大きく深呼吸をして口を開いた。
「どうしたもこうしたもないっスよ! たったいま団長から聞いたんスけど、あのキャプテンが女を作ったって。で、しかもそれが、さらってきた祈りの巫女だっていうじゃないっスか!」
祈りの巫女という言葉に、つきりと胸が痛み、リディアは視線を落とす。
ここで生きていきたいと思いながらも、使命を果たさなければならない義務感がどこまでも心につきまとっていたのだ。
うつむくリディアを横目で見つめてきたファルシードは、小さく息を吐いた。
「ああ。俺がもらうことにした。コイツもまんざらじゃなさそうだしな」
ファルシードから送られてくる視線に、リディアは慌ててうなずく。
肯定を示す態度にバドは驚いたようで、目を丸くした。
「や、やっぱり本当に付き合ってるんだ……! 俺、もうびっくりっスよ。ここ最近で一番のビッグニュース! んで、彼女サンのお名前は?」
「リディア・ハーシェル、っていうの」
「リディアっていうんスね。ふむふむ、名前のほうも可愛いっスね~」
「えぇと、ありがとう」
照れ笑いをするリディアをバドはぼんやりと見つめてきて、悶絶する様子を見せた。
「あーもう! いいなー! 何でキャプテンのなんだよぉ~」
悔しがるバドの声が響き、続けざまに今度は背後から、甘みのある男の声が聞こえてきた。
「あ、いたいた。キャプテン」
リディアが振り返ると、そこにはくせのある長いオレンジ色の髪を後ろにくくった、たれ目の優男がいた。
「どうした、カルロ」
ファルシードが呼びかけると、カルロと呼ばれた男は妖しげな微笑みを浮かべていく。
そして、バドを引きはがし、リディアの前へとしゃがみこんできた。
「久しぶりの彼女、僕にも見せて下さいよ」
カルロは柔らかい笑顔を浮かべながら、リディアをじぃっと見つめてくる。
その甘いマスクと、飴玉のようにとろんとしたオレンジ色の瞳に、リディアは思わずしり込みしてしまう。
見つめることに飽いたのか、カルロは立ち上がって、くすくすと笑った。
「キャプテンがこんな素朴な子を好きになるなんて、意外です。数年前までは、もっと趣味違ってましたよね。しかも、一目ぼれなんでしょう? なーんかしっくりこないんですよねぇ」
「余計な詮索はしなくていい」
「はいはい、わかりました」
ぴしゃりと牽制されたカルロは、つまらないといったような顔で笑った。
「ところで、ケヴィンはどうした?」
ファルシードがあたりを見渡しながら尋ねると、カルロは呆れた様子で肩をすくめた。
「休憩時間潰して、倉庫でトレーニングですよ。飽きもせずに」
「そうか。お前たちはもう行け。俺はコイツを案内して回る」
ファルシードが払う動作をすると、バドは不満げに口をとがらせた。
「えー、案内なら俺も一緒にしたいっス。リディアもそっちのほうがいいっしょ?」
「え、あの……」
正直なところ、ファルシードと二人きりというのは息がつまりそうになるし、バドがいてくれた方が気楽なような気もする――とリディアは思う。
返す言葉に詰まっていると、ファルシードがバドを、不愉快そうに睨みつけた。
「いいから、さっさと行け」
「だってぇー、俺もリディアと話したいしぃ」
バドは両方の人差し指をツンツンとぶつけながら、とがった口をまたさらにとがらせる。
バドの態度にファルシードは深く息をついていく。
いらついているともとれる態度にリディアは内心ハラハラしていたが、カルロがその局面を打開した。
「こら、わがままもいい加減にしないと。キャプテン怒らせたら怖いんですから。さ、行きますよ」
「痛ェ! おい、耳ひっぱんなっての」
カルロに耳をつままれたバドは、引きずられるように連れていかれたのだった。