驚くふたり
意味不明なライリーの提案に、二人は動揺を隠せずにいた。
ファルシードはライリーを睨みつけ、リディアはおろおろと視点を定めることができずにいる。
この部屋で、ライリーだけが余裕に満ちた表情を浮かべていた。
「なぁ小僧、別にいいじゃねぇか。お前にゃ決まった相手もいねぇし。キャプテンの女になりゃ、誰もリディアに手出しできないだろう? なにも本当に付き合えとは言ってないんだ。フリでいいからよォ」
なんだ、フリで良かったのか――と、リディアは、安堵の吐息をつく。
だが、すぐに不安が波のように襲ってきた。
付き合うフリをするということはつまり、恋人同士らしく見せなければならない、ということだ。
町にいた男女のようにファルシードと手を繋ぎ、椅子に座って仲睦まじく話をしなければならないのかもしれない。
さらには、お菓子を口に入れてあげたり、腕を組んでみたり、も。
そして、人気のないところで見つめ合い、キスを――
そこまで考えて、リディアは慌てて首を横に振った。
――ただのフリだし、そこまではしないから!
荒れ狂う心を必死になだめようとするが、顔どころか耳までも真っ赤に染まりあがっていた。
今日嫁ぐ予定だった者にはとても見えないが、そうなってしまうのも無理はない。
リディアには恋愛経験が全くといっていいほどになく、文字を禁じられていて恋愛小説を読むなどもってのほか。
キスなんてものは刺激が強すぎたのだ。
ファルシードはそんなリディアを気にもとめていないようで、鋭い目でライリーを見下ろしていた。
「理屈はわからなくもない。だが、俺である必要はねェだろう。バドやケヴィン、カルロ、適役は他にいる」
その提案に、ライリーは静かに首を横に振った。
「バドはスケベでうっかり者、ケヴィンは脳みそまで筋肉、カルロは女癖が悪い。どうだ、適役はいるか?」
「チッ……」
ファルシードは合点がいったのか、舌打ちをして横目でリディアを睨みつけてきた。
スケベな男も困る、女癖が悪い男も困る。
身の安全を図るどころか、かえって逆効果になってしまいそうだ。
そして、脳みそが筋肉というのは別段気にはならなかったが、演技が上手くできるかと言われれば、首をかしげてしまうだろう。
――でも、だからといって……この男の彼女役になるっていうのは、怖すぎる!
異様に鋭い瞳と全身から発せられる威圧感とに、リディアは身をすくめた。
こんな様子では、恋人同士らしくどころか、手を繋いだ瞬間に失神してしまいそうだ。
「あの……」
他に候補はいないのかと抗議しようとするが、口をはさむ暇もなく、ライリーが言葉をかぶせてきた。
「ちょうど、お前の隣の部屋が空いていた気がするしな。そこをリディアの部屋にしよう。それで、何か言ったか?」
「い、いいえ。何も。ありがとうございます」
ぎこちない顔でリディアは笑う。
がっくりと肩を落としていたリディアだったが、すぐに顔を上げた。
これ以上を望むのは贅沢というものだ、と気がついたのだ。
ライリーは強大な力を持つネラ教に与さず、危機を救ってくれた上に居場所まで用意し、安全も考えてくれた。
本来なら今頃リディアは、最悪な婚約者ピートの元にいたはずであり、死が訪れる日まで、恋も友も自由も知らず、他人が望むままに生きていたのだろう。
それを考えれば、今の状況はまさに、夢のようなものだ。
「よし、リディアのほうは良さそうだ。あとはお前の返答一つ。“団長が連れてきた巫女に惚れて、自分の女にした”と言ってくれるだけでもいい。なぁ、ファルシード、頼む。この通りだ!」
ライリーは勢いよく頭を下げていく。
その様子にファルシードは目を丸く見開き、すぐに顔をしかめた。
「おい。団長が部下に頭なんざ下げんな」
重みのある声にも、ライリーは微動だにせず、顔を上げようとしない。
「……それほどの頼み、ってことなのかよ」
呟きのようなファルシードの問いに、ライリーははっきりと言葉を返した。
「ああ」
「……わかった。仕方ねェな、やってやる」
ライリーの態度に根負けしたのだろう。
ファルシードはいかにも面倒そうに、深くため息をついていた。
「すまねぇ、恩にきる」
ライリーは面を上げて、無邪気に笑う。
それを見たファルシードも、呆れが混じったような顔で微かに笑った。
――ああ。この人、こんな顔もするんだ。
リディアは、ファルシードの横顔を見つめてそんなことを思う。
言葉も態度も乱暴で、常に不機嫌そうな顔をし、威圧感を発してばかりのファルシード。
だが、いまの彼の横顔はなぜか柔らかくて、美しく見えた。
リディアにとって、ファルシードという男は謎に満ちていて、よくわからない。
だが、結婚するはずだった許婚に比べれば、ずいぶんとマシな男のように思えたのだった。