レイラを知る男
“なぜレイラを知っているのか”という問いに、彼らは言い合いを止めて視線を送ってきて、リディアは身体を強張らせる。
ひげ面の男は怯えるリディアを安心させようとしたのだろう。
柔らかく微笑みかけてきた。
「お前さんは、若い頃のレイラによく似ているよ。おれはな、じつはお前さんにも会ったことがあるぞ」
予想外の返答に、リディアは戸惑う。
必死に記憶の糸をたどってみるが、こんな男に会った覚えなどなかった。
「不思議でしょうがない、って顔だな。確か、十七・八年前だったか。お前さんがまだチビスケで、おれが交易船の船員だった頃の話だ。嵐に襲われて海に転落し、島へと漂着したおれをレイラが助けてくれたのさ。あれは本当にいい女だった」
「おかあさんが、あなたを……?」
「ああ、そうさ。いま思えば、後にも先にもこのひげを褒めてくれたのは、あいつだけだったなァ」
ひげ面の男は、あごをさすりながら寂しげな表情を浮かべ、横で聞いていたファルシードは、ふんと鼻で笑った。
「ムサいとけなされたところで、剃る気もねぇくせに」
「うるせぇ。これはおれのチャームポイントなんだ。小僧は黙って、そこで聞いてろ」
ひげの男はむすっとした表情でファルシードを見上げた。
ケンカになるのではないか、と内心不安を感じながらリディアは二人を見つめる。
だが、ファルシードは言い返すこともなく呆れたように肩をすくめ、ひげの男は笑みを消してリディアに視線を送ってきた。
「おれはレイラと過ごすうちに、あいつが置かれている状況を知った。夫を事故で失い、幼子と二人で生きてきたことも、祈りの巫女とかいう、イカレた使命を背負わされていることも……。なぁ、理不尽な扱いを受けているとは思わねぇのかい? どうしてお前さんもレイラも、現状に甘んじる」
ひげ面の男の言葉に、リディアは何も言えないままに視線をそらした。
祈りの巫女に生まれたからには、人のために死ぬしかないと思っていたし、周りからも巫女とはそういうものだと思われていた。
だからこそ、彼の問いかけはリディアにとって衝撃が強く、言葉を失ってしまったのだ。
ひげ面の男は、ふ、と小さく息を吐いて、再び口を開いた。
「おれはな、レイラがあまりに憐れで、こう提案したんだ。“使命など捨てて、一緒に逃げないか”と。だが、見事にフラれちまったよ。この世界は巫女にとっちゃ鳥かごで、どこにも自由なんざないんだと。どうだい、お前さんもやっぱりそう思うのかい?」
考えもせず、うつむくようにうなずいた。
リディアはこれまでずっと、自由など望んではいけないものだと思っていたのだ。
だからこそ、意図的に考えることを避けてきたのに。
昨晩、“世界で一番の自由”という言葉を耳にしたせいで、抑え続けてきた感情があふれ出てしまった。
自由とは、一体どんなものなのだろう――と。
「おいファルシード、お前はどうだ。祈りの巫女に自由はないと思うか?」
ひげ面の男の呼び掛けに、彼は面倒だとでも言いたげに顔をしかめた。
「んなことは知らねェよ、俺に振るな」
「はは、誰よりも自由にこだわる小僧がよくいう」
愉快そうに笑うひげ面の男にリディアが首をかしげると、彼は慌てたように話を戻した。
「おお悪い悪い、話がそれちまったな。レイラは自分の未来こそ諦めていたが、娘には自由に生きてほしいと願っていた。だからおれはあの日、レイラへ誓ったのさ。いずれ盗賊団を結成して力をつけ、娘を盗み、かくまってやるってな。だが、こんなにも月日がかかるとは思いもよらんかった!」
ひげの男は豪快に笑い、リディアは目を丸くする。
ファルシードは深いため息をついていたが、慌てたように声を上げた。
「おい、ジィサン。あんたまさか、コイツを一味に加える気なんじゃねぇだろうな」
「ん、悪いか? 華があっていいじゃねぇか」
悪びれる様子もないひげ面の男に苛立っているのか、ファルシードの眉がぴくりと動く。
一方のリディアは現状の理解ができず、二人を見つめ続けることしかできずにいる。
先程ひげ面の男は、リディアの母に恩義を感じており、盗賊団の結成を決めたと話していた。
まさか、この男が団長なのだろうか。昼間から酔っ払って腹を出し、情けなくいびきをかいていたこの男が――
そんなことはない。きっとない、とリディアは思考を振り払う。
荒くれ者たちを束ねる団長が、こんなにもいい加減なはずはなく、そもそも団長は身長が二メートルもあるはずなのだ。
そうやって困惑するリディアの耳に、怒りを含んだファルシードの声が響いた。
「また勝手に決めやがって。このクソジジィが」
ファルシードは全身から威圧感を放ち、鋭い瞳でひげの男を見おろしていた。
その様子にリディアは怖気づいてしまうが、ひげ面の男は臆することもなく、にやりと笑う。
「何の問題がある? それに、お前にとっても、都合がいいんじゃねぇのか」
「は? そんなわけが……!」
続きを言いかけたファルシードは途端に口をつぐみ、しばし考えたのちにこう言った。
「ないと思ったが、確かに都合はいい。奴らにひと泡吹かしてやるのも悪くねェ」
「そんなら、これで決まりだな」
「ああ」
どうやら盗賊二人は意気投合したようだ。
完全に会話に乗り遅れてしまったリディア。
自身の行く末を勝手に決められていたことにようやく気づいたが、今となってはもう遅い。
盗賊達に楯突く勇気などない彼女には、ぼんやりと立ち尽くすことしかできなかった。