籠の鳥
「私、ご神像を再び拝見したかったんです。たったそれだけだったのに……」
自分自身を抱き締めるようにして、イレーネは静かに語り始めた。
本部に着いてすぐ、彼女は聖拝堂へと連れられてネラの神像と対面したそうだ。
ネラの神像はここにしかなく、目を開けた全身の姿を見られるとあって、教徒にとって本部の聖拝堂は憧れの地だった。
それはイレーネも例外ではない。
神像の美しさが忘れられなかった彼女は、こっそり部屋を抜け出してもう一度見に行くことを決めたようだった。
「え……? 鍵はかかっていなかったの?」
ルイスが不思議そうに尋ねると、イレーネは自身の左胸に手をあてて、そのまま手のひらを上へとかざしていく。
すると、どこからか水が結集し、鍵の形を作った。
「ある日偶然、魔法の使い方に気づいてしまって。使用を禁じられているとは知らず、幼い頃はこうやって物を作って遊んでいたんです」
「魔法、実在してたんだ……」
驚きのあまりルイスは目を丸くして、不思議な水の鍵を見つめている。
魔法の使用は“暴発のリスクがあるため決して行わないこと”と禁止されており、そのため魔法はすでに廃れ、過去の遺物となっていたのだ。
イレーネは、魔法が暴発したのも最初の一回だけで、慣れれば簡単に使えるのだと語り、再び口を開いた。
「鍵を作って廊下に出た私は、窓の外から水に押し上げてもらい、上へ上へと昇りました。そこで“計画の完遂まであと少し”と上層部の者たちが話しているのを耳にしたんです」
「計画……?」
ルイスの問いに、イレーネは表情をさらに険しくさせ、口ごもる。
リディアたちも固唾を呑んで、彼女の言葉を待った。
しばしの沈黙のあと、イレーネは大きく息を吸い込み、か細い声でぽつりぽつりと話し始める。
「……それは、巫女たちの魔力を使って暗黒竜を解き放ち、兵器にする、というものでした」
リディアは耳を疑った。
教会は封印を継続させる気などなく、反対に“封印を解いて竜を操る”ために、巫女たちの命を捧げ続けていたのだ。
途端に力が抜けて崩れ落ちそうになったリディアを、ファルシードが横から抱き締めるように支えてくる。
コーネリアも目を白黒とさせ、浅い呼吸を繰り返しながらイレーネを見つめ続けていた。
騎士団の一員として死線をくぐってきただけあり、コーネリアはこぶしを強く握りしめ、意図的に深い呼吸を繰り返すことで、わずかに冷静さを取り戻したが、リディアは青い顔を続けており、いまにも気を失ってしまいそうだ。
やがて、がくがくと震え出したリディアは、“信じたくない”とばかりに何度も頭を横に振って口を開いた。
「じゃあ、おかあさんたちは……何のために犠牲になったの……? 私の夢も自由も、全部、どうして奪われなきゃいけなかったの……!? 何で、わかんないよ……っ」
いまにも壊れてしまいそうなリディアを、ファルシードは強く抱き締め、怒りに満ちた表情でイレーネを睨み付けた。
「竜を使い魔に……? イレーネさん、きっと何かの間違いだよ。千年も前から、そんなおかしなことが続いているとは思えない……」
ルイスはぎこちない笑みを浮かべながら言うが、口元はひきつり、身体も小刻みに震えている。
「そうしたら、今朝までお役目を誇りに思っていた私が、ここにいる理由は何です? それに、ルイス様は私がそんな嘘を言う人間なのだとお思いなのですか」
淡々とした問いかけにルイスは口をつぐみ、まぶたを強く閉じていく。
苦しげな顔をするルイスの側にイレーネは歩み寄り、そっと彼の手をとった。
「ルイス様。この旅の間、頼み事ばかりしてしまっていて申し訳ありませんが、あと少しだけ、私のわがままを聞いてはくれませんか」
「僕に、頼み事……?」
「ええ。私はこのあと、証の魔法を頼りに本部を出ようと思います。ですが、いつか私が死んでしまったら、私の魂をネラ様のもとへと送り……息子の代わりに証を預かってはいただけませんか?」
イレーネは自身の左胸に視線を送り、言う。
ファルシードは、すがりつくようにして泣いているリディアを抱き締めながら目を見開いた。
それも当然のことだ。
通常、証は血縁によって受け継がれており、例外は裁きの証のみだと信じていたのだろうから。
「証は、渡すことが可能なの?」
ルイスの問いかけに、こくりとイレーネはうなずく。
「先祖代々の言い伝えでは、互いの了承があれば可能と聞いています。ルイス様、暗黒竜復活を阻止するためにも、どうかお願いします……。何より、愛する息子に証を渡したくないのです」
懇願するイレーネに心を動かされたのだろう。
自身にも危険が及ぶ可能性があるにも関わらず、ルイスはうなずき、了承していた。
「ああ……ありがとうございます。貴方様に会えて私は救われました」
イレーネはようやく安心したようにルイスの手を離して、微笑んだ。
「イレーネさん、他に僕にできることは?」
「そうしましたら、いますぐにお部屋に戻り、こもっていてください。私といるのが見つかって、仲間だと疑われてしまえば、作戦が水の泡となってしまいますから」
「わかったよ。イレーネ・フランシス、貴女にネラ様のご加護があらんことを」
ルイスが扉の前で振り返ると、イレーネは穏やかな表情で微笑み深々と頭を下げていた。
――・――・――・――・――・――
場面は移り変わり、ルイスの部屋へとリディアたちは飛ばされていた。
支えられてやっと立っているリディアは生気を失ったような表情をしており、コーネリアとファルシードは変わらず険しい顔で成り行きを見届けている。
部屋へと戻ってきたルイスは聖拝堂がある方向に向かって跪き、首飾りを両手で握りしめながら、祈りを捧げはじめる。
呪文のように聖なる言葉を読み上げ、イレーネが無事に本部を抜け出せるように、と唱えた途端、耳鳴りに似た甲高い音が響き渡り、慌てて立ち上がったルイスは愕然とした。
彼の目の前に、青く輝く雫の形をした証が浮遊していたのだ。
「まさか、あのひと……」
コーネリアが、はっと息を飲んで青い顔をする。
ルイスも同様の表情を浮かべて、力を失ったように膝から崩れ落ちた。
「僕はバカだ……イレーネさんのこと、何もわかってやれなかった……!」
ルイスは床にひれ伏すようにして慟哭する。
証がここにあるということは、イレーネはすでにこの世を去ったということ。
恐らく、本部からは逃げられないと悟っていたイレーネは、最初から自分の手で人生の幕を閉じるつもりでいたのだろう。
自分を痛め付けるように何度も何度も床を叩くルイスの手には、じわりと血が滲み始めていた。
リディアたち三人は無言のまま、彼がむせび泣くのをそばで見つめ続ける。
外には雷鳴が轟き、窓にも激しい雨が叩きつけ、止めどなく涙のように流れていて。
まるで、ルイスの心情を物語っているかのようだった。
やがて彼の左胸に水の証が宿ると同時にぴたりと時が止まり、白い光が辺りを包み込んでいく。
三人が元の時代へ戻る瞬間が来たのだろう。
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