失踪
またも場面は移り変わり、祈りの巫女一行は城に似た建物の前で歩みを止めた。
巨大すぎる建物は全貌が見えないほどで、外壁も屋根も白一色。
まるで、雪で作られているかのようだ。
目を凝らして見ると、壁や柱に繊細な模様が一つ一つ刻み込まれており、あちらこちらの窓にステンドグラスもはめられている。
純白の城は、もはや建物と言うよりも芸術品と呼ぶにふさわしい外観をしていた。
「真っ白なお城に雪の結晶のしるし……もしかしてここ、ネラ教会の本部……?」
リディアは天辺に掲げられた聖なる雪のしるしを見つめ、微かに震えながら言う。
リディアの隣で立ち尽くすコーネリアも同じように不安げな表情を浮かべ、視線を落とした。
「本部からの船に乗ったら、巫女たちは最果ての地に向かうだけ。もう、人のいる土地には戻れない……」
コーネリアの話を聞いたファルシードは忌々しげに眉を寄せ、きらめく雪のしるしを無言のまま睨み付けていた。
──・──・──・──・──・──
中に入るとステンドグラスの光が床に映りこんでおり、まるで巨大なキャンバスに輝く絵の具を振り撒いたかのようだ。
幻想的で美しい景色ではあったのだが、リディアの心が躍ることはなく、どこか無機質な空間に寒気さえ感じていた。
やがて神官たちは散り散りになり、各々の部屋で休息をとることになったようだ。
ルイスも一人疲れた表情を浮かべて階段を昇り、廊下に置かれたベンチに腰かけて長いため息を吐き出した。
「明日、笑顔で送り出せるかな……」
ぽつりとこぼれたルイスの呟きは、苦しげだ。
最果ての地へと護送する船に乗船できるのは、教会上層部の限られた者のみ。
恐らく、まだ若いルイスは選考外で、祈りの巫女イレーネを護送する任は教会本部で終わりなのだろう。
ルイスはそのまま座り続け、窓の向こうの空をただぼんやりと眺めていた。
長旅の疲れもあったのだろう。
彼はそのまま眠ってしまったようで、窓の外では次第に暗雲が垂れ込め、雷まで鳴り始めてしまった。
「廊下の方も、なんだか騒がしいわね」
コーネリアがきょろきょろと辺りを見渡して言う。
リディアも耳を澄ますと、複数人が駆ける音と、イレーネの名を呼ぶ声とが聞こえてきた。
「どうしたんだろう……イレーネさん、逃げ出したのかな……」
リディアが呟く。
元々彼女も脱走巫女。逃げ出したくなる気持ちは痛いほどにわかる。
「いや、さっきのあの顔で嘘をついていたとは考えにくい」
ファルシードの言葉に、コーネリアが「そうね」とうなずく。
イレーネは祈りの巫女の使命を喜ばしいものだと、心から感じている様子だった。
こんな短時間で心変わりをするなど、よほどのことがない限り起こらないだろう。
「ただ、誘拐だとしても変よね。神官将がうろつく本部でそんなことできるものなの……?」
コーネリアが呟くように言い、三人が首をかしげていると、ルイスのもとへ一人、神官が駆けてきた。
「ルイス、起きろ! 祈りの巫女が失踪した」
「し、っそう……?」
眠い目を擦りながらルイスは言い、目が覚めたのか慌てたように立ち上がった。
「え……失踪って、どういうこと!?」
「それはわたしも知りたいよ。使用人が夕食を届けに行ったら、部屋は藻抜けの殻だったらしい。脱走か誘拐かさえもわからん」
ルイスはその言葉を聞いて、喜びとも悲しみともとれる複雑な表情を浮かべていた。
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神官と離れたルイスは廊下を駆けるわけでもなく、どこか真剣みが欠ける様子でイレーネの名を呼び、探していた。
「ルイスってば、探す気あるのかしら」
コーネリアが呆れたように言う。
「たぶん、見つけたくないんだと思います。イレーネさん、ルイスさんを信頼しているような雰囲気でしたし……」
「情が移った、か」
ファルシードが呟いた途端、そばの扉が開いて細い手が現れる。
それが何者なのかを確認する間もなく、手は強引にルイスを中へと引き入れていった。
驚いた三人がルイスを追って扉を潜り抜けると、そこには鬼のような形相を浮かべたイレーネが立っており、床に転げたルイスを見下すように睨み付けていた。
「ルイス様、あなたはどこまで知っているの!? まさか、全部知っていながら、私に教えを説いてきたの? あなたたちは神官の名を騙った、とんでもない悪魔よ! 今すぐ地獄に落ちてしまえ!!」
イレーネはわぁっと泣きわめいて、崩れるようにその場にへたりこむ。
感情的になった彼女は先程までの姿とはまるで別人で、リディアたち三人はおろか、ルイスまでもわけがわからないといった表情を浮かべている。
やがて、ルイスは独り言を呟くように話し出した。
「どういうことなの……? 僕には何がなんだかわからない……」
明らかに混乱している様子で、理解が追い付いていない状況なのだと、リディアにも手にとるように感じ取れる。
イレーネも同じように思ったのだろう。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、口を開いた。
「本当に、計画のことを知らされていないの……? なぜ私たち巫女が最果ての地へ行かされるのか、というのも?」
リディアは、びくりと身体を震わせた。
祈りの巫女や神の使いが最果ての地へと向かうのは、暗黒竜の封印継続のための魔力を捧げるため。
それは誰もが周知の事実だ。
しかし、そんなことをわざわざいま、鬼気迫る表情で尋ねるだろうか。
そう考えれば考えるほどリディアの鼓動は強さを増していき、拍動の音がうるさいほどに耳につく。
家を飛び出してからずっと、追い求め続けた祈りの巫女の真実。
その手がかりを目の前のイレーネが持っているのかもしれない。
リディアはこぶしを強く握りしめて、ごくりと唾液を飲み込み、イレーネの言葉を静かに待った。