彼は何者?
“敵じゃない”とルイスは言うが、リディアたちはなおも厳しい視線を送り続け、彼を受け入れられずにいた。
当然のことだろう。
リディアは仲間に裏切られ、コーネリアの部下も一瞬にして敵へと変わった。さらには、ファルシードの持つ“裁きの証”も、教会に狙われている。
困難な立場に置かれた彼らが見知らぬ男をいきなり信頼するなど、土台無理な話なのだ。
不審に思われているのを感じたのだろう。
ルイスは困ったような顔で微笑み、なぜかごそごそとポケットをあさり始めた。
「君たちのことは、マティアスが送ってきた鷹文で知っていて、ずっと来るのを待ってたんだ。嘘じゃないよ」
ルイスは折り目のついた手紙を広げて差し出してきて、コーネリアがそれを受け取り、まじまじと見つめた。
「確かに、これは団長の字ね……」
コーネリアの隣にいたリディアも気になって、横から騎士団長の手紙を覗き込んでいく。
そして、すぐに言葉を失った。
書かれていたのは、脱走巫女たちがブレイズフロルを旅立った日時と、行き先が不明で見かけたらすぐに捕らえてほしいということ。
さらには、捕まえることができたならば、すぐさま教会に護送して欲しい、といったことも書かれていた。
「マティアスさん、どうして……?」
リディアは愕然として立ち尽くした。
かつて仲間に売られた時のように、今回もまた信頼していた者から裏切られてしまったのだ。
胸の奥がズタズタに引き裂かれたリディアは、もう誰も信じられないと思い、強くまぶたを閉じた。
「リディア、大丈夫。これは表向きの文章でしかないわ。団長のサインの最後の文字が斜めの時は、暗号が仕込まれているの」
コーネリアは新緑色の宝石が下がっているイヤリングを左右の耳から外し、それを互いにぶつけていく。
りんと小さく高い音がして、緑の光が微かに溢れた。
「シャルム石か」
ファルシードが呟くように言う。
「そ。さすが、よく知ってるわね」
コーネリアは手で影を作りながら、イヤリングを手紙にかざしていく。
「すごい……浮き出てきた……!」
緑色に光る文字が炙り出しのように浮き上がってくる様子にリディアは興奮し、それを横目で見ていたコーネリアは笑う。
「ほらね、マティアス団長は私のもう一人のパパみたいな人だもの。裏切ったりなんか絶対しないわ」
読み終えたコーネリアは父を自慢する娘のように得意気に胸を張り、ファルシードが“早く話せ”とばかりに口を開く。
「マティアスは、なんと?」
「この人に私たちのことを託してた。一時保護して船へ逃がしてくれ、って」
コーネリアの言葉に、ルイスはどこか気落ちしたような表情を浮かべて笑う。
「そっか、この人、か……そうだよねぇ」
彼の声は微かだったがリディアの耳には届いており、わけがわからないリディアは一人、首をかしげていた。
「おい。ルイス、と言ったか。すぐに船へ案内してくれ。仲間の安否も知りてェし、早くここを出たい」
ファルシードが詰め寄ると、ルイスは「せっかちな人だなぁ」と呟き、ふふっと笑う。
「ホントにいま船着き場に行く? 今日の昼は教会本部の船が定期視察に来る予定になっているはずだけど」
ファルシードは途端に険しい表情を浮かべ、ルイスは心配ないとばかりに目を細めた。
「船は、きっと無事だよ。不審船の知らせはここ数ヵ月一隻も聞いてないから」
「不審船の知らせ? お前、いったい……」
ファルシードは眉を寄せていき、ルイスは静かに口を開いた。
「僕の家に来てくれない? きっと、全部わかるから」
──・──・──・──・──・──
「ここが、僕の家だよ」
案内された家の前で、三人が険しい顔のまま固まる。
予想もしていなかった展開にリディアは小さく身震いをし、思わず後ずさりをした。
玄関のドアに描かれていたのは、雪の結晶のマーク。
これは、ネラ教会に貢献した者の住居であることを示すものだ。
「そんなに警戒しないでよ。罠ならこんな回りくどいことしないでしょう?」
ルイスの言葉にそれもそうだと、三人は警戒をわずかに緩めた。
「敬虔なネラ教徒さん……なんですね……」
リディアは苦々しくひきつった笑みを浮かべ、尋ねる。
「だったら何? 僕が怖い? 信じられない?」
ルイスは穏やかに微笑んでいるが、その声には苛立ちに似た感情が滲んでいる。
全員否定も肯定もせずに無言のままで、潮の香りがまじったベタつく風が、音もなく小さな庭を吹き抜けていく。
リディアはルイスの青い瞳をまっすぐに見つめることができずに、ふいと視線をそらした。
リディアたちの態度で答えを察したのか、ルイスは深くため息をついて口を開いた。
「さっきのバーバラさんのやり方は確かにひどかったと思う。だけど、彼女にも他の教徒たちにも悪意はないんだ。彼らはただ素直で従順なだけ。だから……」
「恐れる必要もないし、許してやれ、と? 悪意の有無なんざ、どうだっていい。教会に突きだそうとしてくる事実は同じだ」
ファルシードの言葉にルイスは声を詰まらせ、申し訳なさそうにうつむいた。
「……ごめん。でも、誤解や偏見はやめてほしいんだよ。教徒全員が君たちにひどいことをしてきた? 違うでしょう?」
ルイスの問いかけに、リディアは元宿屋の女主人を思い出す。
宿無しのリディアたちに優しく親切に接してくれて、亡くなった夫をいまもなお想い続ける、穏やかで強い女性、エマ。
彼女も敬虔なネラ教徒で、リディアたちの旅の安全を強く願ってくれた者の一人だった。
「僕、思うんだ。歪んでいるのは“ネラ様の教え”でも“敬虔な教徒たち”でもないって。僕はずっと、ネラ様の教えを伝えることで、病で苦しむ人の心を和らげ、母を亡くした子の心を慰め、迷いや絶望に沈む者たちの光を共に探し続けてきたから」
ルイスは自身の首元の紐に手をかけていく。
取り出された首飾りは、雪の結晶のモチーフだった。
「教えを、伝える……?」
コーネリアが静かに尋ね、リディアとファルシードは無言のまま彼を見つめる。
ルイスは雪の結晶のモチーフを祈るように両手で包み込み、そっと口を開いた。
「僕の家、オーグレン家は代々神職としてネラ様にお仕えしていて……僕も、律教の役職に就いているんだ」
律教は造語で、司祭よりも地位が上の人になります!