色づく花
ドレスを手渡してきたコーネリアは「アイツにも渡してくる」と出ていってしまい、リディアは椅子に腰かけたままドレスをじっと見つめていた。
袖を通してみたい気持ちはあるが“イモ女が着る服じゃない”と、ファルシードから鼻で笑われることが怖くて、固まっていたのだ。
「だけど、借りてもらったものを返すわけにはいかないよね……」
言い訳染みた言葉で自身を奮い立たせて服を脱ぎ、ドレスへと着替えていく。
着なれない美しい服に、緊張と戸惑いと喜びが混ざりあった表情を浮かべながら。
「ただいま、遅くなってごめん」
コーネリアはファルシードと何か話していたのか、真下の部屋のはずなのに、ずいぶんと時間をかけて戻ってきた。
「コーネリアさん、これで着方あってます……?」
もじもじとしながらリディアが尋ねると、コーネリアは足先から頭のてっぺんまでを眺めてきて、得意気な笑みを浮かべた。
「ほうら、やっぱり。私の見立ては正しかった。あとはこれね、お揃いの色したリボン。私がつけてあげる」
「あの……コーネリアさん?」
困惑するリディアをよそに、隣にやってきたコーネリアは首元に手を回してきて、青色のリボンチョーカーをつけてきた。
「よし、いい感じ! せっかくだからメイクもしましょ。ほとんどフラム城に置いてきちゃったから、簡単なのしかできないけど。ほら、さっさと顔上げて」
コーネリアは化粧道具を机に広げて、てきぱきと動き始める。
ずっと興味がありつつも司祭から禁じられ、やり方さえわからなかった化粧だ。
「お化粧するのは初めてで緊張します」と、はにかみながらリディアが笑うと、コーネリアは「それは尚更楽しみ。いろいろと、ね」と、にやつくように両口角を引き上げていた。
やがて身支度を終えた二人は、灯りが灯された宿の階段を降りていく。
踊り場にあった姿見には、ライムグリーンのドレスをまとう淑女の姿が映し出されていた。
窓から吹き込む宵の風に亜麻色の髪が揺れ、星のようにきらきらと輝く。
色白の肌は一層滑らかで、微かに上気したかのような血色のよい頬もみずみずしい唇も、普段の自分とは違うものを感じさせてきた。
「これ、私……?」
戸惑いながら、リディアは魅入られてしまったかのように鏡を見つめる。
「ナチュラルメイクだけど、いい感じに仕上がったでしょ? すごく綺麗よ」
妖艶な深紅の衣装をまとった美しいコーネリアが、鏡越しに微笑みかけてくれる。
それだけで、リディアは自分に自信が持てるようになった気がした。
――・――・――・――・――・――
宿を出ると、夜が訪れているにも関わらず、ランタンがあちこちに吊るされているおかげで地上はそれなりに明るく、広場から賑やかな音楽と笑い声が聞こえてきていた。
二人は辺りを見渡してファルシードを探すが、どこにも見当たらない。
先に向かってしまったのだろうか。
気落ちしたリディアが小さくため息をつくと、隣から男の声が聞こえてきた。
「もしかして、相手を探してたりする?」
「え?」
顔を上げると祭の衣装を身にまとった柔和な男がおり、微笑みながらリディアを見つめてきていた。
「君たちは観光客、かな?」
「そうよ、アーテル川を船で下ってきたの」
コーネリアが答えると、男はなるほどと嬉しそうに頷く。
「船旅か、いいねぇ。ボクはこの村に住むポール。君の名前は? 女の子二人でいるってことは、彼氏候補を探しにきたんだよね」
「ええと……私、お邪魔みたいなので……」
あまりの勢いにリディアは後ずさり、コーネリアの陰に隠れるように立つ。
逃げようとしたリディアだったが、すぐにコーネリアによってポールの前に突き出された。
「違う違う! 口説かれてるのは私じゃなくてリジー、あなた」
「ええっ、私!?」
ダサいだとかイモ女だとか、これまで散々なことを言われてばかりだったリディア。
もちろん、見知らぬ男に言い寄られた覚えなど一度もない。
想像だにしない出来事に、リディアはこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。
「そうだよ、すっとぼけちゃって可愛いなぁ。どうやらボク、リジーに一目惚れしてしまったみたいだ。せっかくだから、もっと君を知りたいし、この言葉を受け取ってくれないかい?」
ポールは真剣な表情でリディアを見つめてきて、何かを呟く。
「古代言語……?」
はじめて聞く単語に首をかしげていると、ポールは「どうか、頷いて」と促しながら、リディアの手をとろうとしてくる。
だが、もうすぐ触れられるというところで、ポールの手はリディアの目の前から消え去り、上を向いていた。
「気安く触んじゃねェよ」
「ファル! 先に行ってたんじゃなかったんだ」
不在だと思っていたファルシードが突然現れ、リディアは明るく声をあげた。
深い青の衣装を着た彼は、普段よりもさらに上品で洗練されたように見える。
端正な顔立ちと異国を思わせる衣装が、絵本に描かれた王子様のようで思わず見惚れてしまう。
一方のポールは、わざとらしくため息をついて顔を上げ、口を開いた。
「今いいとこなんだから、邪魔すんなよ……って、ひっ……」
ファルシードに視線を送ったポールは言葉を失い、みるみるうちに血の気をなくして固まってしまった。
「これ以上続けて俺の女を盗るつもりなら、相応の報いを受けてもらうが、どうする」
ファルシードはポールの手首を捻るように動かし、鋭い目で睨み付ける。
団員たちも恐れる、鬼のキャプテンの再来だ。
射殺すような視線と、いつも以上の威圧感に、ポールだけではなくリディアまでも身をすくめた。
「いや、違うんだ……その、あの……意味を知らなかったんだよ! ほんと、ほんとに! リジー、ごめんね!!」
手を解放されたポールは冷や汗を垂らしながら、慌てたように弁解しながら去っていく。
その光景にコーネリアはニヤリと笑い、横目でファルシードを見上げた。
「護衛って設定じゃなかったの? リジーの彼氏サン?」
「変装は、その都度変えたほうがいい」
「あっそ、素直じゃないヤツ」
コーネリアは呆れたように肩をすくめ、ファルシードは面白くなさそうに横目で彼女を睨みつけている。
どことなくピリピリとした空間に居心地が悪くなったリディアは、苦笑いをして口を開いた。
「ポールさんに、ちょっと可哀想なことしちゃったかもね。いろいろ勘違いしてたみたいだし、悪い人じゃなさそうだったもん」
「リディア……お前、本気でそう言っているのか?」
眉を寄せてきたファルシードの問いに、リディアは困惑する。
「え? だって古い言葉でお話しされた後に“君を知りたいから頷いて”って言われただけだよ? お祭りに誘ってくれたのかなって、そう思ったんだけど……」
リディアの言葉にファルシードは舌打ちをして、ポールが消えていった方向を睨み付けた。
「この祭、警戒した方がいい。さっきのアイツの言葉“恋人同士となり、俺を愛することを誓うか”という問いだ」
「は!? 何それ、こっちが何も知らないのをいいことに……気持ち悪っ……」
コーネリアは身震いしながら呟き、リディアは無言のままゾッと身をすくませた。
「もしも頷いていたら、正式にアイツの女にされていた」
「けど、言ってもただの口約束。誤解って訂正すれば済む話でしょ?」
コーネリアの問いに、ファルシードは静かに首を横に振る。
「“誓い”だと言っただろう。騎士の誓いは誤解の一言で解消できるようなチンケなものなのかよ」
途端に表情を険しくさせたコーネリアは、小さくため息をつく。
「オーケー、そういうことね……前言撤回。危険だってよくわかったわ」