港からの脱出法
作戦を説明しないまま、黒髪の男はバドを船へと向かわせる。
仲間を連れて戻って来たバドが手にしていたのは、麻の縄と、白い布。
そして、後ろには台車に載せられた巨大な木箱があった。
「箱……?」
「そ、馬や牛を搬送するための箱! なかなか立派っしょ!」
リディアの問いに、バドは得意気に鼻をこすった。
何が入っているのだろうかと、リディアは背伸びをしていく。
箱の上方には小窓がついており、そこから覗こうと思ったのだ。
「何もねェよ。これはお前が入る檻だ」
「檻!?」
黒髪の男の言葉にリディアとバドは同時に声をあげた。
困惑する二人に構うことなく黒髪の男は、淡々とバドへ指示を飛ばしていく。
「布と縄をこいつに」
「え、あ、アイ・サー!」
戸惑いながらバドは声を発し、手際良くリディアの手を後ろで縛り口には布を噛ませてくる。
リディアがバドの顔を見つめると「そんな目で見ないでほしいっス」と、寂しそうに視線を落としていた。
バドの態度に、盗賊とはいえ悪い人ではないのだろうとリディアは思ったが、箱に入る意味に関しては全くと言っていいほどわからずにいた。
やがて作戦の準備が整ったのか、リディアを入れた箱の扉は閉められ光が消えていく。
暗闇の中、自分の息遣いがやけに大きく聞こえ、不安だけが静かに募っていった。
――・――・――・――・――・――・――・――
台車はいまどこにいるのだろう。
外からは、時折バドや黒髪の男の声が聞こえてきている。
悪路を進んでいるのだろうか。
小石を乗りあげるたびに箱が揺れて、リディアの身体は幾度も壁にぶつかった。
次第に波の音が大きく聞こえてきて、あちこちから聞き覚えのある神官の声が飛んできている。
いつの間にか箱の揺れも小さくなっていた。
盗賊たちと共に、この箱は港に入ったのかもしれない。
黒髪の男は一体何を考えているのだろう、とリディアはうつむく。
箱に隠したところで神官たちは中身を確認するだろうし、意味などないように思える。
呆れてため息が出るような展開だが、猿ぐつわをされているせいでそれすらもできない。
「お前たち、積み荷を見せろ」
悪い予感は当たり、外から棘のある声が聞こえてくる。
神官らしき男の呼びかけに、盗賊たちは移動を止めたのだろう。
箱の揺れがぴたりと止まった。
「何やら騒がしいですが、一体どうされたのです?」
黒髪の男の声が聞こえる。
先程までとは違う、柔らかな口調だ。
穏やかな声は盗賊らしさを微塵も感じさせず、別人が話しているようにすら思えた。
「祈りの巫女様が失踪された。積み荷に紛れていないか確認させよ」
「なるほど、それは一大事。ですが、この荷は見ないほうがいいですよ。きっと後悔しますから」
黒髪の男は神官にひるむこともなく、のらりくらりと会話を続けている。
それが、かえって神官の気に障ったのだろう。
「怪しいな、見せろ」
険のある声がして、リディアはびくりと身体を震わせた。
絶体絶命とは、まさにこのことだ。
リディアは、いたずらに神官を煽った黒髪の男を恨んだ。
木箱の上方にある小窓から、かちゃりと錠を開ける音がする。
「本当にいいんですか? どうしてもというなら、小窓から中を見れるのでどうぞ。でも、驚かないでくださいよ?」
「小窓? これだな」
リディアは小さく丸まり、影に隠れる。
だが、隠れたところで凝視されれば、すぐに見つかってしまうだろう。
小窓が開いたと同時に眩い光が差し込んでくる。
恐ろしさのあまり顔を上げられないでいると、カエルの鳴き声に似た、おかしな声が聞こえた。
驚いて顔を上げていくと、神官の横顔が一瞬だけ目に映った。
地獄を見たような顔をした神官は、なぜかすぐさま小窓を閉めてきて、箱の中はまた闇で満ちていく。
「だから言ったじゃないですか」
くつくつと黒髪の男が笑う声がする。
「ぐ、ぐぐぐグリフォン!? 獰猛なモンスターがどうして」
「モンスターをペット代わりに欲しがる人もいるんですよ。ご存知だとは思いますがこいつは狂暴なんで、命が惜しければ手を出さないほうがいいですよ。それともまだチェックします?」
「い、いやいい。早く行け」
神官の怯えたような声がし、箱はまた揺れ動き始めた。
暗闇にノクスの丸い水色の瞳が浮かんで見える。
リディアは、グリフォンのノクスと共に箱へと入れられていたのだ。
リディアは今になって、ようやく黒髪の男の作戦を理解した。
グリフォンは一般的に、人を襲い喰らうモンスターとして知られており、リディアも数年前に鷲と獅子の身体を持つ化け物に旅人が襲われたという噂を聞いていた。
そんなグリフォンのいる箱の中を探そうとする者などいるはずがない、というわけだ。
リディアは神官から逃れたことにわずかに安堵したが、すぐさま罪悪感が襲ってきた。
動けないのは確かであり、言葉が出せないのもまた、確かなこと。
それでも、うなるような声は出せたはずなのに、どうしてリディアはそれをしなかったのか。
やろうと思えば身体を動かして、神官に存在を知らせることも出来たはずなのに。
なぜ、見つからないように隠れてしまったのか。
グリフォンが怖かったから。
盗賊に脅されていたから。
そんなものは、リディアに用意された都合のいい言い訳でしかなかった。
リディアは祈りの巫女という使命から、目を背けてしまったのだ。
ピートという乱暴で恐ろしい男の元に嫁ぐことも、他人のために命を捧げることも、恐ろしくて仕方なかった。
教会へと戻るよりも、自分を宝と呼ぶ団長のもとへ向かうほうが、望みがあるように思えてしまったのだ。
自分の弱さを呪いながら、今にも泣き出してしまいそうな目を強くつむる。
そんなリディアの心を察したのか、グリフォンのノクスは慰めるようにその頬を優しくすりつけてきたのだった。