コーネリアの過去―後編―
「パパ、行ってくるね!」
幾度も場面は移り変わり、今度は無邪気な笑みを浮かべたコーネリアが、見送りの父に声をかけている。
「ああ、マティアスにもよろしく言っておいてくれ」
「うん! って、え……?」
扉を開けたコーネリアだったが、父親であるオリバーから腕を掴まれており、振り返る。
「なぁ、これまでの稽古はきつかったか?」
静かに問うてくるオリバーに、コーネリアは視線をそらして頷いた。
「そりゃ、そうだよな……私も辛かった」
「パパ……?」
「私の願いは、お前が幸せに生き抜くこと。そのための力を、与えてやりたかっただけなんだ。ずっと、辛い思いをさせて、ごめんな」
オリバーは、コーネリアを強く抱きしめて何度も頭を撫でていく。
父親の行動が照れくさかったのか、コーネリアはもぞもぞと身体を動かして抜けだし、笑った。
「変な、パパ。行ってくるね!」
――・――・――・――・――・――・――
「リディア、どうした」
そっとファルシードが声をかけてくる。
リディアの表情が強張っていたため、心配になったのだろう。
「たぶんコーネリアさん、そろそろ八歳なの。お別れのときだ。過去のことってわかってても辛いね……」
「そうか……」
ファルシードも口を閉ざして、視線を落とす。
二人は押し黙り、苦しげな表情を浮かべていた。
またも場面は移り変わり、コーネリアは軽快に町中を駆け抜けている。
すると、突然マーケットの若い店員が声をかけてきた。
「コーネリア様、リンゴお一ついかがですか? 今日は旅立ちの日ですし、お祝いに差し上げますよ」
差し出されたリンゴを見たコーネリアは、不愉快そうに眉を寄せた。
「旅立ち、って、パパのことですか? 私の誕生日は明日ですけど」
コーネリアはリンゴを睨みつけ、神妙な面持ちをしている。
明日に迫った、父との別れを意識してしまったのだろう。
「オリバー様が一日早く向かいたいとおっしゃっていた、とうかがっていますけれど。本当にあのお方はこの町の誇りです。どうか、ネラ様のご加護を」
微笑む店員は雪の形のペンダントを握り締めて、静かに祈りを捧げていく。
一方のコーネリアは目を見開き、跳ねるように踵を返した。
「パパ、どうして……!」
何度も転びそうになりながら、コーネリアは自宅へと駆ける。
「ママ! パパは、どこ!?」
壊れそうなほど乱暴に扉を開けたコーネリアは叫ぶように尋ねた。
キッチンからは甘い香りが漂い、微かに鼻唄も聞こえてきている。
緊迫した様子のコーネリアとは、ひどく噛み合わない。
どうやら母親が、菓子を作っているようだった。
「パパはどこ行ったって聞いてるの!!」
金切り声を上げたコーネリアがキッチンに向かうと、母親はいかにも煩わしそうに振り向いて来て、ため息をついていた。
「いましがた、お役目を果たしに出ていきましたよ」
「ねぇどうしてそんな顔をしていられるの。パパがいなくなっちゃうんだよ!? もう、絶対に会えないんだよ!」
「相変わらず変な子。いなくなるわけじゃないでしょ。あの人は、ネラ様のお側に行けるんだから。あぁ、本当に羨ましい……」
恍惚とした表情にリディアの胸はえぐられ、涙をこらえた。
世間の常識からすると、母親の反応は間違ってはいないのかもしれない。
だが、それでもコーネリアのことを想うと、苦しくて悲しくて。リディアの心はズタズタに裂けてしまいそうだった。
「ママのばか! 大っ嫌い!!」
涙を溢れさせたコーネリアは、クッキーをひっくり返して家を飛び出した。
「何よ、せっかく作ってやったのに! 本当にかわいくない子!!」
割れたクッキーが、キッチンに散らばる。
残された母親がコーネリアを追いかける様子はなく、何事もなかったかのようにクッキーを拾い、菓子作りを続けていたのだった。
――・――・――・――・――・――・――・――
場面は移り、今度はブレイズフロルの門前に飛ばされた。
人だかりの中にはマティアスがおり、彼はオリバーを護送する祭服を身に付けた者たちの行列を、ただじっと見つめていた。
「パパ、待って!」
息も絶え絶えな少女の声が響き渡る。
「コーネリア!!」
まさか、ここにいるとは思ってもいなかったのだろう。
オリバーとマティアスの声が同時に聞こえた。
「お願い、いい子にするから! 稽古も頑張るから、行……ッ」
マティアスが慌てた様子でコーネリアの口を塞ぐ。
「余計なことは言うな。目をつけられる」
辺りを警戒したマティアスは、声を落として言う。
だが、知ったことではないとばかりに、コーネリアは暴れ出し、マティアスの手に噛みついた。
手加減をしなかったのだろう。
深紅の血が溢れて垂れていくが、それでも彼はコーネリアを離そうとはしなかった。
「コーネリア」
オリバーが列からはみ出して、やってくる。
落ち着きを取り戻したコーネリアを前に、オリバーは身体を屈ませてにこりと微笑み、口を開いた。
「騎士団幹部となり、いつまでもこの町を守ってほしい。お前ならきっとできるはずだから……。マティアス、娘を頼むよ」
囁くようにオリバーは言い、敬礼をするとマティアスも敬礼を返していた。
コーネリアはマティアスの手を握り、父の言葉に大きく頷く。
繋がれたマティアスの手とコーネリアの手。
相当な力で握り合っているのだろう。
血管と筋とが浮き出ており、駆け寄りたい想いを互いに制止し合っているようにも見えた。
コーネリアは無言のまま、小さくなっていく父の背中を見送っていた。
涙も流さず、凛と背筋を伸ばしてまっすぐに。
だが、父の姿が見えなくなった瞬間、糸が切れてしまったように崩れ落ちた。
喚くようにコーネリアは泣き出すが、見送りに来ていた町民たちの、割れんばかりの拍手で掻き消された。
あれは、オリバーとネラ神への祝福の拍手。
誰もが笑顔で、幸福そうな表情を浮かべている。
あまりにも落差のある光景にリディアは声を詰まらせ、ファルシードは忌々しげに眉根を寄せた。
悲しみか、それとも世界への怒りでだろうか。
目を血走らせ、門を睨み付けたマティアスは、コーネリアをきつく抱き締め、言い聞かせるように言葉を放つ。
「四年後、入団試験を受けなさい。私も君を守るため、団長になってみせる。父の想いを無駄にはするな」と。