妖精さん
エターラナイ・マヂ・ゴメナサイ
「なぁおい、知ってるか? 」
この兵士団に入ってから5年がたった。仕事にも馴染みはじめ、サボることを覚えたナムルが同じくサボり半分で監視をしている俺に話しかけた。
「なんだよ仕事しろよ、いつ戦いになるか分かんねぇんだぞ」
そう言うとナムルはヘラヘラと手を振って大丈夫大丈夫とだけ言う。自分とて言ったものの戦う気などカケラもありはしないし勝てる気もしない。
「まぁ聞けよ、そろそろゾンネが本格的に参戦してくるらしいぜ? 」
「じゃあなんでそんなに嬉しそうなんだよ? 」
「なんでってお前、出世のチャンスだろうが、下っ端の俺達だって平和に日和ったゾンネのゆとり供を二、三ぶっ殺すだけで昇進だろうよ」
確かにゾンネ王国は戦火から長らく離れ、元々小国だということもあり大きな脅威になることはない、らしい。だいたいこういうのは伏線、流行りの言葉で言うと〝フラグ〟になりそうな気もする。
「あそこには〝妖精さん〟がいるんじゃないのか? 」
そう言うとナムルはどう弄ってやろうとふやけた笑みでこちらを見る。そこそこ長い付き合いだ、何となく言いたいことは分かる。
「そんなの嘘に決まってるだろ? お前そんな噂話に怖がってんのか、なっさけねぇなぁ」
「それでもイスラエムのユニーク級が負けたらしいじゃないか」
「死体も見つかってないんだぜ? 嘘に決まってる。だいたい帝国軍とガチンコでぶつかってた軍団全部を1人で落とせるなんて嘘にしてもやり過ぎだろ」
「まぁ、確かにな」
「そんなことよりお前、今回で手柄をあげて帰ればようやく俺達も故郷に恩返しができるってもんだよ。もうちと気合いを入れろよな」
〝妖精さん〟とは、確かカラシアの辺りで構えていたイスラエムの軍団を1人で屠った空飛ぶ魔導師らしい。目撃者がほとんど生きていない事もあり幻ではないのかと皮肉を込めての〝妖精さん〟である。
しかし数年前、ゾンネに宙を舞いドラゴンフライの巣を壊滅させた子供がいると噂になったこともある。ゾンネと帝国の関係は概ね良好、信じたくないものは信じないのが人間なのだ。
とはいえ俺達は魔導師ですらない。正直なところ殺し合いの戦で勝ち残る自信など毛ほどもないのだ。
何せ本気の殺し合いはこれが初めて、今回前線に配属されたのはある意味厄介払い。
ほとんど戦力にならない歩兵どもなどに国とて期待などしていない、戦いの主役は魔導師様であって俺達はその他雑用か肉壁くらいの程度だろう。
それでも要らないからと無くすわけにもいかず、しかしいつまでもタダ飯を与える訳にはいかない。
なら仕事を果たせ、肉の壁になれ。
少なくとも俺はそう感じた。
甘い汁をすするにも成果がいる、魔導師の1人でもおとせば大金星。
理不尽だろうがそれが軍隊であって俺の選んだ道だ、死んでたまるか、死にたくない。
大きく深呼吸をして目を開いた時、耳が痛くなるような警報の音が耳を通して頭を叩く。
この音は基地が敵に攻撃されたときの音だ。体温が一気に下がり、鳥肌がたった。
「なんだ!? まだ敵はどこからも来てないぞ! 訓練か? 」
「落ち着け、どちらにしろ同じだ。持ち場を離れるな、俺達の仕事は敵がどこから来るか見ることだ、増援が来ないから見ておくことだ」
「何だよ、怖いのか? 敵が来ないのならこちらから出向くまでだ。向こうが少数なら不意打ちすればいい、なにせここは俺達の基地だ」
「命令に背くつもりか? 」
「おまえこそなんだ、いつからそんな受動的になった、おまえは満足なのか? 俺は嫌だね、毎日硬いパンとスープと栄養固形物、魔導師供には顎で使われゴミの様に扱われ、軍からは在庫一掃セールの特売品だ。俺は嫌だ、俺だって人間だ。俺達は消耗品じゃない、それを今から示ーー。
瞬間、朱色の閃光が基地を照らし、その数秒後に大きな爆発音。
幸い俺は基地周囲の端にいた事もあり目は潰れなかった、大きな衝撃と爆風を感じるが、俺の方には何も飛んで来なかった。
瞼の奥の明るい光と風がやんで数秒後、目を開くと目の前にはナムルが、俺に話しかけているこのままの格好で立って固まっていた。
ナムルからは肉の焼けた匂いとどうしようもなく不快な臭いが混じって香る。
大丈夫か、と口を開こうとしたとき。ナムルの体は人形のように固まったまま倒れ、右の腕はポロリと取れて転がった。
ナムルの背はこんがりと焼けた牛の丸焼きのようになっている。
その先にあるのはまるで山火事の跡だ、つい数秒前までは簡易テントと小屋を並べた臨時基地だったここが、サラダボウルの底のような窪みを作ってグツグツと煮えたぎっている。
その底のちょうど真上に何かがいる、とっさに俺はナムルの死体から双眼鏡を取り出しそれを見る。
確かに人間だった。顔までは見えないが美しいと思う。
水色と白銀を混ぜたような髪の色と真っ白な肌、軍服の上に着た灰色のマント。
そして何よりも飛んでいる。脚の先からまるで御伽噺の妖精のような翅を生やして宙を浮いている。
魔導師だというのは分かったが、どうも人間には感じることができない。そんな億劫なものは通り越して、俺達のもっと向こう側にいるようにも思えた。
なるほど確かにこいつは妖精だ、しかもとびきりにヤバいやつ、たしか〝バンシィ〟とかいう名前だったか。
故郷の童話に出てきた死の妖精、大声で鳴きながら死を宣告する不吉の象徴。
先ほどの爆発で耳がやられたのか、耳の中がキーキーと輪唱のように鳴っている、まるで妖精の鳴き声のようだ。
「ぁっ……」
奮い立たせようと雄叫びをあげようとしたが声が掠れて出なかった。
「嫌だ……死にたくない」
その代わりに出たのが情けない言葉だった。自分を客観視する頭の中の自分が溜息を吐いたような気がする。
軽くよろめいたがそんなことは気にしていられない、靴が溶けるほど熱い地面をかけて妖精の足元まで走るが上手く呼吸ができない、目に見える距離を走るのに随分と時間がかかってしまった。
「おい、お前だ。こっちを見ろ! ……見てくれ! 」
妖精がこっちを見た、ゆっくり高度を降ろして互いの顔が見える距離まで来る。
俺は丸腰だ、武器を抱えて走る余裕なんてなかった。
妖精の顔は大きな目に整った目鼻、その風貌は本物の妖精と言われても納得できるほど美しい。
何でもするから助けてくれ、と言いたくなるのをグッと堪える。もしそれでも相手にされなければ死にに来ただけだ。
「まだ子供じゃないか」
「それが何だ」
初めて声を聞いた、垢抜けない子供が大人ぶっているような声だ。
「俺に何かできることは無いか? できることは何でもする、だから殺さないでくれ。死にたくないんだ」
弱腰ではいけない、少しでも自分を強く見せなくては価値がないと思われる。そう思っていた。
「……こんなところまで来て、死ぬ覚悟もできていないんですか? 」
一応歳上だから敬語なのか、しかし無能な上司を諭すような呆れが混じっている。
「できていたつもりだったが君に打ち砕かれた、死にたくないんだ、なぁ許してくれ、何でか分からんのだが……死にたくないんだ、大した人生でもないのに死ぬのは怖いんだ。……生きていたいんだ」
妖精の表情は変わらない、そもそもこれだけのことをする奴に同情など意味が無いことは少し考えれば分かったはずだ。
どこかで自分だけは何とかなると思っていた奇妙な自信が砕かれて全身の震えが止まらない。
「大した人生でもないなら、死んでやり直したいとは思いませんか? 」
全く変わらない表情で妖精が言った。
意味が分からない。
「……申し訳ないのが質問の意図が分からない。宗教の話か? 」
「違いますよ、言葉通りの意味です。下らない人生を死んでやり直せるなら怖くないですか? 」
何だこいつは。震えていた体がさらなる恐怖で動くことすら辞めてしまい、心臓すら止まって死んだふりをしたいと言い出した。
それでも何か答えなければならない、ただ死にたくない。
「……怖いにきまっている、恐ろしいにきまっている。やり直すとかそんな事は死んでから考えればいい。今俺が、君に震えているのは俺の人生だからだ、これだけは俺のものだ、絶対に譲れない。
価値があるかないか、少なくとも俺にはない。これっぽっちもない、それでもだ。それでも生きていたい、生きて誰かの役に立ちたい、 誰かの為に生きていたい、生まれた意味くらい知りたいし考えたいんだ。」
お前にもわかるだろう。と言いたかったが続かなかった。
顔を上げて奴の顔を見るのが怖い、またさっきの無感情を向けられたら今度こそ終わりだ、今のが俺の精一杯。
ダメだった。いやむしろ怒らせてしまった、どこがいけなかったのかは分からないが妖精の顔は歯軋りをする勢いで俺を睨んでいる。
「……嫌いだ、むかつく。お前なんて大嫌いだ。」
なんなんだこいつは、意味が分からない。まるで子供の癇癪ではないか。妖精が顔を真っ赤にしながら俺の方へ氷の槍を創り始める。
ついに腰が抜けて地面に膝がついた、股間が生暖かくなってきた、みっともない。
それでもまだ諦めたくない。
「嫌だっ‼︎ 死にたくないっ‼︎ 死にたくないっ‼︎‼︎ 」
横腹からグズリとする音がなった、涙と鼻水で塗れた顔で自分の体を見ると血が流れていた。
たくさん出ている、痛い。
自分を掠めた氷の槍が地面に突き刺さっている、とても綺麗だ、とても痛い。しかし死ぬ程ではなさそうだ。
礼を言おうと顔を上げるともう何も居なかった。