これが僕だ
涙と鼻水と煤でドロドロになった顔と髪を水で洗い流してから一旦帰ろうと思う。沢山責められるかもしれないし許して貰えないかもしれないけれどまぁ、仕方がない。
「じゃあ僕は一旦帰って全部正直に話してくるよ」
「……1人で大丈夫? 」
もう子供じゃないのに、それにこんなに僕の心配をするような姉ではなかったはずだ。
「大丈夫だよ、もし殺されそうになったらこっちに来るからヨロシク」
「じゃあまた後で」
何とか怖がりを隠して飛び立ったものの、1人でいると不安に押しつぶされそうになる。
きっとたくさん責められる、失望されるのが最も怖い。疲れたように肩を鳴らしながら目を瞑り、溜息を吐くあの母親の顔が脳裏に浮かんで指先が震える。
自分のしでかしたことの大きさは分かっているつもりだけど、実は分かっていないかもしれない。
終わったことは仕方ないと分かってはいても不安が消えることが無い。
ゴミの役にも立たない言い訳を考えているうちに朝日が昇って、その光線が僕の冷や汗を乾かしてくれる。
サーフィアさんに会う前に風呂に入らなければなんて考えていると、遠目から見覚えある城の先が見えてきた。
自分の姿を確認する、目立たないように持ってきた茶色のポンチョは泥と血で汚れてさらに焦げて穴まで空いている。さすがにこの姿で人前に出るのは恥ずかしいので一度家に寄るべきだ。
「よっと……た、ただいまぁ」
音を立てないようにそっと庭に降りて忍び足でベランダの戸に手をかける。
「……お帰りなさい、エディルトスお嬢様」
突然背中にかけられた声に驚き奇声をあげて飛び上がる。
ゴミでも見るような目で僕を眺めるのはまさに庭の手入れをしていたタヤだった。こいつは僕の部下もとい手下のはずなのに一向に僕の言うことを聞かない、そのくせティナにはたいそうなついて、事あるごとに密告ばかりしてくる。
「皇帝陛下からの伝言です、一刻も早く来なさい。ですと」
言った後タヤは少し怒った様子で踵を返し僕から離れていった。
早く来いと言われて風呂入ってましたとは言い難い。そうとなればこの汚ならしい格好のまま、さらには僕すっごい頑張りました。みたいないかにも疲れている様子で向かおうではないか、少しは同情してくれるかもしれない。
見慣れたゾンネ王国の立派な城の中の一室。煌びやかな城内には不釣り合いなほど無機質な金属製の銀の壁が僕を囲む。
格子状の柱が僕に縞模様の影を映して、その格子越しにはよく見知った人々とそうでない人々。つまり僕は今牢屋に入れられているわけだ。
その顔ぶれは皆怒りと不安が浮かんでいるように見える。
「……なぁエディ、お前、自分のした事が分かっているのか? 」
「分かってやったつもりだよ、父さん。考え無しでやったつもりはない」
「では何故このようなことをした、お前のせいで危ういバランスをとっていたこの国は崩れ、帝国と他国との戦争に巻き込まれるんだぞ。そうしてこの国の多くの人が死んでしまうかもしれない」
父さんがそう言うと、胸に見せびらかすようにジャラジャラと勲章を着飾った肥満体質の男が、唾を飛ばしながらそうだそうだ、僕を責めたてる。
父さんがその男を睨みつけると、一瞬たじろいだが他の男がまた応じると水を得た魚のように僕を責める言葉を積み重ねる。
「あぁ、お前の父親の言う通りだぞ小僧、お前のせいだ、全部お前のせいなんだぞ、少しばかり魔法が使えるからって調子に乗りおって。名誉貴族ごとき父親のガキなんぞやはりこの程度かっ」
辞めなさい、とリーブズ王をが嗜めることで口に出すものはいなくなったが、僕を刺すような視線はまだ続いている。
「なぁエディルトスくん、黙っていては分からん。何故こんなことをしたんだ? 私やサーフィアが国のために友を見捨てようとしていたことを知っていだだろうに、何故聡い君がこんな真似をしたんだ」
リーブズ王の声は僕を気遣ってくれていることを伝えてくれる。それでも話せる理由なんてない。
僕の私情なんて道理が通らないだろう、助けたいから助けましただなんて言えない。
「……ごめんなさい、言えません」
「ふざけるなっ!! 」
僕が応えると同時に父さんが鉄格子の外から手を挿し込み僕の胸ぐらを掴み引き寄せる。その勢が僕の顎を鉄格子に打ったことを父さんは気にせずに本気の怒りを僕に向ける。
「ふざけるなっ! 陛下が、そして皆がお前を庇うためにどれだけ尽力したと思っている! お前が今殺されていないのはお前の才と皆のおかげなんだぞ! サーフィア様が、 お前の為に頭を下げてまわったたのだぞっ!! 」
「……分かってるよ、ごめん」
分かっているつもりだ、なのに何故こうなるんだ。誰もが期待していたじゃないか、誰かが陛下の友人のあの2人を助けることを、期待していたじゃないか。
「全く、まともな教育も受けさせんからこうなるんだ、英雄だかなんだか知らんが所詮は頭も使えぬ愚か者だったか」
誰かがそう言った。
「うるせぇなっっ!! 」
胸ぐらを掴んでいた父さんの腕を強引に引き剥がす。
「……うっせぇなっ!!! 全部、全部俺のせいかよっ!! じゃあどーしろって言うんだよっ!! ふざけんなよっ! 人とか国とか、興味ねーんだよっ!!! 俺だって精一杯なんだよっ! お前らがやれって言うからいっぱい殺してやったじゃねーか
俺なんかちっせぇから精一杯なんだよっ。家族と、大好きな人達と友達と仲間と、それくらいでもう満杯なんだよっ! それだけを護れたら他なんてどーでもいいんだよ!!
それでも、その大事な人達がこの国を大切にしてるから今ここに帰ってきたんだろうが! 」
言葉遣いも滅茶苦茶で敬語もない、ただのガキの分際で偉そうな貴族に向かって暴言を吐いてしまった。
目を瞑って自分の言葉を頭の中で反復してみる、するとジンワリと熱い熱のようなものが奥の方から沸いてくる。
そうだ、その通りだ、誓ったじゃないかあの時。
自分よりも大切なものができた、これを護るためならなんだってする、あれほど嫌った借り物の力でも構わないと。
だから間違っていない、運が悪かっただけだ、僕は間違っていない。
閉じた目を大きく開いて父の顔をみる。戸惑ってはいるようだが僕から目は離さない。
「……本当に、そう思っているのか? 」
父さんのこの言葉の真意は掴めない、あまりに自分勝手な僕に呆れて言葉も出ないだけかもしれない、それでも僕は頷いた。
ずっとずっと欲しかったものだ、誰とも共有しない僕だけのもの、誰の言葉にも揺すられることなくどっしりと僕の真ん中に居座って動かない信念のようなもの。
ヒーローのように煌びやかでなくていい、薄汚くとも自分でこれが自分自身だと見分けられるものならそれでいい。
「本当にそう思っているよ、これが僕だ。何とでも言えばいい、傷つくけど平気だ」
「……君は、王には全く向かんなぁ」
睨み合った僕と父さんの肩にそっと手乗せて、リーブズ王が僕らを引き離す。
「しかし娘の夫としては満点だ。国のことは私達が何とかする、君は君の大切なものを、サーフィアを護ってくれ」
僕は小さく頷いた。




