不老不死を得た男の末路
——その男は不老不死を求めた。
何故か? 理由は簡単だ。彼は死を忌避した。それはもう病的なまでに。誰しも死にたくないとは思うだろうが、彼はその思いが特に強かった。絶対に死にたくないと常に思い続けていたのだ。
故に彼は不老不死を求めた。その果てにそれを得た。得てしまったのだ。
不老不死を得た時に彼の心にあった感情は歓喜だった。
その歓喜の度合は計り知ることすら出来ないほど大きく、強いものだった。彼は躍り狂った。猛り狂った。自身が求めてきた境地に到達することが出来たのだから当然だろう。
一年後、彼の心にあった感情は幸福だった。
不老不死という域に至った彼への風当たりは弱かった。それは嫉妬でしかなく、多くの者が口々に彼を称賛した。あわよくばその妙技を自身にも分け与えて貰えるとでも思っていたのだろうか。無論それは彼以外には不可能なものであったが。
彼は妻を娶った。全てがうまくいき、このままの幸福が続く事を願っていた。
十年後、彼の心にあった感情は不安だった。
自分の周囲の者が老いていく。その時間の流れから自身だけが取り残されているという事を実感したのだ。それは想像よりも強いものであった。とはいえ永遠の生を望んだのは彼自身。その選択が正しいものであったと彼は自身に言い聞かせ続けた。
百年後、彼の心にあった感情は悲哀だった。
自分と同じ時期に生まれ育った者はほとんどが老い、死に至った。それは彼の愛する妻も同様であった。彼だけは老いず、それ以外の者は老いていく。
勿論、新しい出会いも沢山あった。彼自身の息子や孫、曾孫。友人の息子や孫、曾孫。不老不死でなければそういった者らとここまで関わり合うのは不可能だっただろう。だがその者らも次々と死んで行く。その悲哀は、出会いの歓喜よりも大きいものだった。
千年後、彼の心にあった感情は狂気だった。
そう、彼は狂ってしまったのだ。度重なる出会いと別れ、情勢の変化。そういった物により彼の精神は磨耗し、やがては狂った。彼の肉体は不老不死になれど、精神は人間のままだったのだ。人間の精神で神の御業に至ってしまった故に狂った。精神まで神と同等にならなければならなかったのだ。
一万年後。彼の心には既に何も残っていなかった。あるのは不老不死の肉体という器のみ。それはもはや人と形容する事は出来ない。精神がない肉体。それは人形と同じ様な物だろう。特筆すべき点は一つ。その人形の肉体が不滅である事だけだ。
どれだけ時間が経とうと彼、いや彼であった物は壊れない。真の不老不死とはそういうことだ。例え星の寿命が尽きようと、宇宙の寿命が尽きようと。
彼の心に何も無くなる前、彼はこう言ったそうだ。——即ち、「真の不老不死を得た者はその時点で死んでいる」と。