アメージング
このストーリーは架空のものであり、本編に登場する人物・団体・事実関係および発言内容・あらゆる描写は現実とは一切、これっぽっちも、全くと言っていいほど、いや、全く、完全に(完全などこの世にありはしない、と思ったそこのアナタ、その思いは10円です)、あるいは徹底的に関係なく、いや、関係なくって言ってしまったら関係ないことで関係しているかもしれないので、もはや“無”です。と言っていいほど架空のものであり、実在するあらゆるものとは何か。実在とは現実的に物が動いたり、或いは人が思ったりすることであるのであるですますから、或いは現実からの引用語はあくまでその外面と言いますか、それをそれらのidolとして、またその言葉の感覚を象徴するものとして捉え、実在のものに対する何らかのイメージの操作を目的としたものではないです。ありません。まします。という点をご承知置き下さいませ。
皆の中に同一のイメージを装填できる画期的装置“アメージング”。
開発者はまず、“アメージング”は存在しない、というイメージを皆に装填した。街ゆく人は皆「アメージングは存在しないよね~」という事をよく話すようになった。しかし、“アメージング”が何なのか皆知らない。このようにして、新手の概念上実在は作られる事になった。概念上実在は実在の不在を裏付け、それはやがて実在を渇望するに至る。皆、それぞれの考えた“アメージング”を発表し始めた。キリスト司教様は放尿するマリア像を作り“アメージング”と名付け、科学者は腸の蠕動運動を模倣した踊りを発明して“アメージング”と名付け、福山雅治はアメージング・グレイスを歌い始めた。
この“アメージング”とその開発者はどうなったかと言うと、実のところ全く不明である。そういう良い装置を開発したのだから、もう世界を牛耳っていておかしくない筈なのだが、そういった話は聞かない。知らない。思い付きもしない。全くといっていいほど、不明なのだ。全くといっていいほど。




