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光凪日文は静寂を好んだ。教科としての国語や古文は不得手としている彼だが、性分は案外詩人なのかもしれない。


あれは…そう、忘れもしない、北イエメンはアデンでの激しい銃撃戦。美しい港町で起こった地獄のような惨劇。

吹きすさぶ銃弾。飛び散る肉片。破壊され無残な姿を晒すイエメン建築の家屋、人々の生活。

終りの見えない悪夢に身を投じた後、コンバットハイの覚めやらぬ頭に銃声と悲鳴が反響を続ける、半ば白昼夢のような状態で辿り着いた砂浜にて。彼はそこで生涯忘れえぬ光景と出会うことになった。


あれほどまでに人間でごった返していた街中とはうって変わり、気がつけば染み入るような静寂の中、日文少年は海岸にひとり、ぽつんと佇んでいた。

体が重い。これは連日戦場を渡り歩いてきた疲労によるものか、はたまた身に着けた重装備によるものなのか。恐らく両方なのであろう。

銃を置き、カービンスリングを外す。続いてサスペンダーの留め金を外した。分厚い防弾ベストがドサドサと音を立てて砂の上に落ちる。戦場においては致命的な愚挙にもなりえる行動であったが、彼はもはや思考することを放棄していた。

そうして最後にヘルメットを外すと、彼は砂浜の上に大の字に寝転がった。

この戦場で数え切れない生と死の狭間を目にした彼は、生きていることと死んでいることの間に明確な境界を見出せないようになっていた。

ここでこうしている自分も、その命が運否天賦の秤にかけられた場面は枚挙に暇がない。自分が撃ったあの兵士も、自分の気まぐれ次第では今ごろ家族とテレビの前で団欒の一時を過ごしていたかもしれない。

そのように考えると、自分が今生存しているというこの状況に、彼は喜びや悲しみはおろか、なにかしらの意義や感慨の一片でさえも見出すことができずにいた。彼は幼くして命の諦観に心を染めてしまっていたのだ。

だがその冷え切った心に一縷の光が差すこととなる。


左右に広がるは人っ子一人いない一面の砂浜。バックにはただただ茫漠とした草原に、吹き抜ける風が潅木の葉を揺らすソナタ。

彼を包むのは静寂と言ったが、万物が密生するこの地球上で、真の無音などというものはそうそうありはしない。だがその葉擦れが奏でるとりとめのない寂寥感は、黒い諦念の淵に身を委ねた彼の心にじっと染み渡り、音響をもってしてその静寂の一角をなしていた。

そして眼前には見渡す限りに広がる紅海と、その紅海を文字通り真紅に染めあげて沈みゆく大粒の日輪があった。


彼はただただその光景に圧倒されていた。眼前に横たわるその壮観に、我を忘れて見入っていた。


我に帰ったのは日が沈みきってからのことだった。呆気に取られた、とはまさにこのようなことを言うべきであろうか。しかし彼の心は動かない体とは対照的に、微かではあるが確かに変化の兆しを見せていた。

意味や意義などはわからない。言葉では説明できないが、なるほど、あの太陽が律儀にも毎日昇っては落ちるその間だけでも、生きてみるのも悪くはないか。彼はそう思った。



(なぜ今こんなことを思い出すのだろう。今日の太陽がひときわ活発だったからだろうか。)


階段を下りながら、彼はその疑問に頭を捻ることとなる。アデンでの記憶は忘れられない過去であると同時に、忘れ去りたい過去でもあった。


(俺は過去を捨てると決めたはずだ。こんなことではいけない。)


だがその日以来、彼は日常生活の端々、特に日課である太陽との対談の場においては、こと静寂という要素を重んじるようになった。そして事実、静かな語らいを無下にされた先ほどの闖入者たちに、少なからずいらつきを覚えていた。


(俺は本当に自分の過去と決別したいのであろうか。それとも…)


そんなことを考えているうちに、教室の扉の目前まで来ていた。彼は躊躇いなくその扉を開く。教室はホームルームの真っ最中であった。クラス中の視線が彼に集中する。

彼はこの学校に在籍しているわけだから、教室でホームルームが行われているであろうことは当然承知していた。だが毎日のように朝礼をエスケープする彼のことだ。そんなことをいちいち気にし始めたらきりがない。

実際、扉が開いた瞬間は彼に注がれていたクラスの視線も、数秒も経たないうちに元の状態へと戻っていた。教壇でなにやら話していた教師でさえ、難しい顔で咳払いを一つしただけで、彼をとりたてて注意するということはしなかった。

そんなこんなで、クラスの中で彼を咎めようとする者はいなかった。ただ一人、学級委員長を除いて…

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