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自由と秩序が拮抗する私立ウェンデルス学園。
この学園で主人公は様々な経験を通して過去のトラウマと戦います。
どうかお楽しみ下さい。
灼熱の太陽、鉄板と化したコンクリート、風一つ吹かない都会の整然とした砂漠。
光凪日文はそんな中、汗一つ浮かべることなく涼しい顔でひとときの静寂を謳歌していた。
ボタンが全て空けられたワイシャツの下には黒い無地のTシャツ。スラックスは足首が見える程度にまくられている。無論、ネクタイなど締められていない。
風紀の厳しいどこぞの進学校ならば即刻生徒指導でもされそうな出で立ちであるが、ここはウェンデルス学園。意見する者があるとすればそれは生徒会の役員程度のものだろう。
屋上に彼を除いて人影はない。それも当然のことで、この時間、生徒は毎朝行われている朝礼に寝惚け頭を並べていなくてはならないのだ。
空は雲一つない晴天。その鮮やかなバックグラウンドの上で、これから天の頂へまっすぐ登り始めるであろう太陽が、その輝きを惜しみなく振りまいている。
彼はその暑苦しいほどに存在感を放つお天道様と毎朝挨拶を交わすことが、生まれてこの方欠かしたことのない習慣であった。またその習慣は亡き父の忘れ形見でもあった。
太陽はどこにでも付いて来た。そして旅の先々で様々な一面を見せ、彼を魅了した。
ベトナムを全土を煌々と照らす赤熱の太陽。ベネズエラの東、大西洋から力強く昇る朝焼けの太陽。エルサレムを背に沈んでゆく宵始めの夕日…
心の拠り所を持たない彼にとって、こうして太陽と二人きりで過ごす時間は己の存在を確かめるための重要な儀式なのであった。
太陽に手をかざし、開閉する。自身の体に赤い血が流れていることを再認識する。
血…自分のものも他人のものも、もはや数えることも虚しくなるほどの回数にわたり、彼はそれを目にしてきた。
体中から滴る血、固まって赤黒く淀んだ血、虚空に吹き荒れる鮮血の嵐…
彼はふるふると頭を振るった。もはやあれは過去のことなのだ。それがたとえ今の自分を形成する一つの要素となっていようと…”一つの”、と言うにはあまりにも大きすぎるものではあるが…
しかし思い出したくもない記憶を蒸し返す必要はどこにもない。今はこの長年連れ添った友との一時に没頭しようではないか…
そう思った矢先、居心地のいい静寂は突然の闖入者によって破られた。
「おい兄貴、あそこに誰かいやすぜ!」
そう叫んだのは長身の男。金髪の髪をリーゼントにセットし、いかにも不良と言うべき風体をしている。
「おう…なんじゃいあのガキ…」
そう応えたのは目の細い、角刈りで図体のでかい男だ。不良グループのリーダー格といったところか。その男を真ん中に据えて、金髪の男、そして小柄で目つきの悪い男の三人がこちらを睨んでいる。
「おいテメエ!」
金髪の男が叫ぶ。だが、
「なんだあいつら…」
日文は興味なさそうにそう呟くと、また太陽の方へ向き直り、目を瞑った。
「アイツ…無視しやがった…!」
「いい度胸してるじゃん…兄貴…」
「おうよ…」
三人組は日文に近づくと、不良特有の聞き取り辛い口調でなにやら喚き始めた。
「うっせーな…」
「あん?」
「うっせーっつてんだよ。失せろ。」
「てんめぇ…舐めやがって…」
青筋を浮かべたリーダー格の男が千文の胸倉に掴みかかる。しかし当の日文は涼しい顔をしている。
「おいあんた。やめときな。」
「ルッセェ!ぶち殺して晒し首にしたるわ!」
「ふう…ったく、めんどくせーな…忠告はしたぜ?」
「ああん?…ぐっ!?」
刹那、大男の体が宙に舞う。脇の二人は何が起きたのかを把握できず、硬直する。だがそれもまた刹那。
次の瞬間には日文の無駄一つない動きによって、瞬く間に意識を刈り取られていた。
「まったく…人のリラックスタイムを邪魔してくれやがって…なあ相棒」
太陽は溌溂とした輝きでもって日文の言葉に返した。
「ふふ…さて、記憶を消すツボは…っと…」
彼は迷いない手つきで男たちの頭の一点を突いてゆく。ツボを突かれた男たちは一瞬、ビクッと体を痙攣させ、再びまどろみの中へ落ちていった。
そうして見る夢は仏夢か悪夢か、はたまた夢のない眠りか。我々に知るすべはない。
「興が醒めちまったな…戻るか…」
そう言い残すと、彼は他に見物人がいないことを確認し、屋上を後にした。
彼はその武術の心得を誰にも悟られるわけにはいかない。過去と決別した学園生活を送ることこそが、彼のこの学園での至上の目的だからだ。
そのためのチェックを怠ることはできない。細心の注意を払ったつもりであった。しかし…
「ふふ…光凪日文か…」
空き教室でニマリと笑みを浮かべる人影が一人。
「面白そうじゃん。」
彼女は手に持った糸を愛おしそうに撫でると、空き教室を去って行った。
ここは私立ウェンデルス学園。自由と正義が交錯するこの学園で、嵐の予兆は人知れずその首をもたげていた…