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D  作者: L.L.
1/1

眼前死産/1

 空を目指した誰かが、

 『神は居ない』と言った。

 誰もが心に信じる神は居るだろう。

 でも、神は誰も助けない。

 誰も幸せにはしない。

 だから今日の運勢占いで1位でも、

 少しの幸運としか思えない。

 たとえ金運が良かろうと、

 財産を投げ打って博打なんてしない。

 たとえ仕事運が良かろうと、

 自分で事業を起こしたりしない。

 たとえ恋愛運が良かろうと、

 自分の妻を捨てて愛人を作ったりしない。

 

 

 ――――では、神は本当に居ないのか?

 居ないのではなく、

 認めたくないのだ。

 己が死ぬ運命が、

 眼前の神に決められたモノなどとは。

 

 

                           /眼前死産

 「同名の殺し屋?」

 七月。

 梅雨も中盤にさしかかり、暑さも増す。

 ここは裏通りにある小さな事務所。そこで俺は目の前の弟に話を聞き返した。

 「そ。シニガミ。

 ただ字が違う。カミが神様の神じゃなくて、噛み砕くの噛み。死噛みな?」

 「フッ。死に噛み付くか……。ずいぶん大胆だ」

 思わず口から笑みがこぼれる。しかし同業。似た名前など幾らでもある。

 「で? どうすんの?」

 「放って置けばいいだろう……。なにせこちらに危害があるわけでも無いしな」

 俺はソファから立ち上がり、コーヒーメーカーで酸味の強いコーヒーを淹れる。

 多久矢はこの返答に納得できないのか、文句をまくし立てる。

 「あのなぁ。俺は被害受けてんの! いいか? そいつはな、誰かの依頼で動かないんだ。常に誰かの仕事場に乱入する。そして何人か殺して立ち去る。

 正直、何とかしてくれって依頼も来てる」

 そう言って多久矢は大き目の封筒から、依頼書らしきものを取り出す。

 「誰だ? そんな物寄越したのは。依頼は合言葉を山にと、言っているだろうに……」

 次はため息が。コーヒーを飲みながら、ソファに座りなおす。

 コップを置き、テーブルの資料を見る。

 「何だ? 相手の髪がオレンジに染められてるぐらいしか、身体情報が無いじゃないか」

 コレじゃあ見つけるなど夢のまた夢。髪を染めてる者など、駅周辺なら大量に見る。

 それに、被害が現場に乱入なら、それを待つ罠でも仕掛ければいいものを。

 うちは便利屋じゃあない。

 「断ってくれ。どうせあの刑事だろ? 手柄欲しさに、裏街道の人間と親密になる。いずれ後悔するだろうに」

 そういって資料を封筒にしまう。

 しかし、多久矢に止められる。乱暴に押さえつけた所為でコップが倒れ、中身がこぼれる。

 「そうじゃねぇ! 俺は基本体術。逃げる相手を追うのは苦手なんだ」

 「俺だって苦手だよ。大体殺し家業は先手必勝。先の先を取るのが俺たちだ。それを相手に取られた時点で分が悪い」

 そう、後の先ではあまり効果が無い。 素人相手ならいいが、相手も同業、実力もあれば……。

 「敗色が強いな……」

 それを聞いてガックリとうなだれる弟。まるで百面相だ、忙しい。

 こぼれたコーヒーの所為で、資料はおしゃかだ。だが多久矢は律儀にテーブルを拭いてから、封筒をカバンにしまった。

 「ハァ。じゃあ兄貴。せめて見つけたら教えてくれよ? 一応オレンジの髪だから、分かるだろ?」

 「分かった分かった。山にでも行って、調べてみろ」

 それだけ聞き、不貞腐れた顔で事務所を出て行った。

 多久矢が居なくなる事で、この事務所もずいぶんと静かになる。

 しかし、少しは考えなくてはならない。その死噛みを……。

 「ハイエナか……。それともオオカミか」

 資料の流し読みから手に入った情報。それはお粗末なものだったが、それでもいい。兎に角は、乱入された後に必ず“行方不明者”が出る事だ。

 もしコレが山中などの、遭難という言葉が、密接に存在する場所なら分かる。戦いの最中(さなか)、崖や川にでも落ちたなら、行方不明になるだろう。

 だが……。

 「まるで人さらいか……。噛み隠しか?」

 言っていて随分陳腐に聞こえる洒落だ。俺も年を取ったか。

 「基本は足……か」

 俺は荷物をまとめ、外に出る支度をした。

 まだ昼時。外にでれば、電車の音が騒がしく、道行く人も足早だ。

 この中に、シニガミがいないとも限らない。せめて血の臭いでもあれば、分かりやすいのだが……。

 「そうそう見つかるものでもないか……」

 駅をウロウロと、目立つ黒一色で歩く。せめて、薄手のコートを作らなければな。暑すぎる……。

 随分歩いた。しかし、俺はなぜここまで執拗になっている? 同業など、放っておけばいい。誰が何処で死のうと、関係ない。

 歩いているうちにいつものバーに着く。危ない人間も多いが、その分信用できる。

 街の中で唯一地下に作られた大きな酒場。

 『イースト』。ビリヤード、ダーツなどを楽しみ、階段に酔い潰れた人間も居る。それを避けながら扉を潜り店に入る。

 近頃では警察も煩くなり、夜遅くに開けなくなった店は、昼からでも開いている。

 ここもその一つ。まだ太陽も天をさしたばかりだが、店は賑わい、さっきのような酔いつぶれがもう居るのだから。

 カウンターに座ると、注文を取らずに酒が来る。俺はキツイ酒が苦手なため、『カルーアミルク』をいつも呑んでいる。よく馬鹿にされるが……。

 それを出してくれたのはマスター。『藤村(ふじむら)健二(けんじ)』。茶髪にピアス。見るからにチンピラ系な男だが、情報網がかなりの物だ。大抵の事件はこの男に聞く。

 「アニキ、今日は随分早いですね~。何か有りました?」

 「聞いていないか? シニガミを」

 一瞬キョトンとした顔で止まるが、すぐに言葉を続けた。

 「ああ~。あっちの『噛みつき』ですね」

 「噛みつき?」

 「ええ。大体、聞いただけじゃアニキと被るでしょう? このあたりでシニガミなんて誰も言いませんよ。ですから、字が違うところから、『噛みつき』ってよんでます」

 人好きのするいい笑顔で答える健二。しかし、この男ほど口の堅い者は居ない。なんでも、ばれたら抗争の起きるレベルの話から、ニュースで扱われないどうでもいい話まで幅広い。

 「なるほどな……。しかし、解せないな。まるでハイエナだ。人の仕事に乱入して、獲物を横取りか。あまり褒められたもんじゃない。まぁ、俺達の家業もそうだがな」

 「アニキはちゃんと道通してるでしょ? そいつはカンペキな愉快犯だ。相手しない方がいい……」

 すると、健二はカウンターから身を乗り出し、顔を近づけてくる。この煩い店で、なおさら聞かせたくない話だ。

 「……実はですねアニキ。そいつ、気味の悪い噂……あるんですよ」

 「噂?」

 「ええ。なんでも行方不明になるヤツら、みんな食われてるって……噂、流れてるんですよ」

 食われる? 食人か? 戦時中なら分かるが、今の時代に証拠のでる方法を取るか?

 「ずいぶんガキくさい話だな。だいたい、人間の部位は食えるところが少ないぞ? ほとんどが筋肉と骨だ。唯一内臓くらいだが、牛じゃあるまいし食えんだろ?」

 「そりゃ噂だって思いますよ? でもね、正直可笑しいんです。実はつい最近、うちの仲間がヤッサン(ヤクザ)に世話んなって、抗争に参加したらしいんです。

 でも、『噛みつき』の所為で行方不明。今じゃ誰も見てません。アニキ、プロならいざ知らず、人ひとり隠すのにどれだけ難易度あるか、知ってます?」

 「誰に言っている。誘拐犯が必ずと言っていいぐらいに、被害者を殺すのがその高さだ。

 大体は食料の増加。いつ逃げるかというストレス。そしてもし排泄物の処理が難しい普通の住まいなら、Check Mateだ。ただし、被害者の命が……だがな」

 「でしょ? 誘拐にしろ、食人にしろ、今までの行方不明者、のべ57人。裏街道の人間だからこそ、世間は騒ぎません。しかしつい最近の被害にウチの(モン)が追加。段々表の人間に近づいてる。いつかは歩いてるヤツをイキナリって……こともあるんじゃありません?」

 たしかに物騒な話だ。しかし57人か。随分な大食漢だな……。

 「にしてもアニキ。こんな三流ホラーみたいな話調べてるんすか?」

 健二の意見も尤もだ。しかし、妙なしこりが残る。コイツは、まだまだ食べ足りないらしいな。

 すると、店の中でのトラブルだ。いきなりの喧嘩。健二はやれやれといった表情で離れていく。

 「っと、すんませんアニキ。ちょっと離れます」

 「いやいい。俺も聞きたい事が聞けた。礼を言う」

 失礼する。と挨拶を交わし、店を出た。昼時では無いにしろ、腹も減った。少し腹ごしらえを済ませてから、歩くことにしよう。

 そうして俺は、近くにある喫茶店に向かい歩きだした。

 

 

 

               /

 

 事務所を出て、俺は何度読み直したか分からない。湿った依頼書を読み直す。手作りなためか、コーヒーでほとんどのインクが滲んでしまった。自分がした事とはいいながらも、少し腹も立つ。

 「たくよ。兄貴も兄貴だ。手伝ってくれりゃ良いものをさ。山爺の所は(たけ)ぇからなぁ……」

 ハァ。っとため息が一つ。ため息は幸せを逃がすと言うが、もしあるならため息なんて最初から出ねぇよ。

 とにかく兄貴への愚痴をこぼしながら、山爺の所へ向かう。

 さっき兄貴が言った『山』。情報屋の名称、『山と川』。ここは特殊なものを扱う情報屋だ。入るには合言葉。さらにどんな些細な事でも一つ10万。まぁどんなに凄い情報も10万だから、(すげ)ぇって言っちまえば、その通りだが。

 「今日は居るかねぇ……」

 駅を小走りで横切り、裏道へ。そこにあるラーメン屋の裏口。実際にはラーメン屋とは別の作りだ。ただ、ラーメン屋の裏がこの扉だから、みんなここが勝手口だと思っている。

 ノブをひねり中に入る。入ってすぐに左に上がる階段。壁には新作ラーメンのチラシなど、勝手口を連想させるものが沢山ある。階段を上がり、右手にドア。

 しかし、このドアの先は倉庫。目ぼしい物はない。突き当りの壁。それを一定のリズムで叩く。すると……。

 「山……」と聞こえてくる。

 そして合言葉。

 「川と見せかけて、実は沼」

 これが合言葉。壁が動きさらに壁。一度ここに入り、後ろの壁を閉める。すると前の扉が開く仕組みだ。

 この先が、凄腕情報屋。『山と川』である。

 入ると、どこぞの社長室のような作り。恐らく20畳以上の広さ。そこにテーブルとソファ、そして奥にデカいテーブル。そこに座る細身の爺さん。それが通称山爺。自称江戸時代から続く、情報屋らしい。

 「おお~、九条の子倅(こせがれ)か。めずらしい客が来たもんじゃ。なんじゃ、仕事に困りだしたか?」

 「うんや。ただ聞きたい事があってね……」

 そういって、ウチの事務所よりもやわらかいソファに座る。

 「死噛みか?」

 驚いた。もう知ってやがる。まぁ、警察が知ってるくらいだ。可笑しくはないか。

 「御明察。依頼なんだが、場所も思考も読めねぇ。なんか知ってる?」

 爺は社長椅子のようなものから降り、俺の向かい側のソファに腰を下ろす。

 「……アヤツは狂人の(たぐい)。あまり関わらん方が、ええと思うがの……」

 珍しく爺が渋りやがった。いつもはほいほいと情報をくれるヤツが、めずらしいな。

 「なら爺はしってんのか?」

 「いや知らん。ただ、アヤツ以外と逃れた被害者を知っとる」

 爺の言葉に驚いた。死噛みから逃れた? 行方不明者が続出してるなかで、逃げれた?

 「じゃが……。もう死んどるがな」

 チッ。手遅れか。コレじゃあ振り出しか。

 「爺。お前ぇは何か知ってんのか?」

 「なに……、アヤツの父親を知っとるだけじゃ」

 「父親? どんなやつだ?」

 「遊び人よ。まだ儂が若い頃な、よう二人で遊びよった……。共に笑い、泣き、苦しみ、そして先に逝った。幾らか歳がいった時にのぅ、ヤツの倅を見た。たしか……まだ八つ頃か。大人しく、綺麗な橙色をした髪じゃったよ……」

 どうやら旧友の仲らしい。でも子供の事は知らないって訳か……。ん? まてよ。

 「橙って、染めんてんじゃねぇの?」

 「染めてはおらん。ただの、ヤツの家系はすこし……毛唐の血が混ざっておってな。段々と薄くなり、今じゃ橙色に見えるようになったんじゃ」

 毛唐……ね。つまりは欧米人関係か。

 「そのガキの名前は?」

 「……………………」

 しかし、爺はここまで来てだんまりだ。聞かせたくないらしい。

 爺が情報を隠すの事は今までなかった。

 俺と爺は、まるで睨み合いのようにお互いを見つめ、時が過ぎる。

 「なあ爺。まさか、殺して欲しくないのか?」

 「…………まぁ、な」

 「おいおい……。あのなぁ、俺達は仕事人。そして爺は情報屋だ。どちらが動こうと人は傷つく。死ぬ。それが分かっててこの仕事始めたんじゃねぇのか?」

 「儂も、人の子であった……ということじゃな」

 「人の子ぉ、ね。親友のガキのために、他人の命をさしだすたぁ流石、と言ったところか」

 やりにくいねぇ……。これ以上のネタは聞きだせそうに無い。それどころか、ガセ掴まされる可能性もある。くわばらくわばら。

 「わぁったよ。俺はこれ以上調べねぇ。ここに居ても、収穫はなさそうだ。失礼するぜ」

 「すまんな……」

 「らしくねぇな爺。お前ぇはど~んと構えとけ」

 じゃあなと言いつつ、ソファから立ち上がり部屋を出た。

 階段を降り、外に出る。少し日も高くなった。

 「ハラ……減ったねぇ。爺にしちゃ、エラく殊勝な考えだ。殺したくねぇ……か」

 ククッ。っと思わず笑っちまった。だってそうだろ? 情報屋やってるってことは、その情報を買うのは裏街道の人間。買えば必ず直接だろうが間接だろうが、人が死ぬ。

 なのに……。

 「随分甘いねぇ……」

 まるで堅気の考えだ。仕方ねぇ、兄貴に聞くとするか……、癪だけどな。

 そして俺は、近くにあると噂の喫茶店に足を向けた。

 

 

                /

 

 

 

 多久矢は喫茶店に向かい、派手な装飾の看板を見つける。

 看板は異様に派手だが、作りはまぁまぁといった感じだ。テラスもあるが、中にはいる。

 店員が何名ですか? と聞くのに、一名と答え、喫煙席にむかう。

 「ただいまのお時間、全席禁煙となっております」

 「……ハァ……。やっぱ、ファーストフードが一番かねぇ」

 多久矢は奥の一番角に座り、出しかけたタバコを仕舞う。そして店員が持ってきたメニューを開き、店長おすすめメニューの説明を聞き流し、簡単な昼食をとる。

 「おきまりになりましたら……」

 「決まった」

 基本的に多久矢はうじうじ悩むタイプではない。何処に行っても即断・即決・即行動である。

 高級感のある生ハムサンドイッチとコーヒーのセットを頼み、吸えないタバコを見ながら思考する。

 そこに人影が近づく。

 「多久矢。お前も昼飯か」

 「兄貴。珍しいねぇ、こんなとこに兄貴が来るなんて」

 そう言いながら、多久矢の正面に座る。

 「で? 収穫はあったのか? その濡れた依頼書で」

 「ああ、少しな」

 歯切れも悪く、落ち込んでいるとは違う声音。気になり、こちらの情報を出す。

 「こっちも健二のおかげで助かった。だが、あまり期待できる内容でもない。

 いいか? 連れて行かれた57人。それら全ては食われているらしい」

 「ハァ……? 食人? 噛みつきがぁ? そりゃまんま名前じゃねぇか」

 「そうだ。そしてそれと街を行く中でオレンジの髪は16人。いずれも血の臭いは無い」

 「だろうね。そんな簡単に捕まるなら、こっちに話は回ってこない」

 多久矢はけだるく背伸びをするように、背もたれに寄りかかる。

 「ああ、そうそう。オレンジの髪は染めてるんじゃなくて、元からだってさ」

 「もとから? ハーフか」

 「さぁ? 結構前だから……、何分の一だ?」

 「俺に聞くな。なら、基本情報はなし、か」

 ふりだしに戻る。まるで、重りの付いたサイコロだ。辿りつけないすごろくか?

 まったく、住んでいる場所、人物が特定されていれば楽なのだが……。

 「多久矢、お前はこの犯人をどう見る?」

 「まだ想像の域をでない。愉快犯か、人体コレクターか、それとも復讐……はねぇな。57人も復讐出来ねぇよ」

 「だろうな。ま、飯を食うことにする」

 「アイアイサー……」

 とりあえず、まだ来ない店員を呼びつける事が先決だろう。

 

 

                  ◇

 

 

 

 随分話が長くなった。だが、夏ともなれば日は長い。日がくれても可笑しくない時間だが、未だに空は青白い。

 ひとつ分かったことがある。“山爺が敵の可能性”、もしくは“敵になる可能性”がある。

 それは正直なところマズイ。情報はこの時代、何よりも優先される。もし敵になった場合、苦戦は必須。

 「まぁ、それも想像か……」

 ネオンに灯りが点き、道行く人も増えてくる。このなかに居るのか、それとも犯行時のみ表に出るのか……。

 案外山爺が保護している可能性も……っ!?

 鼻につく臭い。普通の人間では近く出来ないモノ。血液だ。

 裏路地に続く細道。そこを歩いて行く。

 周りには、白い粉を持ったヤツや、タバコのようなモノを持って顔を伺うやつも居る。

 だが、そんな物に興味は無い。この血の臭いを出しているのは……。

 さらに細くなった道を行く。この先が行き止まりのような道。それが続き、三つの道が重なる地点。そこからさらに進む。

 ビルやマンションの構造上、必ず行き止まりは出来る。

 わずかな隙間を行き、その行き止まりに行き着く。

 そこにあったのは(あか)の装飾。人だったのか、ただ血の詰まった袋を破っただけなのか。それが分からないほどだった。

 そこに人。しゃがみこみ、グチャグチャと音がする。己の靴が血溜を踏み、音がする。

 ピタリと動きが止まる。顔を上げ、こちらを振り向く男の髪は…………オレンジ色だった。

 「ああ~、よぉやく会えたなぁ~」

 こいつ男か? まるで女のように華奢な体つきだ。オレンジのズボンにオレンジのパーカー。だが大部分は血でデコレーションされている。

 「お前はぁ……シニガミ?」

 「ああ……。お前も、シニガミか?」

 それを聞いて嬉しそうに笑う男。犯人確定か。

 「お前……殺しは?」

 いきなり男は聞いてきた。殺しか。

 「あるぞ」

 「始めて殺したのは……ダレだ?」

 「名も知らん男。確か16だった」

 知りたくもない男だった。

 「ふ~ん。俺はさぁ、10歳だった。カアサンがさ、料理しててさ。手を切ったんだ。血を出したら手当てしなきゃいけないだろ? そのとき……血をすったんだ。

 そしたらさぁ、止まらなかったんだ。まるで三大欲みたいに……我慢するのが辛くて、食った」

 三大欲。食欲、性欲、睡眠欲。人間が耐えられない欲。こいつはそれと同じレベルで……。

 「親を殺し、食った……?」

 「ああ。美味かったぁ~。それからさ、随分食ったなぁ。お前はさ、人間特有の異常衝動ってアルか?」

 異常衝動? 殺人や強姦など禁忌的欲求か。

 「あるにはあるが、そこまで酷くは無い」

 「羨ましいなぁ。俺は耐え切れなかった。これからも耐える事はできない。そして、この食事を見られた。ダカラァ……!」

 刹那、姿が消えた。

 上っ!?

 その鋭利な爪で切り裂こうとする斬撃を後ろに下がり避ける。

 だが、着地の瞬間にこちらに向かい、追撃する。

 俺は隠し持った暗器、ナイフを出す。

 相手の爪を切るつもりで振るうが、硬い。斬鉄はできんが切れ味はある業物だ。それを爪で? ありえん!

 「っく!」

 「あははは! たのしい……なっ!」

 渾身の一撃を食らい、後ろに押される。

 だが、その先の追撃は無い。中腰のまま、こちらを見ながら嗤う男。ゆったりとした動作で立ち上がる。

 「強いけど……残念だ。お前はそんな玩具(おもちゃ)じゃホントウの力は見えない」

 ……どうやら、観察眼もあるようだな。

 「だから、ここは引くよ。それじゃあちょうど60人目は……お前にする」

 ニタリと笑い、パイプやガス管を足場に、空に近づく。

 「それまで死ぬなよぉお!」

 それが捨て台詞で、気配も殺気も消えた。

 「運が良かったか……」

 見ればナイフにヒビ。もし続けていれば折れていたか……。

 「やはり黒帝がなければ、分が悪いな」

 久しぶりに、本気が必要らしい。

 俺は悪臭の強いその場所から去り、次に備える。

 奴を切るために。

 

 

                  ◇

 

 

 

 「ハァ……ハァ……ハァ……」

 息が続かない。さっき始めてした殺しあい。今まで殺す側だった。相手は殺されるだけだった。でもあいつは……。

 「あんな本気の殺気、初めてだってよぉ」

 あんな確実な殺気。今まで無かった。

 「たのしそぉだなぁ」

 そのときにけたたましく鳴る電話。決まってる、あの爺さんだ。余計な事ばっかり……。俺を生かそうとする。必要ない。俺は自分の力で生きて、自分の無力で死ぬ。

 「余計なんだよ。お前はぁぁああ!」

 電話を投げ飛ばし、線を千切る。これでいい。俺は……。

 ――アイツと殺しあいたい。

 

 

                /

 

 

 

 兄貴が帰ってきた。体に血の臭いをしみ込ませて。

 「兄貴、なにがあった?」

 「死噛みにあった」

 驚いた。犯人にあったのか……。

 「それはそれは……。で、刈ったか?」

 「いや、無理だ。アイツは少し特殊だ。なにせこれだ」

 兄貴はそう言いながら、暗器に使ってるナイフを投げてきた。それに入ったヒビ。それを見ただけで、そいつの強さが分かった。

 「こいつぁ……。なるほど、なにでされた?」

 「ツメだ」

 ツメ? つめって、この爪?

 「はあ? つめでこれかよ。同じくらい化け物(バケモン)だねぇ」

 ナイフをクルクルと回しながら考える。なら、どうやって帰ってきた?

 「兄貴、結局どうなったんだ?」

 「見逃された。60人目で始末をつけるらしい」

 60人。つまり、あと二人か。

 「とにかく、俺は黒帝を使う」

 オイオイマジか?

 「黒帝って……、兄貴。本気か?」

 「ああ……。久方ぶりの本気だ。心も躍る」

 あ~あ。やる気だねぇ。御愁傷様。

 「でもよ。後二人ってことはしばらくは大丈夫か」

 「だな、俺は黒帝を取りに行ってくる。留守を頼むぞ」

 そういって兄貴は出て行った。しかしまぁ、とんだ事になったねぇ。

 「ああ、大変だぁ」

 なんて、口にしても誰もいない事務所に声が響くだけ。兄貴はどうしてあそこまで執着するかねぇ……。

 「同属嫌悪……。いや、近親嫌悪か?」

 窓から外を見下ろす。人気もない裏路地。たまに人が通るが、みな足早に抜けていくだけだ。

 「ああ~。俺も雷神もってくりゃ良かったか?」

 ん? 誰かいるな……。

 下からこちらを見る人影。客か? いや、もう時間的にはないな。なら……。

 「な……?!」

 髪の色はオレンジ。オレンジ色のパーカー。そして……。

 「返り血……、死噛みか!?」

 俺は一目散に外を目指す。階段を駆け下り、扉を開け表へ出た。そして相手を見据える。

 間違いないな。こいつは狂人だ。体から大量に血の臭いがしやがる。何人殺した? ああ、知ってる。57人だよ、クソ!

 「手前ぇが……死噛みか」

 粘ついた笑みでこちらを見ている男。殺気が深すぎて、どこに来るか分かりゃしねぇ!

 「何とかいったらどうだ? それとも手前ぇはオシか?」

 「……くっくっくっく…………」

 そいつはニヤついた顔でさらに笑う。いや嗤う。こちらを馬鹿にするように、よだれを垂らし、獣と呼ぶのが相応しい。

 「お前はサ? あいつの弟だロ?」

 「ああ。あの馬鹿の……オトウト、だぜ」

 風が(はし)る。立ち位置10メートルは離れてた。が。

 「ぐうぅぅ! ぬう……」

 「ふ、くくくくく!」

 互いの距離はゼロ。噛みつきはその強靭な爪を()って、俺に切りかかった。

 なんとか防いだが、腕に爪が食い込みやがる。

 「チッ! 硬化ぁ!」

 腕に気をめぐらせ、鋼と成す。腕は褐色に変化。これなら、耐えられる。

 「へえ~、お前もバケモノだったかぁ……。誤算だなぁ」

 「手前ぇ、60人目で始末つけるってぇのはどしたぁ!」

 「ナにいってるんだ? お前の兄さんは俺の食事を見た。つまり58人。そして、お前でぇえ……」

 奴は力を込め。

 「59人目ぇええ!」

 俺を吹き飛ばす。

 「クソっ! 馬鹿力が!」

 何とか受身を取る。数メートルは飛ばされたか。

 「どこ行きやがった?!」

 気配と殺気はあるが、姿がねぇ……。どこだ? どこにいる。

 奴は59人目が俺と言った。つまりはちょうどドンピシャ、俺がセミファイナルってやつか。

 気にいらねぇ……、俺を前座扱いしやがって……。

 「……手前ぇの脳天、かち割ってやるからよ。早ぇとこ出てきやがれ……」

 構えたまま静止。すでに五分は過ぎた。が、いまだに殺気は十分。何処から……。

 「ひゃは!」

 「上ぇっ!!」

 奴はビルの最上階からのダイブ。それも数え切れないナイフのおまけ付だ。

 「だがよぉ……ヌルいぜ!」

 跳躍。ビルの凹みや窓のサッシを足場に駆け上がる。

 「九条流闘技ぃい!」

 「死んでくれよおおぉぉ!」

 構え、穿つ! 肆拾肆式!。

 「我狼双墜撃(がろうそうついげき)ぃぃいいい!」

 硬化した腕で放つ二本の(うで)

 「ああ、ゴフッ!」

 腕を伝い、鮮血が流れる。

 「狼の牙。たっぷり味わえ」

 「ハッ! 遠慮するよ」

 目の前の体じゃない、別の……。

 「なっ、がはぁ!!」

 下? だとぉ!

 「なんで……」

 「どこかの親切さんが、偽造死体くれたんだ。お前たちなら、これくらいしないと勝てないってさぁ」

 「偽造死体ぃ……? なら手前ぇは」

 「ああ、ずっとお前のそばにいたゼ?」

 背中に爪を刺し、顔が見えないが分かる。嗤っていると。

 「だがっ、手前ぇが殺した奴の血の臭いは……分散してたぜ」

 「それなら、血球だ。それも親切さんがくれたもんさ。さぁ、おしゃべりは終わり。…………地面とキスしてな」

 死噛みは俺と入れ替わるように上に回り、俺を落とした。

 俺はゆっくりと、大地目掛けて落ちていく。

 普通なら、誰か助けがくるもんだが、……無情にも、俺の体は地面に叩きつけられた。

 

 

                /

 

 

 

 奴は本気で相手をしなければならない。密殺用の暗器では相手にならなかった。保管している業刀、黒帝夜叉明王。すべてが黒い、漆黒の大刀。あれなら、たとえ鉄のような爪であろうと……。

 「行くぞ、黒帝」

 俺は黒帝を掴み、外に出る。するとそこに、珍しい顔があった。

 「ジジイ……」

 情報屋、『山と川』の社長。山形秀介(やまがたしゅすけ)。奴が人前に顔を出すことはまず無い。それが俺の……、俺たちの家に来るのはありえない。

 「良い夜じゃな。九条」

 杖をつき、弱弱しく佇む老人。だが、今のこいつは……。

 「随分だな、ジジイ。俺に殺気とは。殺されたいのか?」

 「いや、遠慮しよう……。お前さんは今から何処へ行く?」

 決まっている。死噛みを殺す。

 「ジジイ。多久矢が行ったみたいだが、この件はジジイに関係は無い。退()け」

 だがジジイは退く気配はない。それどころか、殺気は益々膨らんでいく。

 「すまんが、この一軒から手を引いてくれんか? 金ならやる」

 「ジジイらしくもない。俺たちが今まで撤回をしたことはないだろう? それに、裏街道に生きるアンタが、俺たちを止める。それがどれだけのタブーか、分からないアンタじゃないだろう」

 「すまんが、奴のところには行かせられん。ここで仕舞いにしてくれんか?」

 ジジイ、アンタは。

 「まさか、死噛みの仲間か?」

 「仲間ではない。世話焼きの親切さんじゃな」

 予感は当たった、嫌な方向に。敵になるかも知れない、ではない。すでに敵だった。

 「邪魔をするのか?」

 「儂にとったら、お前さんが邪魔じゃ」

 「何故邪魔をする?」

 「何故? それはお前さんじゃ。そもそも、この件はまったく依頼の無い事件じゃった。それが何故、お前さんたちが調べる? 追う? 殺そうとする?」

 「気に入らないからだ。だから殺す。なんならあの似非刑事の依頼、と言うことでも構わないが?」

 「屁理屈じゃのう……。女子に好かれんタイプじゃな」

 「一人に好かれれば、後はいらんさ」

 「親を殺した履歴が、そんなに癪か?」

 「なに……?」

 「奴に聞いたんじゃろう? アヤツがはじめて殺したのは母親。お前さんはそれが気に入らんのじゃろう?」

 「………………」

 図星だった。奴が親族を殺すことが、どうしようもなく腹が立つ。

 「自分の女房を殺した奴が何を言う」

 「…………ッ!!」

 思わず黒帝を振った。鞘に収めてはいるが、それでも威力は変わらない。

 だが、ジジイは受け止めた。俺の剣を。

 「怒りだけでは儂は倒せん。心が篭っていなければな……」

 「貴様がそれを言うか!? 前時代の亡霊がぁ! どけ! でなければ切る!」

 「ヌシの剣じゃ切れんよ。せめて、半刻。ヌシを止める」

 「ほざけジジイ!」

 鞘から抜き放った黒帝をジジイに叩きこむ。だが、手ごたえが無い。まるで人形のような。

 「これは……? まさかフェイクドール?!」

 馬鹿な! あれはすべて!

 「左様。その数26体。今のは中身の無いものじゃ。しかし、他のは違うぞ?」

 一斉にかかって来るドール(人形)共。杖に仕込んだ刀が俺を襲う。しかし……。

 「甘いぞ! 老いぼれ!」

 奴の獲物がすべて業物ではない。中には(なまく)らもある。それを隠すために先ほどはあえて動かなかった。すべての性能が同一に見せるため。

 「九条流・剣技! 佰式、『散華・彼岸花』!」

 目の前にある人形を切り刻む。残るのは人形だった物。

 「散らせ、血の花……」

 「ほぅ……。なかなか、やるようじゃ。じゃがもう遅い、すでに四半刻。ここから行けば、また四半刻。冷静になったフリはできても、やはり血は滾っておったか……」

 くっ! しまった……。

 「ジジイ。何故時間稼ぎをする? 多久矢が狙いか?」

 「アヤツは60人目をオヌシにすると言うた。なら、親切な儂は手を貸すだけじゃ」

 「そうか……。事が片付いたら、貴様の命ももらう。覚えておけ」

 「ふっふっふ。見てて飽きん男よ」

 「いつまでも猿芝居はするんじゃない。貴様も人形だ、脈を切って死なん人間はいない」

 「ぬ?」

 ジジイは気付いたようで、首に手をかける。先ほどの剣技で、すでに切っている。

 「なるほど、目は……節穴ではないか」

 人形は崩れ落ちた。すでに奴はいない。残ったのは静寂、不快。

 だが、走る。せめて、あの思いをしないように。

 「噛みつき。ジジイ。お前たちは、消す!」

 走る速さを徐々に上げ、俺は事務所を目指した。

 

 

 

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