続き 11
◆
頬を伝う感触。
なぜ・・・?なぜ・・・それは・・・
おまえが いない。
はっきり意識した瞬間に感じた、自分が内側から裂かれる感覚。
硬く、冷たい骸はもう、彼女ではない。
彼女は死んだ、永遠に失われたのだ。
その、二度と戻らぬ彼女を、自分がどう思っていたか。
叫んだ。
そして記憶は途切れた。
◆
「お前は、ラファエル、なのか?」
そう言った零に、微笑んで、スズキは、ラファエルはゆっくりとうなずくと、問いかける。
「じゃ、きかせてもらおうか。ずっとききたかったこと。・・・ねえ、君は、・・・君は彼女を愛してた?」
ラファエルの青とも緑ともつかない、不思議な深さを抱いた瞳が、零をまっすぐみつめてくる。
零は無表情なまま、ゆっくりと答えた。
「わかってるんだろ。」
肯定するように、ラファエルが笑顔を浮かべた。
愛していた。
悪魔でありながら、人を。
そして、愛されていた。
俺はずっと前から、知っていたのだ、
愛を。
その感情が、本当に存在していることを。
それは確かにエゴでできていて、錯覚を呼ぶもので、その概念は妄想めいている。
それでも、それが二人をつないでいるなら、共有しているその想いが、ほとんど一つになっているなら、相手を自分自身よりも大切に思えたなら、それは愛と呼んで間違いないのだ。
「じゃあさ、えへへ」
嬉しそうな笑顔をラファエルは浮かべ、言葉を切る。
「今は・・・レイちゃんのことはどうなのっ?ねえっ!どーーーなのー!」
続く言葉は、さっきまでとうって変わって、軽いノリでレイへの気持ちを問う。
すっかり普段どおりの“スズキ”だ。
どうなんだろう?
あいつは、レイアじゃない。
似ているけれど、同じじゃない。
レイのために、俺はあんなふうに泣けるだろうか。
認めるのは少しシャクだが、心は、通い始めている、けれど。
答えは、出そうもなかった。
とりあえず、考え込む俺をしたり顔で見つめていたラファエルの頬を、色がかわるまでつねりあげてやる。
「いたたっいたいいたいー!きぎゃう(気軽)におーりょく(暴力)ふるわにゃいでっ!」
本当に痛いらしく、目には涙がにじんでいるが、口元は笑っている。
なぜ、笑えるのだろう。
あの時こいつはまだ、ただの人間だったクセに俺に向かってきた。
俺が喰ったレイアを、コイツも愛していたからだ。
愛するものを奪われて憎いはずの、その相手になぜ。
「なぜお前は、そんな顔ができるんだ?」
何百年も前だから?
時間が、想いをうやむやにしてしまったのか?
人が悪魔に立ち向かうなら、きっとそれは死を覚悟している。
目の前で一人死んでいるのだから、なおさら強い意志が必要だったはずだ。
そんな強い想いも、時間とともに風化するのだろうか。
あんなに俺たちを苦しませた、愛とは、そんなものか。
考え込むあまり、ラファエルの頬をつねっていた手の力が少しゆるむ。(が、放すことはなく。)
「僕、そんな変な顔?」
どう聞こえたのか、ショックをうけたようにラファエルが返す。
「俺が、憎くないのか?」
零は、彼の言葉にかまわず自分の疑問だけをぶつける。
「ああ、・・・そのことか。ん・・・、まあ、ちょっとは、憎らしいかな?」
言葉とは裏腹に、やはり笑顔(涙目)のまま。
「でもねぇ、君、あのとき泣いただろ?悪魔の、くせにさ。おまけに倒れこんで動かなくなっちゃってさ、死んじゃったかと思ったよ。でも、だから、気持ちは、彼女の気持ちは届いてたんだって、ちゃんとわかったんだ。なら仕方ないじゃない?そしたら直接手にかけた、とはちょっと思えないし、そうだとしても、君は彼女の願いをかなえただけ。そして、彼女にとっては、好きな人とひとつになるほうが、残りの、君のいない人生よりも大事だったんだもの。・・・あの子が好きになった君を、悪魔のクセに人を愛せる君を、僕は信じてみたい。彼女の愛した君は、僕にとっても大事なんだ。今は・・・とても。」
よどみなく言い切る。
想いは、消えたわけでも、うやむやになったわけでもなく、変わらずそこにある。
何百年という時を経ても、ずっと生き続けていた。
そうだ、それは、ここにも。
◆
「ねー、そろそろ手ぇはなしてよーほっぺたのびちゃうよー・・・あれ?君・・・」
零は、あのときの涙の続きを流していた。
音もなく泣き続ける彼は今、あの森にいるのだろう。
まだ人間だったあの時、ラファエルは確かに、あんな結末をもたらした悪魔を残酷だと感じた。
死を選ばせるくらいなら、そして少しでも彼女を想っていたなら、どこか、家族の手の届かない場所へ連れて行ってくれればよかったのだ、と思った。
一瞬だが、憎みもした。
けれど、その後長い長い時間をかけて、彼の考えは変わっていった。
変わったその考えは、零を見守るうち、だんだんと確信めいたものになる。
そして今、声ひとつあげずただ涙を流し続ける彼を見て、レイアの願いこそが残酷だったのではないかと思うのだ。
なぜなら、あのときすでに悪魔は、その身を滅ぼしかねないほどに彼女を愛していたのだから。
愛していたから、人間としての彼女の人生を奪ってしまうことができなかった。
人間である彼女を、モノのように、奪ってしまうことができなかったのだ。
けれど、その愛が彼に負わせた傷は、記憶を封じてしまうほどに深かった。
そうしなければ、生きていけないほどに。
あの時彼があげた叫び声は、今でも耳に残っている。
生きたまま体を裂かれているような、聞くだけで身がすくむ叫び。
自分の気持ちと、その行き場が永遠になくなったことに気づいたあの瞬間、彼は、自分で自分を殺そうとしたのかもしれない。
まるで後を追うように。
けれど、それはかなわず、ただ記憶だけが、開くことのない扉の奥へ閉じこめられて。
それをこじ開けたカギは、きっと・・・。
「だいじょうぶ、今度は、今度こそ何があっても僕が守るよ、キミも、あの子も。」
ラファエル、大いなる天使の名を持つ彼は、涙を流し続ける悪魔のそばで、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。