続き 8
◆
満たされない愛しさは、狂気を呼び、心を壊す。
このままじゃ、あたしは壊れてしまう。
どうせ壊れてしまうなら、もう何もいらない。
痛いだけの心も、あんたのいない時間も、何もかも。
一度は戻ったものの、その後何度も、彼女は夜中に家を抜け出し、森の奥深くで座り込んでは泣き続けた。
そのたびに悪魔は姿をあらわすことなく、気づかれぬように、その力で彼女を眠らせてはそっと部屋に帰した。
そうするうち、家族が彼女の奇行に気づいた。
恐ろしい悪魔が、とうとうその本性をあらわしたのだ。
いよいよ彼女をイケニエにするつもりなのだ。
そう思い彼女の身を案じた家族たちは、夜になると、ドアと窓に外からカギをかけた。
自力で外に出られなくなった彼女は、窓にすがって毎晩弱々しい声で泣いた。
確かに彼は、魔物なのだと、泣きながら彼女は思う。
もうずっと会っていないのに、それでも自分をこんなにも惹きつける。
あの瞳、うつろな瞳で今も彼はあの森にいる。
そばにいて、笑って、いつかその瞳にいろんな表情を見る日がくると思っていた。
笑う顔が見たかった。
自分が、彼と一緒にいて幸せだったように、笑っていたように。
なにかを無くしたようなその瞳、とりもどしてあげることができないなら、満たしてあげたかった。
はかなげな花を思わせる、ほんのかすかな彼の香り、夜空から降りる月の光をまとったような、熱を感じさせない肌の色、夜そのもののような、柔らかい黒髪。
彼といた、あの森、深い緑。
薄暗いそこに射す、木漏れ日の輝き。
何を思い出しても、涙があふれた。
その泣き声は遠く、森の奥の悪魔に直接届き、人の苦しみや悲しみを糧にしているはずの彼を毎晩さいなんでいた。
◆
彼女の頬をつたう涙の一粒一粒、その感触までわかる。
忘れろ・・・忘れてくれ。
彼自身が出向いて彼女の記憶を処理してしまえば、こんな苦しみはもうやってこない。
一瞬で、すべてがなかったことになる。
けれど、彼にはわかっていた。
あの時できなかったことが、今できるはずがないと。
彼女の狂おしい叫び、一秒たりともとぎれずにつながったままの、かなわぬ想いで千にも裂かれる心。
お互いの心は相手を求めるばかりで、今彼女の前に行けば、きっと彼は彼女を森へ連れ去ってしまう。
けれどそれは、彼女から人の暮らしを奪い、いままでの人生に別れを告げさせることになる。
人としての生き方を、人の幸せを彼女は永遠に失う。
だから、いまを、この時を乗り切りさえすれば、どんなに辛くともきっと、時間が優しく記憶を薄れさせ、荒れ狂う思いを鎮めてくれる。
その考え方はまるで人間のようだったが、元はといえば彼は、人間の想いからできた怪物、人間の心そのものなのだ。
けれど、長い時間人を見てきた、その感情を糧とし触れてきた彼は、本当は知っていたはずだった。
人間たちがたどった、数々の悲恋の結末を。
その思いが強く、純粋なほどに、結ばれなかった恋人たちが迎える最後が残酷であることを。
薄暗い昼の森で、久しぶりに見るその姿は、見る影もなくやつれ、ふらふらとした足取りは失った心を探してさまよっているようだった。
すぐにでも姿をあらわし、はかなげにやせ細ってしまった彼女を、レイアを抱きしめてやりたい、と悪魔は思う。
けれど、それはできない。
彼女のために。
本当は、そうではなかった。
抱きしめてやればよかったのだ。
今まで彼は、幾度も間違えた。
けれど、まだやり直せた。
これは、最後のチャンスだった。
(続)