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居候日記  作者: narrow
85/95

続き 7

    ◆

 木々の間から、月の光が射す。

 ふらふらとした足取りで、深い森の中をレイアが歩いてくる。

 家族も、友人も、帰るべき村も何もいらない。

 ただ、会いたい、そばにいたい、ううん、いてほしい。

 魅入られているのかもしれない、魔物でもいい。

 死んじゃうかもしれないなんて、もうずっと昔に覚悟したことだもの。

 彼女は、家族が寝静まったところをそっと出てきたのだった。

 二度と戻らないつもりで。

 大切な家族たちと、少しだけ心が通い始めた悪魔と。

 選べなくて、迷い続けて、疲れ果てて、それでも、虚無感を抱いたその瞳が、一瞬だけ優しく見えた瞬間が忘れられなくて。

 暗い森を彼女は歩く。

 さよなら、母さん、父さん、おにいちゃん、村のみんな。

 みんなは、あたしがいなくても大丈夫。

 けど、悪魔は・・・あたしは、悪魔と一緒にいたい。

 つかれきった顔に、置いてきたもの全ての重みをたたえた涙が光った。

 ふわりと、花のような、なんだかいい香りがする。

 そう感じた瞬間、体の自由が奪われた。

 まだ呼んでもいないのに、悪魔が柔らかく彼女を抱いていた。

 「泣くな。不快だ。」

 冷たい言葉とは裏腹に、大きな薄い手のひらが、ぎこちなく彼女の髪をなでる。

 「ぅ、ふっ、うえええええん!」

 その、ほんの少しの優しさは、彼女の涙をとめどなくあふれさせた。

 「うるさい。」

 優しい声で、悪魔は腕の中の彼女にそう言った。

 長い時間、彼女は泣き続けたが、深い森がその声をすべて呑み込んだ。 


 いつの間に眠り込んだのだろう、あれは夢だったのか、彼女は自分のベッドで目を覚ました。

 悪魔は、見当たらない。

 彼のいない、どんよりとした、よどみの中をただようような毎日。

 ため息をついて身を起こした彼女は、あきらめと絶望に満ちたそこへ戻っていった。

    ◆

 深い緑。

 暗い森の奥、空気は重く沈み、動物たちさえそこにはいない。

 その、森の奥にただよう空気そのものが彼だった。

 昨晩、泣き疲れて眠ったレイアを家まで送り届けた彼は今、人の形をほどいて、霧のように森に漂いながら休んでいた。

 人間であれば、眠っている状態。

 けれど彼は、完璧には眠っていなかった。

 まどろみの中で考え事をしているが、そうしたくてそうしているのでもない。

 すべて忘れて、眠ってしまいたいのに、聞こえてくるのだ。

 泣いているような、震える彼女の声、彼を呼ぶ声が。

 だから、当然考えているのは、その彼女のこと。

 腕の中で泣いていた彼女、彼女の涙が流れるたびに襲ってくる、氷よりも冷たい手ではらわたをかきまわされる不快感。

 心は幾度もとがった爪をつきたてられ、いまにもバラバラになりそうだ。

 その涙が、なぜこんなにも不快なのか。

 彼女の笑っていた顔ばかりが、心によみがえってくるのはなぜなのだろう。

 その涙をすべてこの胸にうけとめてやりたい、できるものならすぐにでも笑顔に変えてやりたいと、強く思った。

 なぜ泣いているのか、あのとき彼は彼女の心を探った。

 彼女が今考えていることも、記憶も、魔物である彼には目の前でおきたことのように理解できた。

 そして、彼女が泣いているのは、ほかの何より自分のせいなのだと知った。

 ならば、自分が消えれば、彼女はもう泣かずにすむ。

 それは、彼女の心を探るのと同じく、魔物の彼にはなんでもないことだ。

 彼女の記憶を消し、二度と姿をあらわさなければいいだけ。

 意識しなくともその熱を肌で感じるほど、彼女が彼に寄せる想いは強かった。

 けれど、その想いも、共にすごした短い日々の思い出も、初めから無かったように綺麗に消してしまうことが、彼にはできる。

 できるはずだった。

 そうしなければ、どうなるかは分かりきっている。

 悪魔と人間の恋など、不毛だ。

 何も生み出さない。

 生み出すどころか、壊し続けるだけだろう。

 彼女がどんなに求めていようと、悪魔は悪魔、人に害をなすもの。

 ほかのなにかに変わることなどできない。

 それゆえに、待っているのはきっと、想像もつかないくらいの悲劇。

 それでもそうしなかった、いや、できなかった。

 それが自分にとってのタブーであるかのように、彼女の中の自分を消してしまうことで、自分自身が消えてしまうとでも言うように。

 それでも、そうしておくべきだった。

 悪魔・・・ねえ悪魔。

 彼女の声がきこえる。

 やはりそうしておくべきだった、でもできなかった、それでも・・・。

 思考は堂々巡りを繰り返す。

 けれど、人は忘れることができるから。

 きっと、今のこの時を、何ヶ月か、もしかしたら何年間か、やりすごしてしまえば、彼女は、レイアはいつか俺を忘れる。

 そしてこの声もいつか聞こえなくなる。

 この声を聞くことは、呼びかけを無視し続け、耐えることは自分に課せられた罰なのだと、彼は思う。

 いつか聞こえなくなるであろう声。

 彼女の意識がある間、絶え間なく聞こえてくるそれは彼を休ませてはくれなかったが、けれどそれは彼女の想いそのもの。

 聞こえなくなるときを思うと、神経がすり減っていくこの責め苦さえ、なにか大切なもののような気がした。

 ねえ、悪魔。

 聞こえ続ける彼女の声は、今にも泣き出しそうで、いつかのような愉しげな響きは、どこにもない。

 どこにも。

 広い空間を霧のように漂っていた彼は、人の姿を取り一箇所にまとまると、みずからの肩を抱き、うずくまった。

 泣いている小さな子供のように。

 涙は、流れていない。

 きつくつかんだその肩が震えることもない。

 石のようにぴくりとも動かず、ただ、かすれた声で一度だけ、彼女の名を呼んだ。

 「・・・レイア」

 そうして自分自身を抱きしめていなければ、散り散りになったまま消えてしまう気がしていた。

(続)

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