続き 5
◆
だが、彼女、レイアのまわりはそうではなかった。
仕事の合間をみつけては、毎日のように一人で森へ消えるレイアを、あるとき女の友人がこっそりと追いかけた。
きっと恋人とでも会っているのだろう、顔を見てやれ。
そんなイタズラめいた気持ちで後をつけた友人は、その光景を見て自分の行動を悔いることになる。
黒く細長い影に寄り添うレイアは、その異様に大きな影を、こう呼んでいた。
「ねぇ、悪魔?」
逢瀬の相手は、悪魔。
自分の友人が悪魔に魅入られてしまったなんて!
そっとその場を離れると、友人は村へと帰り、一人悩んだ。
その彼女に、声をかけるものがいた。
「どうしたの?そんなところで一人でいると、寂しいでしょ?」
「ラファエル・・・」
天使の名をもつその青年は、彼女たちの共通の友人の一人だった。
いつでも明るく笑っていて、誰よりも優しく誠実で、整った容姿をした、まるで神に愛されているかのように出来すぎた彼は、村の人々から、老若男女を問わず好かれていた。
彼女もその一人だった。
彼になら、話してもいいかもしれない、と彼女は思う。
優しい彼なら、きっとみんなには黙ったままで力になってくれるだろう。
一緒にレイアを説得して、悪魔からとりもどすのだ。
「んー、それはちょっとまって。」
彼女が見てきたことをひととおり話し、一緒に説得を頼むと、ラファエルはそう言った。
「え・・・なんで?だってこのままじゃレイアが悪魔に」
異様に背の高い体に、上から下まで黒い衣服をまとった妙に細い、気味の悪いシルエット。
あれは、あの恐ろしい姿は本物だ。
なにより、悪魔と呼ばれていた。
救わなければ、彼女たちの友人、レイアは殺されてしまう。
「怖かったのはわかるけど、何もしてないんだからそれが、その人が本物の悪魔かどうかわからないでしょ?・・・別にレイアだって何ともないし。」
そうなのだ。
ちょくちょく森にでかけるレイアに気づいてからもう数週間はたっていて、けれどレイアに前と変わったところは何も無い。
元気な姿は、命を吸い取られているようにも傷つけられているようにも見えない。
いつでもはっきり自己主張する彼女は、操られているようにも見えなかった。
それに、そう呼ばれているだけでホンモノの悪魔がいる、などとはすぐに信じられることではない。
なにかの目的で、悪魔を名乗っているただの人間かもしれない。
とはいえ、相手が本当に悪魔なら、放っておいていいはずがない。
「でも・・・」
なおも何かいおうとする彼女を制して、ラファエルは言う。
「僕が確かめてくる。」
◆
黒々と茂る森。
木々の間から、細く差す陽の光。
時折、鳥の声と、どこかで動物がたてる葉音がかすかに聞こえてくる以外は静かなその場所で、男女の話し声がする。
「・・・で、結局何の用だ。」
「会いたかったんだもん。」
「うっとうしい・・・食うぞ。」
「悪魔は、そんなことしないよ。アハハ。」
わかりきったことだ、というように笑う少女の声。
脅すような口調で話していた低い声は、あきらめたように黙り込んだ。
かさり、と、彼女たちから少し離れたところで茂みが揺れる。
悪魔がそちらに目をくれた様子は、その長い髪に隠されて見えない。
「ねえ、悪魔。」
レイアが悪魔の髪に手を触れる。
悪魔はされるがまま、動かない。
彼女の手が優しくそっと髪をかき分けると、彼の白い顔があらわになる。
「・・・あたし、あんたが好き。」
ゆっくりと顔を近づけ、彼にくちづけようとしてみる。
かささ・・・またどこかで葉音が聞こえた。
もう少しで唇が触れる距離、けれど微動だにしない悪魔。
その表情は、何も感じていないかのように動かない。
無反応なその姿に、レイアは逆に恥ずかしくなった。
相手にされていない気がして。
さっと体を離すと、もう顔をみているのも恥ずかしくて横をむく。
「・・・いやならいやっていいなよ。」
「別に。」
ヤじゃないってこと、は。
パッと悪魔のほうに向き直る。
「そう、なの?ヤじゃないの?」
悪魔は黙っている。
嫌じゃないなら、と一人で舞い上がったレイアは、彼に顔を近づけてそっと目を閉じる。
「じゃ、悪魔がして。」
「したら何かくれるのか?」
やはり無機質なその声と、まったく空気を読まない問いに、ムッとし、言い返そうとレイアは閉じていた目をあけた。
「!」
すぐ目の前に、悪魔の目があった。
灰色か、淡い紫色か、どちらともつかない薄い色の瞳。
長いまつげと、くっきりとした二重。
ほんのわずか、うっとりしているような、眠たげにも見えるその目つきが優しく感じられる。
もっと見ていたいけれど、彼女は目を閉じる。
こんなに近づいて初めて、かすかに彼から感じる、花のようないい香り。
唇が、触れて・・・、離れる。
「これでいいか?」
さっきの優しげな目つきが幻だったかのように、悪魔の表情には何の変化も見られない。
一方レイアは、胸に広がる幸せをこぼれんばかりに抱きしめて微笑んでいた。
悪魔の腕を両手で軽く抱くと、そこに額を押し付けるようにして小さくうなずく。
「何をくれるんだ?」
興味もなさそうに悪魔が訊く。
「なんでも、あげる。あたしが持ってるものなら、何でも、命でも。」
甘えた声で、レイアは小さくささやいた。
「こんなことで命まで取るか。どうせたいしたものなど持ってないだろう、おまえは。」
彼の腕にくっついたままの彼女の方を見ることもなく、けれど特に振り払いもせず悪魔が言った。
人の心の暗い側面から生まれた彼と、そんな彼を愛することをもためらわず受け入れる、暗さなど持たぬかのような、光そのもののような彼女。
正反対であるがゆえに、光と影のように、二人が共にあることこそが真理だとでもいうように、“悪魔と人間”という特殊な関係ながら、一緒にすごす時間は彼らにとってごく自然だった。
(続)