続き 3
時がたち、少女はもうすぐに泣いてしまう小さな子供ではなくなっていた。
もうそろそろ、大人に近づく年齢だ。
けれど、彼女は泣いていた。
「母さん・・・」
彼女は、もう何日も床についたまま、今ではほとんど意識のない母のそばで家族とともに泣いていた。
原因のわからない病気で、ある日突然母は倒れた。
家族がかわるがわるに一日中そばについて看病しつづけたが、だんだんと眠っている時間が増えていった。
村医者もとうに、さじを投げていた。
彼女のうちは貧しい村の一般家庭で、高名な医者を呼ぶ余裕などあろうはずもなく、家族さえ母のことはもうあきらめていた。
けれど、彼女はあきらめられなかった。
今まで育ててくれた母、たくさんの思い出、母がいなくなることなど考えたくもなかった。
父や、兄弟たちの悲しむ顔も見たくない。
そのためなら、自分の命をひきかえにしても。
彼女は、森へ向かった。
今こそ、悪魔に命を差し出すときだ。
会えなくても、何日でも探す気だった。
そんな覚悟をし、森に入っていくらも歩かないうちに、彼女は転んだ。
「ぃたっ!」
体をおこして、自分がつまづいたものを確認すると・・・いつかのように、あの悪魔がいた。
昼間の、まだ明るい森の中、そこだけに夜が広がる。
黒い服と黒い長い髪に囲まれて、青白い月のような顔があった。
あの時と同じく、木によりかかって座っている彼が伸ばした足に、彼女はつまづいたらしかった。
黒い髪の間から禍々しいほどに鮮やかな紅色をした唇が、うっすらと笑っているのが見える。
わざと足をかけたのかもしれない。
「何すんの!」
彼女が強気なのは、大きくなったせいもあるが、面識があるため、必要以上に悪魔を恐れていないせいでもある。
「・・・くくっ。知ってるぞ。」
それでも、その低く耳にまとわりつく声はやはり少し恐ろしかった。
「何を!」
ひっこみがつかず、勢いだけで彼女は言い返す。
「・・・さっきまで、泣いていた。」
なぜ知っているのか。
これも、悪魔の力なのだろうか。
「お前の、母親かあ。命までとるような願いじゃないな。」
彼女がその命をささげる気で来たことも、彼はわかっているようだった。
「あれはなあ、よわーい、魔だ。俺が食ってやろう。」
「え・・・じゃ、じゃあ、あたしは、どうしたらいいの?」
命までとらない、とは言われたものの、それをささげる気で来た彼女は、代わりのものなど何も持っていない。
悪魔が白い手でゆっくりと髪をかき上げた。
さえぎるものが何もなく、明るい日の下で見る彼の顔は、病的な印象ではあったが、恐ろしいというほどのものでもなかった。
逆に、その不思議な色の瞳、何の感情も読み取れない目つきが彼女の気を引いた。
視線が交わると、なんだか彼女は少しだけ鼓動が早くなるのを感じた。
怖くなどないつもりでいた、けれど、あたしは、やっぱり怖がっているのだろうか、と思う。
あの時、森から帰してもらうときに見た、黒い巨大な翼を思い出していた。
「あの赤い実。かごにいっぱい。」
彼女は拍子抜けした。
「そんなことでいいの?」
あの実の季節はちょうどいまごろ。
難しいことではないが、覚悟してここまで来た自分はいったいどうなるのだ。
「夕方までにここへ持って来い。」
そういい残すと、悪魔は立ち上がり、木陰へ消えた。
文字通り、一瞬で、あとかたもなく。
彼女は言いつけどおりに木の実をつむと、悪魔と会った場所で彼を待った。
すっかり日がくれ、夜になっても彼が現れないので、彼女は木の実だけを置いて、母の様子を見に家へと戻った。
母は夕食を用意し、家族とともに元気な姿で彼女を待っていた。
彼女は、次の日も森へ足を運んだ。
まだちゃんとお礼を言っていない。
どうしても、もう一度、会いたい。
「悪魔ーっいるんでしょ?ねえ、あーくーまーっ!あぁーーーくぅーーーまああああああ!」
森の奥深くで、彼女は声を限りに何度も叫ぶ。
鳥や、小動物がその声におびえ、がさがさと散り散りにどこかへ逃げていった。
「くらーっあくまーっでてこーい!あーーー!くまーっ!」
「うるさい。熊に出てきてほしいのか、お前は。」
背後から、低い声でだるそうなツッコミが入った。
どうやら悪魔は騒がしいのが嫌いなようである。
(続)