11 記憶の影
眠っている。
あの日から、ずっと。
時は、僕たちのなかで。
俺は それを 解き放つ
ふたたび動き出した時は、君を苦しめるだろう。
僕は…君を…苦しめる。
君は…僕を…その時、どうする?
◆
もう大丈夫だ、と言った零の言葉を半分だけ信じてランコントルへ行った僕を迎えたのは、いつもよりさらに明るいレイちゃんの笑顔と、支離滅裂なノロケトークだった。
僕の予想よりずっと零はうまくやってくれたらしく、ネコちゃんには
「残念ですけど、あきらめるしかナイですね。」
と、なぐさめられた。
これで堂々とランコントルにも行けるし、もしかしたらレイちゃん達は今までよりもっとうまくいくかもしれない。
っていうのは、さすがに甘いかもしれないけど。
それでも、レイちゃんの嬉しそうな顔を見た僕は、零をほめてあげたくなった。
お礼を言うほうがいいのかな。
でも、悪魔ってほめたりお礼を言うの、どうなんだろ。
今までも、だいたい最後は叱るか言い合いになるか、ってパターンばっかりだったし。
そんなことを考える、というより悩みながら歩いていると、小さな女の子の声が耳にとびこんできた。
「なーゆっ!シュラバごっこ とちゅうだよー?」
数メートル先に、呼ばれた彼は たたずんでいた。
女の子の声がする方でも、僕の方でもない、どこかを見て。
「なゆくん?」
声をかけると、やっと我に返った様子でこちらを向いた。
「お前か。」
「どしたの?呼んでるよ、女の子が。」
声の主であろう、小さな女の子が駆け寄ってきた。
「なゆー、どしたの?」
可愛いが気の強そうなその女の子を無視し、なゆ こと零は僕をみている。
「今、レイに似た女が」
「レイちゃん?店にまだいるハズだよ。」
「あいつじゃない。あいつより背もデカいし、髪も長かった。」
どこかぼんやりとした表情で、ぽつぽつと話す零は、記憶をたどっているかに見えた。
「それって、似てなくない?」
「似てるんだ。雰囲気、みたいなものが。」
「・・・なに、それ。」
ぼんやりしすぎて、いまいち伝わってこない。
零にくっついている女の子は、困った顔で話が終わるのを待っている。
きっと僕も今、あんな顔をしているのだろう。
「・・・なんでもない。じゃあな。」
きびすを返した零を、僕は呼び止めた。
「あ、待って待って、レイちゃんの件、アリガトね。」
お礼くらい言わないと。
と思ったのだが、返事は無愛想そのもの。
「あぁ。」
やっぱり、お礼言われるのとかキライなのかな。
無表情はいつもの事なのに、僕は焦って話題を探した。
珍しく協力的な零に、無意識で期待したのかもしれない。
彼と、僕たちとの関係改善を。
「おかげでさ、あのストーカーもいなくなったよね。」
たまたまかもしれないが、いつもレイちゃんを変な目つきでジロジロ見ている、気味の悪い男に今日は出会わなかった。
彼氏がいるとわかって、あきらめたのかもしれない。
零も気にしていたし、それが今度のことの成果であれば、悪い気はしないだろう。
ところが、零は本当に、僕が思う以上によく動いていた。
「あぁ、アレなら殺した。」
「え・・・」
すべてがうまく回り始めた。
そんな僕の幻想を、目の前の悪魔はたった一言で、無表情に打ち砕いた。
そうだ、思い出した。
思い出さなきゃいけないくらい、忘れていた。
僕の前に立っているのは、よく知っているはずで、だけど理解なんか到底できない、悪魔。
そして、僕たちは友達なんかじゃない。
どんなに、願っても。
僕だってもう人間ではないから、かなり長い時間を生きて、色んな経験をした。
彼が当然のこととして人を殺すことも知っていたし、僕に絶望を与えたいがために、それを詳しく話して聞かせることも一度や二度じゃなかった。
なのになぜ、忘れたりしたんだろう。
零の声が、僕を突き刺す。
「自分でけしかけておいて、なんだ。まさか、そこまでしないだろうなんて甘い事考えてたんじゃあるまいな?」
その通りだった。
そこまでするなんて、思わなかった。
だけど、当たり前だった。
悪魔なんだ、零は悪魔なんだから。
僕の考えは、いつでも甘い。
いつも、手遅れになってから思い知らされる。
あの時だって。
「ねー、つまんない。」
女の子に手を引かれるまま、零が去っていく。
僕は、動けない。
進めばいい?
戻ればいい?
何もかもを修復するには、どっちへ行けばいいんだろう。
レイちゃんと居て、彼女に愛されて、彼もまた彼女を大切に思い始めて、それでもまた零は、人を殺した。
愛も、優しさも、ふりそそぐ笑顔も、彼を変えられない。
彼は、悪魔だ。
悪魔と人間で、幸せな結末なんてありえない。
やっぱり、ダメだったんだ。
最初から、うまくいくわけなかった。
今度も、また。
目の前が暗くなり、僕は手の平で顔を覆った。
このカラダには、本当はもう血なんて流れていない。
なのに、さぁっと血の気が引く、冷えて行く感覚がした。
取り返しのつかない絶望に、自分が沈んでいくのがわかる。
「久しぶりだね 。」
誰だ、僕の名を呼ぶのは。
顔を上げた僕の前にいたのは、そこに居るはずのない、懐かしい笑顔。
そうだ、君以外にその名を呼べる者は・・・。
「どうして、きみが」
彼女が、僕を抱きしめた。
「もう苦しまなくていいんだよ、全部、全部忘れてしまったアイツが悪いんだから。」
その言葉に、救いを求めるようにすがりつき、僕は 目を とじた ・・・ 。
(続)