続き 2
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「いらっしゃいませ、何名サマでしょう?」
レイはメガネをかけた青年に、愛想良く笑いかけた。
「ひとり。」
からみつく低い声には、聞き覚えがある。
レイは改めて、相手の顔を見た。
「えっ」
思わず漏れた声に、相手はただ、ぬめりと湿り気のある笑いを浮かべた。
目の色も、彼以外にまずありえなかった。
「零、さぁん?」
大きなレイの声で、店内に居たウエイトレスや、数名の客が振り向いた。
“零”が“誰”であるか知らない客たちは、そこにいたごく普通の青年に対する興味をすぐに失い、自分たちの会話や、いままでしていたことの続きに戻った。
ウエイトレスたちは、仕事に戻るふりをして、チラチラ零を盗み見る。
金が無くてレイのところに転がり込んだあげく、急にいなくなったサイテー男“零”。
それが、レイの周りの者が知っている“零”。
ただし、レイは事実をほとんどそのまま話しただけで、恨み言らしきものをこぼしたことは、ない。
すべて丸くおさめられるほど、ウソが上手くないだけだ。
その零が、久々に姿を見せたことは、ウエイトレスたちの興味を充分ひきつけた。
零を盗み見ながら彼女たちは、みんな同時にほぼ同じ感想を持った。
コイツ、こんなヤツだったっけ?
それもそのはず、零はちょっとした擬態をしていた。
ランコントルの面々が知る、そしてレイの知る“元々の零”は、青白い顔でいやに赤さの目立つ薄い唇をして、長い黒髪を不気味に振り乱した恐ろしく背の高い枯れ木のような男。
だが今 来店したこの男は、どこにでもいそうな、大人しそうな青年で、背も人並みなら、髪も首筋があらわになるほど短く、振り乱しようも無い。
確かに肌は白めだが、顔色が悪いというほどではない。
とにかく、普通だった。
なんなら、優しそうだった。
そんな疑問に満ちた視線を送るレイ以外のウエイトレス達に、零はかけていた眼鏡をはずすと、挨拶がわりに微笑みかけた。
もちろん、視線に込めた力で、彼氏像としてありえない以前の零を、思い出せなくなってもらうためだ。
メガネで彼の力が遮断されるワケでもないが、かけているほうが視線や目の色を強く意識されずにすむ。
相手は零に怪しさも恐怖も感じないから、彼を人間として認識し、無闇に影響をうけづらい。
子供の姿の零が怖がられないのと、同じことだ。
行く先々で怖がられ、みんなが彼のいいなりになっては“彼氏”として成立しない。
人間にはない要素を、できるだけ隠して擬態し、レイの“彼氏”のできあがりというわけだ。
瞳が光らないよう、気を使いながら微笑む。
これで零は、彼女たちにとって“名前くらいしか知らない、レイが好きになったらしい男”になる。
その上で、優しい彼氏を演じてみせる。
レイには、期待させておいて二人に戻ればいつもの零という肩透かし、周りには、任せておいて安全な彼氏としての認識を植え付けられる。
これで、他の男のとの縁は完全になくなる。
スズキから文句を言われるスジアイもなくなり、レイが零以外を気に入ることもない。
カンペキだ。
何より、優しい顔でレイをからかうのは面白い。
零はそんなことを考えていた。
向こうだって何度もダマされているわけだから、気付きはするだろうが、何も感じないわけはない。
しかし ただダマせば怒らせるだけだが、今回は“スズキのため”というイイワケがある。
人間は、誰かのため、というシチュエーションに酔いやすい。
思い切りレイをもて遊んでやれるこの機会に、それを有効利用しないテはない。
リアルタイムで進行中の零の考えなど全く知らないレイは、席に案内しながら小声で話しかけてくる。
「れ、零さんどしちゃったの?何で来たの?あ、イヤとかじゃないんだけど、でも何で急に?」
この擬態(変身)にも、急な出現にも予想通り慌てまくっている。
そんなレイを見る零が浮かべている笑顔は、作り笑いではなく、心底たのしくて出たものだった。
「それはな」
レイの肩をつかむと、零は彼女の耳に口を寄せた。
「お前の“彼”を、ここの連中に見せるためだ。スズキに“迷惑”がかからないようにな。」
なるほど、と目を大きくした後レイはもう一つだけ確認する。
「お芝居?」
それに対して零が見せた微笑は、恐ろしく優しかった。
「もちろん、スズキのためだ。」
レイはほんの少し眉を寄せ、残念そうな顔をしたが、すぐに納得し笑顔を見せた。
いまさら何を期待したのか。
レイが一度奥へひっこむと、少し間をおいて別のウエイトレスが水を持ってきた。
(続)