10 彼、俺。
ぴんぽぉん。
チャイムを鳴らしたのが誰か、ドアを開けなくとも零にはわかっていた。
セールスであれば居留守を使うつもりで、ドアの外まで感覚の伝わる範囲を広げたからだ。
セールスではない、が家事の手を止めてまで出る相手ではない。
「入れよ。」
ドアの外まで聞こえるほどの声ではない。
それでも、伝わる。
向こうも外で答える。
ドアのすぐ向こうに相手がいると思える、普通の音量。
「君の部屋じゃないだろ?出て来い。」
多少のイラ立ちを含んでさえ、なおも柔らかく響くスズキの声。
ドアを隔てて、広げた感覚が零に言葉を運ぶ。
「入りたくなきゃそこで話せ、忙しい。」
それが伝わるか伝わらないかのうちに、スズキは鍵のかかったドアを通り抜け、ベランダに居た零の後ろに立つ。
「文句言いに来たのに、なんで僕が君のワガママ聞かなきゃいけないんだよ!」
「文句をいいにきたのは、お前の“勝手”だからじゃないのか?」
頬をピンク色に染めて頭から湯気を立てているスズキに対して、零は眉一つ動かさず、流れる水よりさらりとした答えを返した。
「かっ・・・てなのはいつも君だろ?!」
文句を言われても、零は家事の手を休めない。
「そうカッカするな、アタマ冷やせ。」
言葉とともに、零は肩越しに持っていたモノをスズキの顔へ投げつけた。
ぺしゃり、と音をたててソレは彼の頭全体に軽く巻きつく。
「つめたっ…何、こ」
はずしたソレが何だかわかった瞬間、スズキは絶句した。
「・・・」
表情をなくした彼は、今どんな顔をしていいかわからないに違いなかった。
白地にピンク色の刺繍。
スズキの目には入っていないが、タグには「D・75」と記されている。
普段はレイの胸に装着されているものだ。
零はさっきから、洗濯物を干していたのだった。
「これ・・・」
か細い声で言って、零にソレを返すと、スズキは一言いい残して外へ出た。
「終わったら、呼んで・・・」
零はそれを聞いて、吹き出す。
「ぶふっ」
こらえるということを、彼は全くしなかったので、スズキはマトモにその声を背に浴びたが、アタマの中はそれどころではない。
抵抗する気力もないその姿も零には可笑しく、高笑いはしばらく響き続けた。
それもおさまり、数分後、よりかかっていたドアが開き、スズキは転倒しかける。
「入れば?」
そのドアの隙間から、ぬっと零が顔を出す。
「君が出て来いよ。」
我に帰ったスズキの声は、多少不機嫌だ。
「スネるな。紅茶、好きだろ?」
「入れてくれるの?」
驚いた顔で、スズキは聞き返す。
「ああ、入れ。」
零は、さらにドアを大きく開き、スズキを招き入れた。
「…じゃ、おじゃま、しまーす。」
スズキは、戸惑いながら中に入った。
ティーバッグでカンタンに入れた紅茶が、可愛らしいカップに入ってスズキの前に置かれた。
「あ、いいニオイ。アップルティー、かな?」
すっかり機嫌を直したスズキが、頬をゆるめてそうきいた。
「ああ、レイが気に入っててな。カップもあいつのなんだが、構わないだろ?」
くくく、と意地の悪いことこの上ない顔で零が笑った。
「えっ、いや、僕は…」
さっきのことを思い出し、困った顔をするスズキ。
「くっくっく。」
零がまた笑う。
「何だよ。」
さすがにスズキも少しムッとする。
「キレイに洗ってあるから、安心しろ。」
まだ笑ったままの零の顔は、とても愉快そうだ。
「わかってるよ!別に僕は…」
その後なんと言っていいかわからず、スズキはカップをガッとつかみ、一気に紅茶をあおろうとする。
「ぶぅぇあづぁっ!!!」
まだ熱すぎたらしく、盛大に噴き出しながらスズキは叫んだ。
「温度考えろ、ばか。」
零は呆れた目をして言うと、立ち上がった。
「だって君が」
「ちゃんと拭いとけ。床は汚してないだろうな。」
涙目で言い返そうとするスズキに、零はキッチンからフキンを投げつけた。
無言でテーブルを拭くスズキに すっかり満足した零は、低位置に座りなおしながら今気づいたように用件をきく。
(続)