続き 7
痛みよりも先に、パニックが俺を襲った。
「・・・!・・・!!・・・っ!」
やはり声は出ない。
ぱくぱくと口を動かす俺を、愉快そうに悪魔が笑う。
「くっくっく、脂身が多くて内臓には届いてないかもしれないな?もっと奥まで届くように、いや届くまで、繰り返すんだ。」
ふたたび手が、勝手に動き出す。
いやだ…俺は弱々しく首を振る。
包丁が抜けると、血がどくどくと出はじめ、激痛が走った。
刺したのは腹なのに、体中が痛い。
どこが傷口かわからないくらい、体中が痛みを感じているのに。
どっ。
腹に衝撃を感じた。
そうだ、右手は俺の意思と無関係に・・・
「ぉあぁあーっ!あーっ!!ぐがあーーっ!!」
自分でも驚くようなすさまじい悲鳴があがった。
「お・・・っと、クチをふさぎ忘れた。ヒトの血を見るのは、久しぶりでな。」
腹からはしだいに勢いを増して血が噴出しはじめ、なにか、ハミだして・・・
「ア゛ーっおぉおあああああっ!!あぁっ!あ゛っ!!」」
おれは悲鳴をあげ続けた。誰か気づいてくれ、助けて!
その間も右手は勝手に腹を刺し続け、悪魔は機嫌良さそうに微笑んでいる。
「い〜ぃ声だ。が、すこーし、静かにしろ。もう一度俺の指をしゃぶりたいか?…俺はもうゴメンだけどな。」
悪魔は血まみれのおれのシャツのはしをつかみ、思い切り引き裂いた。
血と、さっき吐いたカスのこびりついた服が口に押し込まれる。
部屋にただよっているニオイよりも、さらに濃いそれは、ふたたび吐き気を運んできた。
くぐもった悲鳴に、吐き気によるうめきが混じった。
「ごもっ、うぶっがおえっ・・・」
「だいぶ静かになったなー、いい格好だ。よしよし。じゃあ、後は俺がやるから、次は・・・そうだな耳でもそぎ落としてろよ。目はあとに取っといてやる。自分がどうなってるか見えたほうが、お前も楽しめるだろ?」
悪魔は、優しい声を出しながら、おれの腹の中に手を突っ込んできた。
「なぁ…なんでこんな目にあうか、知りたいかぁ?」
まるで、他愛ない世間話の口調だ。
右手が、アタマを目指して上がってくる。
「お前が追っかけてる女さぁ」
もうそれどころじゃない、部屋中血まみれで、痛くて、痛くて、痛くて。
左手が、左手までもがおれの意思に反し、耳をつまんで右手の到着を待った。
「あれ、“俺の”なんだよ。だから、お前があれで楽しんだ分、俺もお前で楽しませてもらおうと思ってな。清算、てヤツだ。」
悪魔がナニか言っている。
でもおれには聞こえない。
耳がアツい、アツい、何か垂れて、痛い、痛い、痛い。
悪魔は腹の中をかき回しながら、はぁ、と うっとりしたタメイキを吐いた。
「ぬるぬるで、臭くて、赤くて…興奮しちまうな。くくっ・・・ははは!あははははははは!!」
笑いながら、悪魔はおれの腹の奥深く両手を入れ、それぞれを思い切り逆方向へ引っ張った。
◆
「あ、おかえり零さん!」
ドアも開けず、音もなく部屋に入ってきた零に、少し驚きながらレイは声をかけた。
「あぁ。」
彼女の笑顔に目もくれず、定位置に座ると零はベッドに背をあずける。
いつもどおり表情はほとんどないが、その横顔は何となく少し晴れていた。
「なんか・・・いいことあった?」
レイがたずねる。
「別に。」
そっけなく答えた零の声は、彼を知らないヒトが聞けば不機嫌に聞こえただろう。
「ぁ、そなんだ。スズキさんと遊びにでも行ったのかと思ったんだけど・・・」
「なんで俺があいつと遊ぶんだ。」
レイの予想に、零は表情を険しくした。
「えー、だって夕方から出かけたからユゥちゃんとなわけないし、あと友達っていったらスズキさんくらいしか・・・」
「違う。」
「でも友達でしょー?前から知ってるんだったよね?」
「知ってる・・・だけだ。今日は、“影”を見つけたから回収してきた。」
前から知っている、というフレーズが何となく零は気にかかった。
「“影”って、零さんから出てっちゃったチカラ、だっけ?じゃ、また少し元の零さんに近づいたんだね!そっか、だからか。おめでと零さん!」
自分のことのように喜び、笑顔を浮かべるレイ。
キライじゃない表情、それを向けられることが、心地いい瞬間もある。
“俺の”レイを取り戻したこと、久々の悪魔らしい行動は、確かに零の気分を良くしていたはずだった。
それなのに、そのレイの言葉が、笑顔が、不安をよんだ。
ヒトである彼女を気に入った、自分でもわからない自分。
その自分は、邪魔者を消すだなどと理由をつけ、結局コイツを守ってしまった。
それは、コイツを自分のものにしておきたいのは、守りたいのは、ただの欲望だ。
こいつらの言う、好きだの、愛だの、そんな幻想じゃない。
確かに存在する、欲望だ。
俺はちゃんとわかってる。
わかってる、ハズなのに、わからない。
何か知っているような、スズキの瞳。
あいつは、何を伝えたかったんだ?
何を、言わなかったんだ?
答えはわからない、どうせそんなものはない。
俺は俺を、ちゃんとわかっている。
ただ、少し混乱しているだけだ。
人間を、そばにおきたいなんて、今まで思ったことがなかったせいだろう。
「どしたの?零さん、あたし、何かヤなこと言っちゃった?」
気づくと、レイは不安げな表情に変わっていた。
自分を気遣う、大きな瞳。
純粋な目が見つめているのは、ついさっきまで高笑いしながら、ストーカー男に自分自身の体を刻ませていた悪魔。
悪魔は、うしろめたさなど感じない。
「そうだな、全部お前が悪い。」
ただそう言って、目をそらした。