続き 3
レイの相手だけでも たびたびウザいのに、悪魔の零を御雷に受け入れさせる手間なんて、考えたくない零だった。
レイ以外の人間とは、深くかかわる気もない。
だから、彼は外でもその偽名を使い続けた。
彼にとって、主人以外の人間は、名を教えるほどの価値もない。
というより、コドモの状態を楽しんでいるのかもしれなかった。
どちらなのかは、彼にしかわからない。
とにかく、大きくても小さくても、彼を零と認識できるのはレイと、今この場にいない零の古い知りあいだけだった。
所で、なゆた、とは那由多であり、数の単位の一つだ。
零という名にちなんで、数がらみで本人がとっさに名づけたものだったが、興味のない人間には知られていなかったりもする。
現に御雷は彼を「なゆ太」だと思っていた。
「なゆ」がどういう字なのか、とか、苗字はなんなのか、とかは、あまり気にならないらしい。
“なゆ太”を御雷は なゆたん と呼ぶ。
御雷は、相手の気持ちもあまり気にしない人格だ。
「なゆたーん、もうカワイイなーチューしちゃうチューぅ。」
「お兄ちゃん!れ、っなゆくんイヤがってる!!ダメやーめーてー!!」
暴走する御雷を必死で止めるレイだが、止まりきるものでもなかった。
互いのカオが近すぎる。
「あ゛ーーー!」
レイの悲鳴。
柔らかな子供の頬に、男にしては しなやかな線で描かれた唇が押し付けられた。
軽く吸い付かれる感触に、零の無表情な瞳から、さらに生気が失せていく。
それでも。
「いいんだ、レイ。俺はもう・・・慣れた。」
御雷が来ると決まったときから、零は、このくらいの覚悟などとうに決めていた。
すでに儀式化された洗礼だ。
「うぅう・・・」
やや口をとがらせ、悔しそうにうなるレイの表情には、あたしは良くない、と思っているのがありありと浮かんでいた。
しかし、誰もそれを見ていない。
「もー、おにいちゃん早く入ってよ!いつまで玄関にいんの?」
“儀式”の事は零が受け入れてしまっていて怒れない為、レイは違う理由で兄を叱ることで、とりあえずは気をまぎらわせたようだ。
と、そんなこんなで騒がしく夜は更けていき、次の朝が来た。
「待てよレイ。」
ベッドから零の声がする。
「むり。もう行かないと。」
レイは声のする方を見ようともしない。
「またコレを置いていくつもりか?おいっ!」
「それ以上いわないでっ!お兄ちゃん起きちゃうし、あとよろしくっごめんねっ!」
耳をふさぎ、レイはそそくさと出かけていった。
「クソッ」
あいつ、だんだんずうずうしくなりやがる、と思いながら零は姿を霧のように変えた。
そうしておいて、わからないように御雷の腕の中から抜け出す。
御雷に捕まっても、彼が寝ていれば、こうして抜け出すのはカンタンだったが、あえてレイの前では同情を引いて、彼女になんとかさせようとしたのだ。
アテは、はずれてしまった。
毎度のことともいえたが、零としてはヘンタイの兄よりも自分をかばうべきだろう、といつも思っていた。
魔物であり、ヒトを操ることなどたやすい零だったが、御雷にはそうできない理由があった。
それができればさっさとお引取り願うことも可能なのだが、禁止されているのである。
主人であるレイの不在中も逆らえないくらいに、厳重に。
以前、御雷のウザさに殺意を覚えた零が、彼にその力を使ったことがあった。
さすがに、主人の兄を殺してしまうわけにもいかないので、自分の幻を見せたのだ。
幻覚は、本人にしか見えていない。
誰も居ない空間に向かってパントマイムを始めた御雷のようすは、零にとってはオモシロかったが、レイにとってはかなりのショッキング映像だったようで、半泣きで止められた。
もう二度と兄におかしな事はしないでくれ、と涙をいっぱいにためた瞳で何度も頼まれた。
以後、零は御雷のなすがままだ。
自分でこの状況に追い込んでおきながら、時々御雷に嫉妬しているらしいレイは、気づいてないだけで相当のMなんじゃないか、と零はひそかに思っている。
なるほど、Sの御雷と仲良しなワケだ、と一人で納得していたりした。
そんな零は、SだのMだのという分類上において、自分が見下している存在の御雷と同じ場所に位置することを、今のところわかっていなかったりもする。
が、とにかく心の中でいくらバカにしていようが、御雷の横暴に逆らえない零の今の状況は変わらなかった。
逆らえないから、余計に腹が立つ。
表情は何一つ動かさないまま、零は胸の内で一人グチった。
だいたい、自分の話に耳も貸さなかったあいつ(レイ)の態度も気に入らない。
前はもう少しちゃんと謝るとか、すまなそうにしてみせるとか、このカス(御雷)の相手をするよう頼み込むとかしてきていた。
それが何だ、さっきのアレは。
もしかして、俺がこのクズ(御雷)の相手をするのが当然だとでも思ってるんじゃないか?
俺よりもこのゴミ(御雷)の方があいつの中では順位が上なのか?
だとしたら。
ここで零は、見たくもないから目をそむけていた御雷の寝顔をにらみつけた。
油断しきった寝顔は、よりいっそう妹に似ていて少し憎めない感じがした。
無意識にふたたび目をそむけた彼は、自分はそのことに気づかなかった、と思うことにした。
コイツは敵なのだ。
ムカつく寝顔だ、と心の中で毒づいてみる。
とにかく、このクソ(御雷)のせいで気分はサイアクだ。
零は、なんとか彼に復讐する方法がないか、気晴らしになることはないかと、まだ今のところ静かな部屋で考えはじめた。
しばらくして、御雷が気持ちよく目覚めるころには、零の考えもすっかりまとまっていた。
「なぁ御雷」
目覚めた御雷は、冷蔵庫の中から勝手に出したジュースを飲んでいたが、零の声に軽く吹いた。
「っ…、え?」
零が、自分から御雷に話しかけることなどほとんどない。
おまけに、呼び捨てだ。
しかし、聞き間違いではないらしく、薄い灰色に見える瞳はまっすぐ御雷を見ている。
「何だよ、なゆ太。」
手で口元をぬぐいながら御雷が答えた。
「最近、レイがな・・・」
わざとらしく表情をくもらせた零の話に、御雷は身を乗り出してきた。
(続)