続き
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明るい人間のまわりには、明るい人間が集まりやすい。
それと同じように、明るい人間のまわりには、ヒト以外でも明るいモノ、善良なモノが寄ってくる。
反対に、暗いモノや邪悪なモノは近寄りづらく、そうしたモノは、それらに合う性質の人間を好みがちだ。
だから、本来であれば鳴神鈴はあの病んだ兄や零の影響がない限り、ヒトであれ魔物であれ、悪意を向けられることはめったにない、ハズだった。
そんなことがあったとしても、性質が違いすぎて生半可な悪意ではレイのそばには長くとどまれない。
そういうレイのそばだったから、一時ヒドく弱った零も、他の魔物に襲われず済んだのかもしれない。
いわばレイの部屋は安全地帯みたいなもので、それ相応にチカラある魔物か、よほど精神力のある者の呪いでもない限りはめったに入り込むことはない。
なのに、少し前からレイは、誰のものとも知れない悪意をまとわりつかせたまま、部屋に帰ってくるようになった。
日に日に、その悪意は増していく。
最初は、顔に汚れがついているのかと思った。
気配も感じないほど、希薄だったから。
マスカラか何かが落ちて、見当ハズレなところへついたのだろうと。
しかし、それは見ていた零の視線をたどって、彼の中へ吸い込まれた。
汚れではないと、それで初めて気がついた。
次の日、汚れに見えていたものは、薄黒く濁った粘液に変わっていた。
やはり、顔についている。
大小数滴の、ぬらぬらしたソレをへばりつかせたまま、何も知らずレイは笑っていた。
それもすぐに、まなざしの中に溶けた。
次の日には黒さが増し、その次の日には顔だけでなく、他の部分をも汚し始めた。
指先を、胸を、ぬるぬるとしたねばっこい液体が伝う。
これは、よこしまな欲望だ。
自分以外の誰かが、レイを欲しがり、好きにしたいと思っている。
好きは好きでも、その想いはスズキのように彼女の幸せを望む、甘ったるい気持ちではない。
視覚化された、この黒い粘液のいやらしさ、あさましいありさまは、そのままその思い、またその主の性質を物語っている。
レイがウエイトレスとして勤めるランコントルは、ケーキの味だけでなく制服の可愛らしさも評判だ。
いやらしい視線で彼女たちを見る者がいることは、容易に想像できる。
従業員か、客か。
どちらにしろ、自分がいる限りその想いはとげられない、と零は思う。
レイが好きなのは零であり、そのカラダであれ、心であれ、好きにできるのは零だけに許される権利のハズだからだ。
もっとも今のところ零は、少しからかう以外レイに何かしたいとは思わない。
部屋に戻るまでまとわりついて離れないほどの想いを抱きながら、決してレイを手に入れることができない、顔も知らぬ相手。
その誰かに対し、ほんのいくばくかの優越感を持ちながら、ほぼ毎日レイが持ち帰る邪心を零は吸収し続けた。
最初のうちは、量も少なく密度も薄かったので、ただ入ってくるだけだった。
そのうちに、量も増し、密度の濃い想いのカタマリになってくると、相手の考えや、感覚が少しずつ伝わってくるようになった。
たとえば、最初はレイを“かわいい”と感じた。
ふだん意識もしないその容姿が、他に比べて特に好ましいと、一瞬だけ思えてしまう。
すぐにそれは、生々しい性欲に変わった。
予測はしていたし、一瞬で消える。
オマケに、自分の感覚ではないから、それに流されることは可能性すら感じなかった。
逆に、何も知らず、そんな視線で見られているレイがおかしかった。
そうして静観を決め込むうち、レイは全身にぬめぬめとした黒光りする液体をしたたらせて帰宅するようになった。
ここまでくると、優越感だけではいられなくなった。
ただの片思いとは言えない、レイにまとわりつく異常な執着心。
零の胸の中に、じわりと不安がしみた。
原因を、とりのぞくべきか彼は迷った。
それは、レイを守ることになる。
気に入っているから、誰にも渡さない、とは思っても、守るというのは必死すぎる気がした。
そこまでしたくない。
その間にも粘液が、視線に溶けて入り込んでくる。
レイの笑顔が、いつもより可愛く見える。
自分の名を呼ぶその声が、心地いい。
衝動が駆け抜けていく。
着ているものをはぎとって、彼女を。
そんな思考を感じているちょうどその時、何も考えていない当人に微笑みかけられた。
自分の考えでないとわかっているのに、その目をまっすぐ見返すのがためらわれた。
結果的にそらした目が、ソレを見つけた。
いやらしい“目”を。
とうとう、ドロドロの感情だけでなく、本人の一部までもが現れたらしい。
心のほとんどがレイのことでいっぱいで、他のことは自分自身すらどうでもいい、そんな状態が予想できた。
レイの顔の横に浮かぶ、その“目”を零は、消えろ、という意思を込めてにらむ。
部屋にそんなものがいるのは目障りだ。
しかし、レイに説明するのは面倒だから、表情は変えない。
静かに視線を送るうち、数秒で“目”は消えた。
そうだ、なにもわざわざ自分が動かなくても、こうして消してやればいい、と彼は思った。
その零の視線に気づいたレイは、
「零さんて、猫っぽいね。」
と言った。
何も知らずに、ただ零についての発見を、嬉しそうに語った。
(続)