続き 3
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眠る優奈は、今にも目を開けてうっとうしくまとわりついてきそうだった。
顔色もよく、どこといって異常はなさそうに見える。
「ゴハンは、ちゃんと食べてくれるし、お風呂もなんかも、つれていってあげれば一人で入るの。・・・でもね、笑って、くれないのよ。ワガママも、言ってくれないの。優奈・・・ユゥちゃん、ママ、ユゥちゃんのワガママも大好きよ。ユゥちゃん、ユゥちゃん・・・!」
優奈の友達が来たと思い込んでいる母親は、そう言って泣き崩れた。
今の優奈は、ただ生きているだけだ。
エネルギーが供給される限り、機械が正常に動き続けるのと同じこと。
動いていても、感情はない。
反射的に、なすべきことをしているだけだ。
零と、ニセなゆた は同じ瞳を通して彼女を見下ろし、それぞれに別のことを思っていた。
零は、彼女を想うニセなゆた を思っていた。
痛みと、それ以上に大きな、何か別の・・・不愉快に胸をざわつかせる感情。
どこか懐かしいのに、不快で、それでいてどうしようもなく、魅力的な。
そして、ニセなゆた は。
「ユゥちゃん・・・ちょっとだけ、久しぶり。だよね?」
赤味がかった、細くつややかな優奈の髪に、青白い指が触れる。
静かに眠っている彼女の前髪を、少し整えてやる。
部屋には低い、押し殺した母親の泣き声以外に音はない。
「おばさん、ちょっと外でて?」
声が気に障ったわけでもないだろうが、ニセなゆた が母親に優しく声をかける。
正常な判断のできなくなっている母親は、得体の知れない魔物を残して、娘の部屋から出た。
トン、と小さく音を立ててドアが閉まると、ゆっくり、おだやかに、ニセなゆた は優奈に話しかける。
「・・・ねぇ、ユゥちゃん。ボク、今日ね・・・ ・・・バイバイ、しに来たんだ。ユゥちゃんをママのとこに、返してあげるね。」
おおいかぶさるようにフトンの上から優奈を抱いて、頬をすりよせる。
「これで、元通りだから・・・バイバイだよ、ユゥちゃん・・・バイバイ・・・」
自分の意思でない言葉がつむぎだされるにつれ、カラダから力が抜けるのを零は感じていた。
ニセなゆた が、奪った心を優奈に戻しているのだろう。
気をつけていなければ感じない程度の、軽いめまいに似た感覚。
全て返せば、ニセなゆたは消え、優奈は元の優奈に戻れる。
ニセなゆたは、彼女の心をそっくりそのまま、喰うというよりは自分の中に大切にしまっておいたらしかった。
バカだな、“我”ながら。
少し笑いたくなりながらも、とっさに零は行動を起こした。
もうこのカラダを動かす力もないニセなゆた が、完全に消える前に。
「ユゥ!俺だ、わかるか?!」
耳のすぐそばで聞こえた声に、とじていた優奈のまぶたが、ピクリと動いて、うっすらと開く。
なによりも近くで、零の瞳がそれを映す。
「なゅ・・・?」
寝起きの、甘ったるい小さな声。
口元は、微笑みかけて。
どうやら間に合ったらしい。
あたりが明るくなった感じがして、胸にはあたたかさと、心地いいくすぐったさが広がる。
世界を変えるほどの幸福感は、しかし一瞬で消えた。
バイバイじゃない、俺は、“俺”が、ここにいる。
そう思いながら、一方であやうく出かけた、大好きという言葉を零は飲み込んだ。
(続)