3 コ・ア・ク・マ
零から出て行ってしまった彼の力は、たとえ一度別の存在として独立しようとも、また取り込んでしまえばキレイに彼に溶け込み、自己主張することはなかった。
今までは。
今回だけは、違うようだ。
夜の公園にたたずむ零は、思った。
彼の“影”、ニセのなゆた と、ユゥちゃんこと田中優奈が出会った場所だ。
優奈に執着していたのは影のほうだけで、零にとってみれば彼女が生きようが死のうが、どうだっていい。
しかし今、彼は公園にいる。
零の中のニセなゆた が、優奈を恋しがっているに違いなかった。
その力が、零のものにならなかったわけでも、別の意思としてはっきり残っているわけでもない。
ただ、ついこの間まで存在しなかった優奈の居場所が、零の心に急に生まれた。
零が、自分の意思でない何かを感じたのは、今日だけではない。
眠りにおちる瞬間、優奈の声がきこえた気がしたり、気づくと彼女を思い出していたり。
このところずっと、一日に一度は彼女を思う瞬間があった。
この前再会するまで、優奈のことをほとんど忘れかけていた零だ。
そんなに彼女が気になるわけがなかった。
その、優奈を気にする部分、彼女の居場所、それこそが零ではない、彼になじまないモノなのだ。
それは、彼の中のほんのわずかな部分でしかなく、意識すれば難なくおさえこめる程度だ。
今日はうっかり流されてしまったが、こんな抵抗はそう長く続かないだろう。
ここに用などない、と帰ろうとして零は、誰もいなかったハズの公園に気配を認めた。
それが、なんでもない普通の人間のものであれば、見つからぬよう姿を消していた。
しかし、その気配は、狂おしく何かを求めていた。
探って感じた気配ではないから、何を求めているかまではわからなかったが、心当たりはある。
これは、田中優奈の親だろう。
この公園で、精神に何らかの異常をきたした(ほとんどは自我を失った)状態で見つかった人間は、何人もいた。
その中でも、田中優奈は一番新しい被害者であり、また、唯一おさない子供だった。
彼女が変わり果てた姿で発見された現場に、強い感情を持って訪れるとすれば、一番可能性が高いのはその親だ。
理不尽な悲劇に対するその感情は、怒りか、悲しみか、その両方か。
人が何かを思うとき、そこにはその思いの強さに応じて力が生まれる。
その思いの“力”を扱うすべを、多くの人間は知らない。
放っておけば、ただ空気に溶けていってしまうだけのその力が、何かのきっかけで特定の場所に濃くよどんだり、死者の強い思いを核として寄り集まったとき、零たちのような魔物が生まれる。
彼らは、人の思いを力とし、時にその命をも糧とする。
そして零は今、優奈の親の命は取らないまでも、会ったついでにその感情を吸い取ってやろうと考えた。
相手が持っているであろう、明るいはずのない感情は、零たち“悪魔”と呼ばれる種類の魔物には良い養分であり、五感を通さず味わう美酒だ。
癒しとなり、活力となり、高揚感を生み、時に何ともいえない快感を持って彼らを酔わせることができる。
心が壊れない程度に、吸い取れるだけ優奈への感情を吸い取ったら、娘が生きているだけでも良かった、と思うようにあきらめの暗示をかけ、帰らせるつもりだった。
零は。
幽霊さわぎに巻き込まれては、この町にも住みづらくなる。
これで、おしまいだ。
簡単にそう考えていただけの彼は、自分の中の“まつろわぬモノ”を忘れていた。
忘れていた、というより、軽視するあまり意識すらしていなかったと言うほうが正確だ。
すぐに、それを後悔したが。
カラダを気体に変え、獲物を包み込みながら感情をあおり、より多く引き出して喰ってやろうと思ったのだが、形態を変える前にカラダが勝手に動き出した。
「ん」
自分の体の思わぬ動作に、小さな声がもれる。
三十代前半くらいと思われる女が、そこにいた。
優奈の面影がある、母親だ。
近づいていこうとするカラダを、もう見つかってしまっていたが、とりあえず意識して止める。
たいした抵抗もなく、主導権はすぐ戻ってきた。
夜の、誰もいないはずの公園をうろつく顔色の悪い子供が、どう見えるか。
相手が誰でも、この場所にそういうウワサがもともとなかったとしても、答えは同じだろう。
優奈の母は、零を幽霊と思ったようだった。
心持ち、目を見開き、顔をひきつらせて凍り付いている。
幽霊と思ったなら、それでもいいか、と零は思った。
要は、相手が何らかの感情を持ってくれさえすればいいのだ。
それが明るいものでなければ、憎しみでも、悲しみでも、恐怖でも。
(続)