第二話 襲撃
意識が遠のく直前。
私はかつての我が家——ここ、孤児院ララのことを思い出していた。
たくさんの子供達。
私が一番大好きなユキ。
親友のミラと、私たちを育ててくれたヴィル爺。
血は繋がっていないけれど、みんな、確かに幸せそうだった。本当の“家族”だった。
——それなのに、全部壊れてしまった。
あの日、ミラより先に玄関に行っていたら。
あの日、ヴィル爺を先に起こしていたら。
あの日、私が真っ先に殺されていれば、あんな事にはならなかったのだろうか。
* * * * * *
ドンドンドン
何処かから、ノック音が聞こえる。
ドン、ドン、ドン
もう一度。今度は、さっきよりも強く。
夢と現実の間を彷徨っていた私の意識がゆっくりと戻っていく。窓越しに見える空は、まだ深い青に覆われていた。
「ごめんください、誰かいませんか?」
見知らぬ男の野太い声が、外から響く。私は布団の上で起き上がり、小窓から頭を少し出して、真下にある玄関の方を見下ろした。
ゴン、ゴン、ゴン
さらにノック音が荒々しくなる。だが、庇があるせいで訪問者の姿を確認することはできない。
「……ユキ、起きて」
私はそう言いながら、隣ですやすやと寝息を立てていた義妹——ユキの肩を揺らした。
「ん……なに? フィオ姉……」
「誰か、来たみたい」
「だれ……パパ……?」
「わからない、玄関に行かないと」
私はそう言って、火を灯したランタンを片手に自室を後にした。床は夏場とは思えないほどひんやりと静かで冷たく、心臓の音がやけに大きく響いていた。唯一、私の左手の中でほんのりと温かく湿ったユキの手のひらだけが、私に平静を保たせてくれている。
廊下を曲がると、ミラの部屋の戸が半開きになっていた。一足先に玄関へと向かったのだろうか。
月明かりに照らされた空き部屋。ベッドは乱れたままで、誰もいない。私の胸の中で、何か得体の知れない嫌な予感が、繰り返し渦巻いていく。
——その時だった。
「答えろッ!!」
男の怒声が廊下の向こうで響き渡る。同時に、何かが割れるような音。
心臓の音がさらにうるさくなっていく。私はユキの手を振りほどき、荒い息を吐きながら、転げ落ちるように目の前の階段を駆け降りる。
「だから……知らないって!」
玄関の先に、いた。
——首元にぎらつく剣の先端を突きつけられた、ミラの姿が。
足元には割れたランタン。蝋燭の炎が地面の木を黒く焦がしていた。
ミラは依然として硬直している。乱れた黒髪。ゴクリという唾を飲み込む音。剣はすでに彼女の喉を浅く裂いており、脂汗と混ざった血液が、ぽたり、ぽたりと地面に落ちていく。
その剣を手にする男は、真っ白なローブを羽織っていた。漆黒のマスクを目元につけており、顔は分からないが、唯一晒している口元は、無精髭で覆われていた。
「最後にもう一度問う。“器”はどこだ」
彼は、ミラに再びそう問いかける。殺気すらないその雰囲気からは、まるで話している相手を、人間とも思っていないような冷酷さが感じられた。私には、何もできなかった。十数メートル先で起こっているその光景を前にして、私は失禁しそうなほど怯えていたのだ。子供たちを逃さなければ。ヴィル爺に助けを求めなければ。だが、声が出ない。体が、動かない。
「だから、知らないって言ってるだろっ……」
ミラは彼に向かって、振り絞るような声でそう言った。
数秒の沈黙。
彼は、ミラに向けていた剣を、ゆっくりと引いた。
それを見て安堵したミラは、誤解を解くために慌てて口を開ける。しかし——
「なあ、分かってくれただろ? 私はそんなもの知ら——」
「ならば……死ね」
そう言った直後、彼は剣を両手に持ち替える。そして素早く剣を頭上に構え————振り下ろした。
音とは呼べないほど静かな斬撃音が辺りに響く。次の瞬間、ミラの顔がぱっくりと縦に割れた。血飛沫が舞い、男の纏う白装束が赤に染まっていく。
そのまま彼女は後ろに倒れ込んだ。後頭部を勢いよく打ちつけたままぴたりと動かなくなり、その場で血溜まりが広がっていく。天井を仰いだ彼女の瞳が、徐々に生気を失っていく。
「…………えっ?」
理解が出来なかった。理解、したく無かった。
「嘘……うそ……」
ようやく動いた私の身体は、声にならない悲鳴をあげながら、必死にミラの元へ進もうとする。
「……まだ、生きているな」
涙と嗚咽の中、一歩、また一歩、這いつくばるようにして近づいていく私の存在など、まるで無いかのように彼は振る舞い、止めを刺そうと再び剣を振り上げた。
「やめてッ————!」
私は咄嗟に手を伸ばす。でも、届かない。
その刹那——顔の横を、何かが掠めた。
激しい、金属の擦れるような音。何者かが、ミラへの攻撃を止めたのだと数秒経ってから私は気づく。
「黒魔術——《強制回復》五年付与」
その声の主は、ヴィル爺だった。
彼は、右手に青白い魔法陣を展開して剣の一撃を受け止める。そして、瀕死のミラの額にそっと手を当てながら再び詠唱した。
「第三階級魔法——|《転移》」
彼は落ち着いた口調でそう言うとミラの身体が発光し、その姿が突然、音もなくどこかへと掻き消えた。それを見た白装束の男は一瞬驚いたような表情をした後、魔法陣に突き刺さった剣を引き抜いて、付着した血液を地面に振り払った。
「……隊長、追いますか?」
「いや……必要ない。たった“五年”だ、もうじき死ぬだろう……それに、あの娘は傷を負った。我らの望む“器”ではない。さて……」
背後にいた一人の白装束の女に彼はそう告げ、再びヴィル爺の方に向き直して剣を構えた。
「……それを扱うとは。貴様、何者だ」
「わしはただのおいぼれよ……だが、家族に手を出す輩に容赦はせん」
両者は同時に構え、対峙する。
戦闘が始まるその直前——ヴィル爺が、私の名前を呼んだ。
「フィオナ……子供たちを、頼んだぞ」
先に動いたのは白装束だった。剣を前に突き出して頸を狙った一撃。ヴィル爺はそれを受け流しつつ、しゃがみ込んでの回避に成功する。
攻撃後の一瞬の隙。それを彼は見逃さなかった。
「第四階級魔法——|《裂空》ッ!」
そうヴィル爺は言いながら、宙に突き出された剣に向かってそのまま魔法を打ち込む。
裂空——それは、触れている小物体を消し飛ばす、彼の出せる中で一番強い魔法。
攻撃を受けた白装束の剣の刀身は、柄を残してその場で霧散した。攻撃手段を失ったその身体にとどめを刺そうと、屈み込んだ体勢のままヴィル爺は彼の胸に|《裂空》を放っ————
バンッ
その時、一つの鋭い破裂音が辺りに響き渡った。鼻をつんざくような焦げくさい臭い。ヴィル爺の頭に、一つの小さな穴が空く。彼はそれにすら気付かぬまま息絶え、膝から崩れ落ちた。
——たった十数秒。わずかそれだけの間に、私は大切な家族を二人も失ったのか。
そう自覚する前に、私の身体は先に動いていた。
ヴィル爺の言葉が何度も頭の中で渦巻いていく。
——せめて、子供たちだけは。
私は玄関に背を向けて走り出す——そして、一直線に皆の寝ている寝室へと向かった。




